第14話

「……国内にあるすべての養豚場に業務停止命令を発令しろというのか」

「はい、可及的速やかに。事態は一刻を争います」


 緊急事態だと告げて、エルドレッドとクレイグは国王の執務室に押しかけた。その場にはクレイグの父親である宰相も在籍している。

 国王は指先でこめかみを揉みだした。どうやら頭痛がするらしい。


「エルドレッド……お前はもう少し賢いと思っていたのだがな。私は子供のわがままに付き合えるほど暇ではない」

「ベティはただのブタではありません」

「ただのブタではないというならなんだ。悪い魔法使いに呪いをかけられた姫君だとでも言うのか。まさかブタを婚約者にしたいためにおかしなことを言っているんじゃあるまいな」

「そうです」

「そうか。……はあ!?」


 言葉が足りないエルドレッドを見かねて、すかさずクレイグが口を挟む。


「違いますよ、陛下。エルドレッド殿下が頷いたのは前者の方です。あの子ブタは本当に呪いをかけられてブタになってしまった我が国の貴族令嬢なのですよ」

「なんだと?」

「どういうことだ、クレイグ。その貴族令嬢とは誰だ」


 父親からの問いを受けて、クレイグはあっさり白状することにした。ベティがエリザベスであることと、彼女が誘拐されている可能性が高いことを。


「到底信じられないでしょうが事実です」

「この件、ローズウッド侯爵は把握しているのか」

「いいえ。彼女がエリザベス嬢だと判明したのは本日です。その後このような事態に」


 人がブタに変わるなどにわかに信じがたい出来事だ。余計な混乱を招かないためにも、侯爵への報告は慎重にするべきだろう。


「父上、今は我々を信じてください。エリザベス嬢の命が危険です。それに王宮の敷地内で攫われたとなれば、このまま見過ごせるはずがないでしょう」


 国王は深く息を吐いた。無理をせず堅実な人柄が高く評価されているが、緊急時の決断は保守的な人だ。エルドレッドに焦りが生まれる。


 ――もうすぐ日が暮れる。


 今日中にベティを探すことが叶わなくなってしまう。十中八九攫われたと思っているが、万が一まだどこかに隠れている場合は早急に保護しなくては。温室育ちの令嬢が野生動物のように外で生き残れるはずがない。


「私はまだお前たちの話を信じきれていない」

「……っ!」

「だが今からエリザベス嬢の居所を確かめようとしたら手遅れになるということだな」

「すでに学園には確認済みです。寮に残っているはずのエリザベス嬢の姿が見当たらないと。ローズウッド侯爵領に戻っている可能性も否定できませんが、誰にも行き先を告げていないのは彼女らしくないそうです」


 そしてなによりベティ本人がエリザベスだと認めたのだ。人の言葉を理解し、意思を告げてきた。ただのブタではないことは明白である。


 ――これ以上時間はかけていられない。


 考える時間すら惜しい。この間にもベティの命が危険にさらされているのだ。


「呪いを受けてブタになったことが信じられないようでしたら構いません。今はただのペットを誘拐されたという理解でも。ですがこれ以上決断に時間をかけてほしくない」

「なにをする気だ?」

「父上も俺と同じ気持ちを味わっていただこうかと。父上が手塩にかけて育てている池の鯉を今晩のおかずにするだけです」

「な……っ!」


 国王が勢いよく立ち上がった。人前で滅多に声を荒げることも動揺も見せない人が珍しく慌てている。

クレイグは僅かに目を瞠り、宰相は小さく嘆息した。


「一体なにを……」

「ですがメインディッシュは別に用意しますよ。離宮の近くにある湖にはナマズの主が棲んでいるそうですね。随分と長命で、父上が子供の頃から心の拠り所にしていたとか。ああ、ご存知ですか? ナマズは淡白な白身魚で揚げ物にすると美味だとか」

「お前……父親を脅すつもりか」

「人聞きの悪いことを。俺は人命救助お願いをしているだけですよ」

「……」


 両者睨み合うが、先に目を逸らしたのは国王だった。


「……わかった。だが条件の前にひとつ確認しておきたい」

「なんでしょうか」

「先ほどクレイグは、お前が頷いたのは前者の方だと言った。だがお前は両方に頷いたな?」


『ただのブタではないというならなんだ。悪い魔法使いに呪いをかけられた姫君だとでも言うのか。まさかブタを婚約者にしたいためにおかしなことを言っているんじゃあるまいな』との問いに、エルドレッドは一言肯定しただけ。補足を説明したのはクレイグだ。


