第7話

 寝床を用意されたはずなのに、私は今、王子のベッドに引きずり込まれていた。

「ペットと一緒に寝るのが夢だったんだ」と一方的に語られたが、そんなものは適当に犬や猫でも飼って叶えてほしい。

 私は保護されているだけであって、ペットになることに同意した覚えはないのだけど……甘い声で「おやすみ」と囁かれて意識が遠のいてしまった。


 ブタになって三日目の朝。王子の美声で意識が浮上した。


「おはよう、ベティ」

「……」


 ああ、なんということだろう。

 キスはおろか、初恋なんてものも未経験の清らかな身体なのに、殿方との朝を迎えてしまうなんて。

 それが長年避け続けてきた苦手な王子と……人生おかしなことだらけだわ。まあ、王子と一緒に湯浴みをさせられている時点で、とっくにおかしな方向へ進んでいるが。


 短い豚足を見て溜息をこぼす。今日の私もブタのままだ。

 もう三日もエリザベスの姿を誰も目撃していないわけだけど、学園ではどんな状況になっているのやら。私がいるはずなのにいないと気づかれたら捜索願が出されないだろうか。実家の侯爵家に問い合わせが行くかもしれない。


「どうした、ベティ。具合が悪いのか? それとも嫌な夢でも視たのか」


 ブタって夢を視るのかしら。今のところ夢を視ていた記憶はないけれど。

 そっと背中を撫でられる。優しい手つきが温かくて、なんだか胸の奥がじんわりしてきたわ。

 変人で変態なのに、ブタを愛でる手つきが優しいってなんなのかしら。私は生まれ変わっても絶対ブタにはなりたくないって思っていたほど、忌々しくてたまらないのに。

 次第に眠気がやってくる。今起きたばかりだというのに、動物になったからだろうか。眠れるときに寝ておきたいと思ってしまいそう……。


「今度王宮に画家を呼ぼうと思うんだ。俺とベティを描いてもらおう」


 ……眠気が一瞬で醒めてしまった。

 王子は今日も絶好調におかしいらしい。


◆ ◆ ◆


 朝食を終えて、こっそり部屋から脱走しようかと考えていたら、あっさり背後から抱き上げられた。


「今日は俺と兄上の執務室に行こうか」


 兄上の執務室……? そんな場所へ行きたがる気がしれない。


「ぷきゅ!(結構です!)」


 両手足をじたばたさせていると、王子の部屋の扉が勢いよく開かれた。


「ブタをペットにするなんて、お前は一生豚肉を食べないつもりか!?」


 とんでもないことを言いながら扉を開けるなんて一体誰!?

 背後を振り返った王子は一言「兄上」と呟いた。


「ぶひぃ……(ひっ、王太子殿下……)」


 エルドレッド殿下の兄君、アルヴィン王太子殿下だ。弟君とそっくりの金髪に紫の瞳をしているけれど、顔立ちは国王陛下に似ている。王子は王妃様譲りの美貌を持っているが、王太子殿下は精悍な顔立ちだ。まさしく俺様という響きがぴったりな人である。


「よお、エル。久しいな」

「ええ、お久しぶりです兄上。朝からどうされたのですか」

「お前がブタを恋人にしたという噂を聞いてな。会いに来た」

「俺のベティに会いに?」


 いや、そうじゃないでしょう! 突っ込むべきところは「ブタを恋人に」だ。

 王子の腕から逃れようともがくが、相変わらずがっしりと抱かれている。「動くと危ない」と言いながら後頭部にキスをされた。これ以上の接触は嫌なので、私は大人しく従うことにした。


「お前……どうしたんだよ、エル。そんなに動物に興味があったのか? 初耳だぞ」


 長年一緒に育ってきた兄ですら戸惑うのだから、今までの王子は動物へ変質的な愛情を持っていなかったのだろう。


「ベティを拾ってからすっかりブタの魅力にハマりました。表情豊かで愛らしくて、人の言葉も理解する賢い子です」


 ええ、人ですからね。なんなら文字も書けますが。(ペンは持てないけれど)。


「まさかブタを拾ったから卒業パーティーに不参加だったのか? 話題になってたぞ。エルドレッドが卒業パーティーに現れなかったって」


 首席で卒業した王子がいないなんて、確かに目立つわ。下級生の私ひとりが不在くらいなら誤魔化せるけれど。


「ええ、ベティの保護を優先したまでです。卒業式には出ているんですし、パーティーは必須ではない。誰にも迷惑はかけてませんよ」

「迷惑はかけてなくても、お前と最後に話がしたかった生徒たちは大勢いたと思うぞ」


 王太子殿下は意外にもしっかりお兄ちゃんだった。きちんと弟を嗜めている。

 この調子でブタへの過剰な愛情を嗜めてほしいと思ったけれど、殿下は何故かペット自慢に張り合ってきた。


「まあ過ぎたことはいい。そんなことより見てくれ、エル。俺のマリリンが今朝脱皮していたんだ!」


 弟のことよりマリリンの脱皮……マリリン何者なの?

