第9話 

 ベティを拾ってから早くも七日が経過した。エルドレッドはこれまでにないほど充実した毎日を送っている。


「ブタがあんなにも表情豊かで愛嬌のある動物だとは知らなかった。俺が彼女を拾ったのは運命なんだと思う」

「あっちがどう思っているかはわかりませんがね」


 学園を卒業後、エルドレッドは王太子の政務を手伝いはじめた。いずれは彼の補佐になる予定だが、今はまだ雑用程度でしか関わっていない。

 クレイグが淹れたお茶を味わいながら、エルドレッドは報告書に目を通す。

 調査内容は先日行われた卒業パーティーの不参加者と、現在行方が掴めなくなっている生徒について。


「パーティーに参加予定だったにもかかわらず当日不参加だった学生の名簿と、現在行方がわかっていない生徒のリストですね。あと、殿下が拾ったドレスから仕立て屋を調べ上げました。既製品ではないドレスですので、こちらは仕立て屋がわかれば購入者も簡単に見つかると思ったのですが、これがなかなか厄介で」

「個人情報を部外者に渡すはずがないからな」


 貴族御用達の仕立て屋ともなれば余計個人情報の管理は厳しい。簡単に明かしてしまったら店の信用に影響する。


「殿下が懸想している令嬢のドレスを一着借りたので、新たにプレゼントしたいという流れも考えたのですが、なんか無理があるかなと。そもそもどうやって相手のドレスを借りるんだという話になりますし、ちょっと気持ち悪いですよね」

「……」


 婚約者でもなく親しくもない女性にいきなりドレスをプレゼントするのは気持ち悪いらしい。

 エルドレッドはつい先日、欲望のままベティに贈った衣裳の数々を思い出す。


「ベティへの贈り物は同棲記念と考えたら気持ち悪くないな」

「十分キモいですね。普通の人はペットと同棲という考えを持っていませんから」

「……そうか。キモいのか」


 これまでなにかに情熱を注いだことも愛情をかけたこともない。特別親しい友人というのもおらず、他者との距離感がいまいち掴めていないようだ。

 一体どの程度が適切なのだろう。ベティが嫌がったら床に下ろすようにしているが、できることなら四六時中抱き上げていたい。


「俺は今、箍が外れた状態なんだと思う」

「自己分析ができるようでよかったです」


 たくさん愛でられる存在を得たことで精神が安定している。今までは兄のアルヴィンがマリリンに愛情を注いでいるのを冷めた目で見ていたというのに、自分までそうなるとは思わなかった。

 これも血なのだな、とひとりで納得するが問題はそこではない。


「で、ドレスの仕立て屋からは購入者の情報が得られなかったんだな」

「ええ、下手に探って持ち主の家に連絡が行くのも避けたいですからね。第二王子が娘のドレスに興味を!? なんて、貴族の家に知られたら速攻で婚約の打診だと思われますよ」


 だが落し物は他にもあった。ジュエリーと靴だ。

 ジュエリーからの特定は難しくても靴なら辿りやすい。懇意にしている靴屋なら定期的にメンテナンスも行っているだろう。顧客の情報も管理しているはずだ。


「それで、申し訳ないなと思いながら靴のヒールを折らせてもらい」

「なんだと?」

「ちゃんと綺麗に直しますのでご心配なく。修理という方向で靴屋に持って行ったら、即判明しましたよ。それと報告書にあるパーティーに不参加だった学生と、寮に残っているはずなのに誰も目撃できていない学生を照らし合わせたら、浮かび上がるのはひとりだけ」

「……エリザベス・ローズウッド侯爵令嬢か」


 靴の持ち主はエリザベス・ローズウッドで間違いない。そしてパーティーから行方知れずになっている人物。

 エルドレッドの脳裏に赤い薔薇色の髪をした少女が思い浮かぶ。おいしそうに菓子を食べながら満面の笑みを浮かべていた幼い少女。


「つまり、エリザベス嬢が俺のベティということか」

「まあ、断言していいものかはわかりませんが、その可能性がとても高いということですね。一体なにが原因でブタになってしまわれたのか」


 ――エリザベスだからベティという名に反応したのだろう。それなら彼女は今も本来の自我を保ったまま?


 ブタの知能は高いらしい。だが人間の言葉を正しく汲み取る動物は、単純に賢いだけではなさそうだ。


「ベティは俺たちの会話を理解しているようだった。彼女が人間だとすれば納得もいく」

「妙に人間臭いところがあったのも頷けますね。いきなりブタになってしまったなんて心細いでしょう。本当は一刻も早く人間に戻る方法を見つけたいのに、殿下のペットにさせられて……」


 現在ベティはひとりでエルドレッドの私室に籠っている。

 一緒に執務室へ連れて行こうとした直前、彼女はエルドレッドの手から逃れてベッドの下に潜り込んだのだ。飼い主を拒絶するように。

 そしてエルドレッドはクレイグに半ば無理やり引き離された。彼女が今どう過ごしているのか心配でたまらない。


「俺のベティが人間だったとしても関係ない」

「は? いや、関係はあるでしょう。侯爵令嬢ですよ? ただのブタではないんですから」

「ブタでいる以上彼女は俺のかわいいペットだ。期間限定でも構わない。人間に戻れるまでは俺が責任を持って飼い主として彼女を守る」

「誠実な言葉に聞こえますけど、実はとっくにやらかしたりしてませんよね?」

「やらかしとは?」

「お風呂に入ったり一緒に寝たり」

「全部毎日してるな」


 クレイグが頭を抱えだした。

 全部ペットに注ぐ愛情表現だったが、確かに人間の令嬢だと思うといささか気恥ずかしい。


「ブタが我々の言葉を理解しているということは、エリザベス嬢の精神のままということ。つまり殿下はエリザベス嬢にわいせつ行為を……」

「言い方に悪意を感じる。知らなかったんだから仕方ないだろう。それに、まずは本人確認をしておきたい」

「と、言いますと?」

「ベティがエリザベス嬢かどうかをはっきりさせる」

「ええ? できますかね?」

 