 エルドレッドは真っすぐ父親の目を見つめて肯定する。


「ええ、その通りです。俺はエリザベス・ローズウッド侯爵令嬢を婚約者にします」


 ただのペットのブタが行方不明になっただけで国を動かすことはできないが、婚約者候補となれば別だ。王子の未来の花嫁が誘拐されたのであれば動かざるを得ない。


「……お前の覚悟はわかった。だがお前とエリザベス嬢は恋仲ではないだろう。ブタとエリザベス嬢を同一視しているつもりではないな?」

「違います。ベティは大切なペットですが、恋人にするならエリザベスがいいと思ったんです」

「彼女はお前を好いているのか?」

「今はまだなんとも。ですが俺を好きにならない女性がいるとでも?」


 三秒見つめられれば恋に落ちるという噂を知っている。

 勝手に惚れられるのはいい迷惑だと思ったが、意中の女性にも有効であれば話は別だ。


「その自信はどこから来るんだ……まあ、いい。婚約の打診をローズウッド侯爵に入れておこう。断られる可能性もなくはないが」

「彼女以外とは結婚しないと付け加えておいてください」

「それは脅しだろう……」


 とはいえ、ベティを助ける名目ができた。大々的に公表するわけにはいかないが、エリザベスの不在については誤魔化しが効く。王宮にて第二王子の花嫁修業を行っていると証言すればいい。

 国王は王都と、王都に隣接している領を三つ選んだ。


「国内全域の養豚場に発令を出すわけにはいかない。その間の経済を停滞させるわけにもいかない。きちんとした補償を鑑みると、三日が限度だ」

「明日から三日ですか」


 王都を含んだ四領へ、ブタの屠殺禁止令を通達する。子ブタを含んだすべてのブタを生かし、三日間業務を停止すること。


「さて、その名目だが……ブタだけが罹る流行り病などを言ったら逆に殺されてしまうだろうな」

「畜産業の向上のための視察というのも難しいですね。それならば業務を停止する理由にはならない」


 王子の飼いブタが迷子になったと正直に言えたらいいが、ベティのことを不特定多数の人間に知られるのは避けたい。


「他にも動物愛護の名目も使えますが、少々軋轢を生みそうですね。やはり畜産業の向上のための抜き打ちの視察を各地で行っていることにしたらいいのでは」

「問題点や改善点を調べているとでも?」

「ええ、それで協力してくれた養豚場には業務を停止した分を補填し、きちんと謝礼金を出せば大ごとにはならないかと」


 表向きは視察だが、裏ではベティの捜索だ。青い目をした子ブタがいたら理由をつけて捕獲してしまえばいい。


「四領にある全部の養豚場を探すだけでも時間はかかるぞ。三日以内ですべてを回るというのか」

「いいえ、一日で片付けます。そのためには人海戦術を使う必要がある。騎士団を一隊貸してください」


 無茶なことを言っているが、今から調整を行えば無理ではないだろう。


「最悪王都にある養豚場は除外してもいいと思ってます。もしもベティを目障りだと思って攫ったのであれば、近場の養豚場に捨てることはないでしょう」


 一番可能性が高いのは王都と隣接している三領だ。そこに騎士団と事情を知っている人間を派遣し、表向きの業務を遂行する。


「いろいろと無茶苦茶だが、考えている時間が惜しいな。よかろう、第三騎士団の騎士団長に話を通しておく。第三なら地方への遠征もよくあることだからな」

「ありがとうございます。父上はその旨を書面に記してください。俺が第三に依頼します」


 この場で国王に手紙を書かせた。今から騎士団に乗り込めば準備時間も十分とれるだろう。

 まだ細かい調整は必要だが、本日中に早馬を出し明日の夜明けには王都を含めた四領の養豚場に一日業務を停止する発令が出されることになった。もちろんベティが見つかれば即座に通常営業に戻す予定だ。


 目的は青い目をした子ブタを捕獲すること。穏便に交渉するためには多少お金がかかっても仕方ない。子ブタを買い取ることにした方が一番波風を立てないだろう。


「だが、養豚場で見つかればいいがな。個人宅に攫われていたら厄介だぞ」

「そうしたらすぐに誘拐犯を見つけてやりますよ」


 不審な人物がいなかったか洗い出しているところだ。本日王宮に出入りしていた人間の名簿をすべて確認させている。

 

「それでは父上、後はよろしくお願いいたします」

「うむ、わかった。だがその前に、ビビアンには手を出すなよ?」

「ビビアンとは。父上の愛人ですか?」

「違う! とんでもないことを言うな! ナマズだ、湖の主の!」


 ナマズの名前はビビアンというらしい。クレイグは「似た者親子だなぁ」と呟き、宰相は無言で肯定した。


「ああ、もちろんなにもしませんよ。嫌ですね、俺がそんな非道なことをするはずがないでしょう」

「……」


 残念ながらこの場で頷ける者はいなかった。

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