第10話

 八日目の朝。私は今日も王子のベッドの上で目が覚めた。


「おはよう、ベティ。よく眠れたか?」


 朝からキラキラ眩しい笑顔に目が潰れそう……。

 毎晩私は自分の寝床で寝ていたはずなのに、朝になるとベッドの上で目が覚める。自分からよじ登った記憶はないため、確実に王子が連れてきたのだろう。

 恋人に見せるような笑みで見つめられるが、気にせず目を閉じた。毎朝のことなのでもう慣れてしまった。なんとも嫌な慣れである。


 そしてブタとしての生活も八日目になれば、すっかり王宮での暮らしにも慣れた。

 正直喜んでいいことではないが、順応できないままストレスで死んじゃうよりはしぶとく生き残れる方がいい。

 このまま精神までブタに馴染んで人間に戻れなくなったらどうしよう? と怯えそうになるけれど、今のところ私の中身はエリザベスのまま。なんとかひと月以内には戻る手掛かりがほしいが、部屋から脱走することも敵わないまま一日が終わる。

 もしも私が猫だったらもう少し自由に王宮内を歩き回れただろうに、ブタの姿が歯がゆい。


「やあ、非常食。おやつを持ってきましたよ」

「ぶひっ!(来たわね!)」


 クレイグ様は相変わらず私を非常食と呼び、隙あらば肥えさせようとしてくる。早く太って王子の部屋から追い出されたいいとでも思っているのだろう。

 なんて恐ろしい男なの。こんな腹黒い男と結婚できる令嬢は存在するのだろうか。


 それにしても、食べても食べても満腹にならないこのわがままボディはどうしてくれようか……どうやらブタは無限に食べ続けることができるらしい。家畜って恐ろしい。


 ぽりぽりと果物を食べていると、王子が長椅子の前のテーブルに紙を置いた。よく見るとそこには文字の羅列と、簡単な言葉……【はい】【いいえ】のほかに、何故か【好き】と【嫌い】が。


「ベティ、君と意思の疎通ができるんじゃないかと思って紙を用意した。君は賢いからな」


 おお……! これは一歩前進なのでは!?

 紙の上にはコインが置かれている。これを私が鼻先で動かして、気持ちを伝えることができるということね!

 咀嚼していた果物を飲み込んで紙と対面する。私は呪いでブタに変化させられました! と言う瞬間がようやくやって来た。

 ブタの手ではペンが握れないからもどかしかったのだけど、こうやって意思を伝えることができれば私の協力者になってくれるかもしれない。短い文章でも時間はかかるけれど。

 王子に期待の視線を向ける。無意識に尻尾がぶんぶん揺れていた。


「まずは俺から質問をしよう。【はい】と【いいえ】で答えられるものにする」


 ふんふん、なるほどね。コインもちょうどそのふたつの間に置かれた。


「ではまずは簡単な質問から。好きな食べ物にしようか。林檎は好き?」


 ええ、好きですね。特にラルック地方の黄金林檎が。蜜がたっぷり入っているんじゃないかと思うほど甘くて瑞々しくて……何個でも食べたい誘惑に負けそうになる。

 コインを鼻先で移動させて【はい】の上に置いた。ちなみに一個のお値段、普通の林檎の五個分です。


「へえ、ちゃんと通じてますね」


 クレイグ様も感心している。ええ、今の私は賢いブタですから。


「野菜は好き?」


 ものによるけれど、大方好きである。食物繊維大事。

 私はコインを【はい】のままから動かさずじっと王子を見つめた。


「じゃあ俺のことは好き?」

「(……っ!)」


 急になんてことを訊いてくるんだ。完全に油断した!

 紙の項目をくまなく探す。ここに【わからない】がないことに憤慨しそう。

 そっとコインを鼻先で動かすが……うう、どうするべきだろう。

 一応保護してもらっている身で、これ以上ないほど甘やかしてもらっているのに、【嫌い】を選ぶのはいかがなものか。好きと言っておくべき!?

 スッとコインを好きと嫌いの間に移動させる。無理やり【どちらでもない】を選ばせてもらおう。


「一瞬忖度しようとしましたね?」

 

 クレイグ様が笑った。どうやらお見通しだったようだ。

 本当、ブタに忖度なんてさせないでください。返事に困る質問は無視したい。


「なるほど。まだ俺の愛情が足りていないようだ。次はベティがすぐに【はい】を選べるように頑張るよ」


 これ以上一体なにを……? 過剰な愛情は受け取り拒否をさせていただきたい。


「では次は【はい】【いいえ】の問題だ」


 王子はふたたびコインを動かす。私も紙の上を移動した。

 一体なにを訊かれるのだろうと思いきや、彼は予想外の質問を投げかけた。


「ベティ、君はエリザベス・ローズウッド侯爵令嬢だな?」


 ……えっ!?


【はい】【いいえ】の二択なのに、私の頭は停止した。


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