 これまでは意思を伝える手段を用意していなかっただけ。

 もし彼女が人間なのであれば、文字を読むことはできるはず。


「簡単な文字表でも作ってみるか。それに【はい】【いいえ】の項目も入れて意思の疎通を図ってみたらいい。直球にベティに名前を尋ねてもいいな」

「あなたはエリザベス嬢ですか、と? でも殿下がその場にいたら名乗りだせないかもしれませんよ?」

 

 主にエルドレッドのやらかしのせいで。


「……淑女の腹に顔を埋めたのはまずかったか?」

「そんなことまでしているんですか? 引きますわ……」

「そういえば排泄行為を見守ろうとしたら涙目になっていたかもしれない」

「私がエリザベス嬢の立場だったら絶対殿下に正体を知られたくないですね。失うものが大きすぎます」


 服に関しては抵抗なく着せ替えさせてくれる。風呂に入るのも暴れることはなくなった。

 抵抗を諦めたのか開き直ったのか。受け入れてしまえば楽だと思ったのかもしれない。


「そもそも殿下、エリザベス嬢と面識は?」

「ほとんどない。学年と寮も違ったからな。それに多分俺は避けられている」

「え? 面識がないのに?」


 彼女を視界にとらえたことはほんの数回。だがローズウッド家特有の薔薇色の髪は大勢の中にいてもよく目立つ。真正面から顔を見たことはないが、彼女の横顔や後ろ姿を目にしたことは何度かあった。


「殿下は愛想がないから、嫌われていたんですかね……」

「お前は俺に遠慮がなさすぎないか」


 嫌われるようなことをした覚えはない。そもそも私的な会話をした記憶もないのだから。


「エリザベス嬢は来期のルベライト寮の寮長に指名されていましたよね。名門ローズウッド家の令嬢で、成績も優秀で眉目秀麗。勤勉で真面目で、食事も厳しく自己管理をされるとか。でも女子生徒からの評判は高いですが、男子生徒からは少々怯えられていますよね。彼女、女性には優しいけれど男性には厳しいことでも有名ですからねぇ」

「恨まれるとしたら男からか。恋愛絡みの噂は聞いたことがないな」

「言い寄る男性を足蹴にしそうな外見ではありますけれどね~強気な美女で有名ですから。でも実際は交際相手もいないようですし、こっぴどく振られた男の逆恨みという可能性もあり得ますかね」


 逆恨みの線もあるのか、とエルドレッドは苦々しい気持ちになった。勝手に好かれて恨まれて呪われたのなら、エリザベスは被害者としか言いようがない。

 名目上の婚約者でもいたらよかったが、彼女は名門貴族なのに婚約者も未定だとか。打診は来ていても受けていないのかもしれない。


「呪いの類は隣国の方が得意なので、文献でも集めておきます。解呪方法の手掛かりがあるかもしれません」

「頼んだ。それと最近エリザベスと揉めた男子生徒がいなかったかどうかも探ってほしい。怨恨の線で調査しよう」


 ――ベティを手放すのは嫌だが、彼女が人間なら早く戻してやりたい。


 呪いをかけた人物には複雑な気持ちになる。卑劣な行為に軽蔑するが、ベティと過ごせた時間には感謝している。

 人というのは利己的だなと反省していると、クレイグが新しい茶を淹れた。


「それで殿下、エリザベス嬢は婚約者がいないそうです」

「ん? ああ、そうらしいな」

「ええ、いないんです。よかったですね? 責任が取れそうで」

「……」


 にんまり笑った側近は「やることいっぱいで忙しい~!」と言いながら退室した。

 ひとり残されたエルドレッドは静かに考えこむ。


「責任……責任か」


 脳裏に思い浮かぶのは天真爛漫な笑顔でデザートを頬張っていた幼い少女。ふっくらした丸い頬がすべすべで気持ちよさそうで、触りたいという衝動にかられて目が離せなかった。あの丸くてかわいい頬にかじりつきたいと思ったほど。

 それから少女と会うことはなかったが、特徴的な薔薇色の髪を学園で見かけたときはほんの少し落胆した。あの頃の面影は一切感じられなくて、天真爛漫な笑顔はどこにも見当たらなかったから。


 だが、ベティと触れ合っていると感情豊かな性格が伝わってくる。すぐに怒り、喜び、怯えて隠れて逃げ出そうとする。それが本来の彼女なら学園で見せていたのは単なる仮面で、本性はもっと素直な性格で、理性よりも感情で動く人なのではないか。

 泣いて笑って喜んで……作り物ではない感情に触れたら、視線だけでなく心も奪われてしまいそう。


 その感情を自分だけに向けられるのは悪くないかもしれない。もしも他の男に心からの笑顔を見せたら……なんだか面白くはない。


「いや、まだ大事なことを訊けていない。ベティに直接本人確認をしなくては」


 ベティはエリザベス・ローズウッドなのか。

 君の本当の名前はなんだ? と。


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