 王太子殿下は懐からなにかを取り出した。ズルンとしていて、しかも長い。


「すげえだろう! こんなに長いんだぞ!」


 なんとマリリンは王太子殿下が飼っている白蛇だった。まさか爬虫類をペットにしているとは……どうやらうちの王子たちは変わった人ばかりかもしれない。


「立派な皮ですね」

「だろう? これをなにか記念品にできないかと考えているんだが」

「貴重なものなら額縁に入れて兄上の部屋に飾っておくのがいいかと。せっかくなので額縁を特注して、全長が入るものにしてみては」

「おお、確かに! それいいな!」


 いいのか? 蛇の脱皮が飾られているってどんな部屋なの。細長い額縁を特注までして飾るなんて、女性を部屋に招く気はないのかしら……。

 そういえばこの方も婚約者が未定だったことに気づく。

 御年21歳の王太子殿下と18歳のエルドレッド殿下。年頃の王子ふたりの婚約者が未定とは、王家はしばらくごたつきそうだ。


 ふう、と溜息を吐いたところで、王太子殿下と目が合った。

 一瞬で身体が硬直する。


「ブタの目って青いんだな。珍しくないか?」

「さあ、目の色には個体差があるでしょう。俺のベティはどこをとってもかわいいと思いますが」

「ふーん? 俺は哺乳類は好かないな。ブタなんて家畜だろう」


 ああ、あなたもクレイグ様と同じ人種ですか……私のことを非常食扱いしそう。


「蛇の肉も淡白でおいしいらしいですよ」


 兄弟間で見えない火花が散っている。哺乳類と爬虫類は比べるものではないのでやめていただきたい。


「まあ、弟がペットを愛でる喜びを知ったのならそれでいいさ」


 よくはないですと言えたらいいけれど、今の私に人語は話せない。

 そして王太子殿下はボソッと、私に視線を合わせて呟いた。


「ブタって裸んぼうだよな」


 ……は、裸んぼう? 私、全裸だと指摘されているの!?


「ぶひぃっ(はあ!?)」と思わず抗議の声が出てしまった。

 王太子殿下が去ると、室内に妙な沈黙が漂う。


「俺はベティを裸にさせているのか……」


 え? なんで王子が気にするの? というか、そんなことを言われたら急に私が恥ずかしくなるのですが!


「すまない、気づくのが遅れてしまった。取り急ぎ犬用の服を揃えよう。きっとサイズは小型犬ので入るだろう。あとでクレイグに依頼しておく」

「ぶぅ……(いえ、お気持ちだけで……)」


 行動力の速い王子はあっという間に王宮にペット服専門店を招いてしまった。王都にそんな専門店があったことすら知らなかった。

 彼はズラリと並べられた小型犬~中型犬用と思われる服をいくつも選び、ああだこうだと言っている。


「サイズ調整ができるものがいいな。ベティの魅惑的なお腹を隠せるものを」

「このフリルはとてもかわいらしい。白もいいがピンクがぴったりだ」

「だが服で肌を覆うことで、逆にベティのお尻が強調されないだろか」


 などなど、勝手にひとりで悩んでいる。しまいには、「動物に服を着せることは人間のエゴではないか?」とまで語りだした。

 まあ、体温調節が苦手な動物なら、服を着せた方がいいのだろうけど。

 私はクッションの上でゴロゴロしながら冷めた目で王子を眺めていた。選ぶなら一着だけにしてくださいね。でも王宮に呼び出したのに一着だけはケチ臭いかもしれない。


「ダメだ、決められない。自分の服はどうでもいいがベティの服となると」

「(……)」


 そろそろこの人、重症なのでは?

 なにが彼をここまでおかしくさせるのだろう。呪いの副作用で、なにか私から魔性のフェロモンでも出ているのだろうか。


「ブタなんてすぐに大きくなるんですから、あまり買いすぎちゃダメですよ」


 クレイグ様が正論を告げている。

 私はすぐにでも人間に戻るので、買いすぎはやめてほしい。


「それに、あまりかわいいって愛で過ぎたら非常食としての役目がまっとうできないじゃないですか。ねえ?」


 いつの間にかクレイグ様は私の隣に立っていた。糸目から覗く視線が怖い!


 だが王子はまったく助言を聞いておらず、「ここからここまで一式もらおう」と言っていた。

 私は生まれてはじめて、異性に服を貢がれるという経験をした。

 あの、そちらのお店は返品期間を設けていますでしょうか……。

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