第6話

 排泄問題は、人間用のトイレを使用できることを証明することにした。落ちないかが心配だけど、落ちないように踏ん張ってやるわ。

 王子も政務などで忙しいだろうし、普段は私に構う暇などないはずだ。ひとりで自由に部屋を使えるようになれば、ストレスもかからず自由に過ごせる。


 ブタの身体はなかなかお腹いっぱいにならないため食べ過ぎてしまいやすいという話を聞いた。なにそれ、どんだけ私を肥やすつもりなの? 

 常にダイエットをしている私にとって、ブタの身体は天敵すぎる。もしかしたらこれってデブになる呪いなのではないか。


「食べ過ぎ防止のためには散歩が大事だそうだ」


 王子は早速ブタの飼育本を読んでいる。そんなものよりも呪いの解呪本とか取り寄せてくださらない? もしくは王宮の書庫にでも行かせてほしい。

 この国では呪いなんておとぎ話でしかないけれど、確か隣国には古くから魔法や呪いの話がたくさんあったはず。不思議な術を使える人がいるという噂を聞いたことがあった。

 一日、二日で戻らないような呪いなら相当強力なのかも……一体私がなにをしたというのよ。考えるだけで泣けてきそう。


 めそめそした気持ちになっていると、首に違和感が。

 王子はにっこり私に笑いかけた。


「思った通りだ。やっぱり君には真珠が良く似合う」


 ……真珠?

 鏡の前まで移動する。ブタの首に真珠のネックレスが首輪替わりにつけられていた。って、なにこれ!


「ぷぎゅ、ぴぎ! (とってください!)」

「気に入ったようだな。これは母上から譲り受けたものだ。もう使わない真珠のネックレスはないかと尋ねたんだが、快く譲ってくれた」


 真珠が何粒も連なるネックレスなんて相当高価な代物だ。これを身に着けているだけで、私は誘拐の対象になるかもしれない。

 ブタに真珠を与えるセンスが理解できない。

 身体が肥えたら非常食となり、首には強盗を誘う真珠のネックレスって……この王子は一体何を考えているの!


「しばらく違和感があるだろうけど我慢してくれ。なにもつけていなければ、君は養豚場から迷い込んだただのかわいいブタさんだと思われてしまう」


 心底心配そうに、キラキラした眼差しで懇願される。ブタに向ける表情ではない。

 なにがどうして養豚場から王宮に迷い込めるというのだろう。

 国王陛下が仰っていた「野良ブタ」とやらが裏庭にでもいるのだろうか……なにそれ、絶対遭遇したくない。


「あとは散歩用のハーネスも購入した。これを装着したら散歩ができるな」


 カチャン、と背中で金具が固定された。見れば見るほど小型犬と同じような扱いである。

 人権ってなんだっけ……。でも外の空気を吸えるのは気分転換になるかもしれない。

 王子は上機嫌で私を散歩しはじめた。真珠をつけたブタなんて二度見不可避である。


「え、子ブタ?」

「殿下がブタをペットに……?」


 案の定、ブタを連れた王子が王宮内を歩く姿をあちこちで目撃されてざわついている。でも恥ずかしいのは王子だけ。私はただの被害者です。

 そしてまったく動じることのない王子の鋼の精神がすごい……どうしたらそんな風になれるのやら。


「さあ、ベティ。こっちに行こうか」


 王妃様自慢の庭園を散策する。初夏に咲く薔薇は可憐でかわいらしい。我が家の庭園で育てている毒々しいような大輪の薔薇とは品種が違うのだろう。可憐なピンクの薔薇と血に濡れた真っ赤な薔薇とでは抱く印象がまるで違う。


「その薔薇が気に入ったのか。それは食用薔薇ではないから食べられないんだが」


 食べようなんて思ってませんが。どれだけブタを食いしん坊だと思っているのだろう。

 でも食用薔薇というのも存在するのよね。私はあまり砂糖漬けの花は好きではないのだけど、見ているだけならかわいいと思う。糖蜜漬けされた菫がのったマフィンとか。


「おいで、ベティ。そっちは土がぬかるんでいる。君のかわいい足が泥まみれになってしまう」


 泥まみれの足で王宮内を歩くのは嫌だわ。私は乾いた土の上を歩くようにした。


「こんなところに薔薇の花が。今朝落ちたのかもしれないな。まだ瑞々しい」


 王子は土に落ちた花をそっと拾い上げた。そんな仕草ですら絵画のように様になる。

 本当、薔薇に囲まれて黙っていたら、著名な画家たちがこぞって描きたくなるほどの美貌なのに……蕩けるような微笑みを向けるのがブタって頭でも打ったのだろうか。


「ベティの首輪にさしてあげよう。こうするとほら、芳しい薔薇の香りを堪能できるだろう?」


 真珠のネックレスと首の間に薔薇を差し込まれた。小ぶりな薔薇がいいアクセントになっていそう。鏡がないのでわからないけど。


「ぶひ(ありがとう)」


 小さく礼を告げると、王子は笑みを深めた。そのうっとりするような眼差し、ちょっと怖いのでやめてくれませんかね。背筋がぞくっとする。


「エルドレッド殿下が笑顔で散歩を……?」

「あれはペットに向ける笑みなのか」

「まるで令嬢をエスコートするようでは」


 目撃者たちは語る。エルドレッド殿下がブタとデートをしていたと。

 誰も見たことのない甘い笑みを浮かべて庭園内を歩いていたという噂があっという間に広まり、それを聞きつけた王太子殿下が突撃してきたのは翌日のことだった。


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