第5話
王立パトリシア学園を首席で卒業したエルドレッド・クライヴ・クインズベリー殿下は、一回り成長したと思わせる貫禄を身に着けて国王両陛下と謁見した。
「卒業おめでとう、エル」
「元気そうでよかったわ」
「ただいま戻りました、父上、母上」
年々渋さが増していく国王陛下と、十年経っても美貌が衰えない王妃様。王家の皆様な家族仲が良好というのは聞いていたけれど、どうやら噂通りらしい。実に和やかな謁見だ。
だが両陛下はチラチラと視線を動かしていた。
聞いてもいいのだろうか、思春期の息子に一体なにが? という困惑が伝わってくる。その原因はもちろん私……王子が小脇に抱えているブタだ。
「あ~エル? その子ブタはどうしたんだ?」
よくぞ訊いてくれました、国王陛下。私も王子がどういうつもりなのか知りたいところだ。
結局彼は私を保護することにしたらしく、王宮に連れてきた。
ちなみにあの失礼な側近は私のことを非常食扱いのままで、王子の気まぐれでペットにしているだけだと思ってそう。
「学園で拾いました。責任を持って面倒をみます」
「ぷひ(え……?)」
責任ってなんの責任だろう。一緒にお風呂に入ってわいせつ物を私に見せつけた責任?
「拾ったって、飼い主がいるかもしれないじゃない?」
「ブタのペットを学園に連れて来ていた生徒はいないそうです。学園内に養豚場もありません」
「なら迷いブタか野良ブタか」
野良ブタってなんなの、それ。ブタって野良になれるの? すぐに拾われて食べられそう。
「でも、エルはそもそも動物を飼ったことがないでしょう? いきなりブタを飼育するなんて……」
王妃様は心配そうだ。私もとても不安である。
「クレイグに依頼してブタの飼育本を取り寄せてます。食べ物も難しくないようですし、排泄の管理ができたらブタは飼いやすい動物だそうです」
一説によるとブタは犬よりも賢いそうだ。躾をきちんと行っておけば排泄の場所も覚えるし、綺麗好きで換毛期以外に抜け毛の心配もなし。
まあ、そもそも人間の言葉を理解している時点で、人様に迷惑はかけないようにしますが……。
「だが大きくなったらどうするんだ。今は小さくてかわいいが、ブタは大型犬以上に成長するぞ」
それはそうなのだけど、待って? 私そんなに豚生を満喫したいわけじゃないんですよ?
大人の大きさになるまでのんびりしているつもりはない。早急に人間に戻りたいので、呪いの解き方を探す方に尽力してほしい。
「もちろん最後まで面倒をみるつもりです。飼育放棄はしません」
放棄してくれてもいいのだけど……一時だけの関係ですよね?
「それに、こんなにかわいいベティを手放せるはずがありません」
「もう名前までつけたのか……」
王子は私を一旦床に置いて、両手で目の高さまで持ち上げた。
そしてなにを思ったのか、私の腹に顔を埋めだした。
「ぷぎっ!(ひぃっ!)」
ざわっと謁見室がどよめいた。困惑と動揺が肌から伝わってくる。
「ああ、かわいい」
なにやらスーハーと吸っているのだけど、やめて? なにをしているの変態王子!
四肢をバタつかせて逃げようとするが、当然ながら王子の力には敵わない。
ようやく私を床に下ろすと、平然とした顔で言ってのけた。「獣のような臭いもありません」と。
「…………そうか」
長い沈黙の後、陛下はそれだけを呟いた。いろいろと言葉を飲み込んでいるのが伝わって来て居たたまれない。
両陛下に問いたい。
一体どういう育て方をしたらこんな息子さんが出来上がるのかと。
王子は半ば強引にブタを飼ってもいいというお許しをもらい、私を私室に連れ込んだ。
「さあ、ベティ。ここが今日から君の部屋だ」
ローズウッド侯爵家の私の部屋よりも倍くらい広い。これなら大型犬を飼っても問題ないだろう。
「取り急ぎ必要なものを揃えておいた。水入れはこっち、寝床はこのクッションとブランケット、そして排泄場所はここだ」
「ぶひっ!?(排泄!?)」
そう。ペットを飼うというのはつまり、衣食住のすべてを面倒みるということで、当然ながら排泄管理も含まれる。
「そういえば君はまだ一度も排泄をしてないな。確か飼い主は尿と糞から体調を確認する必要があるんだったか。ちゃんと出せるか見守った方が良さそうだ」
とんでもないことを言われて白目剥きそう……。
排泄用の砂の上に下ろされて、じっと見つめられている。こんなに見られていたら出るものも出ないし、そもそも人間のトイレ以外では出したくない……!
私は全力で駆けだした。
こんなの人権……豚権? 侵害だわ! これで私の正体がバレたらどんな顔をしたらいいの!
「こら、待て。なにも恥ずかしがることではないだろう」
「ぷぎゃああ!(嫌よ変態!)」
颯爽とベッドの下に潜り込む。なんといういい隠れ場所。これなら王子も簡単に手が出せない。
我慢比べといきたいところだけど、そういえば昨夜から食事もとっていないし、空腹に襲われそう。
「ベティ、出ておいで。我慢をしたら膀胱炎になってしまう」
ううう……膀胱炎は嫌だわ。絶対痛いし苦しいもの。
言葉を話せない状態で病気に罹ったら死んじゃうかもしれない。人間に戻る前に死んでしまったら、エリザベスは失踪という扱いになりそうだ。誰も私のことなど思い出さないまま消えてしまうなんて絶対に嫌だ。
「ちゃんと出せたらおやつをあげよう。野菜と芋と果物を用意している。どれがいい?」
なにやら新鮮な果物の匂いが漂ってくる。王宮に運ばれてくる食べ物はどれも良質だ。
私の理性とは裏腹に尻尾がぶんぶん動き出した。鏡越しで見たけれど、尻尾は先の方だけクルンとしている。全体的に薄ピンク色で目の色だけはエリザベスと同じ、サファイアブルー。ちなみにローズウッド家の特徴的な赤い薔薇色の髪はどこにも受け継がれていない。
空腹に耐えきれず、ベッドから出てきたところで王子に捕獲された。すぐに抱き上げられて、砂の上に下ろされる。
「おしっこ出せるよね」という圧が強い。じっと見守られて涙目になりそう。
数分間の攻防の末、私は敗北した。
ちょろろ……とささやかな水音が砂にしみ込んでいく。私の尊厳が失われた音だった。
「よかった。膀胱炎になったら大変だ」
ご褒美に林檎を食べさせられたが、もはや放心状態だ。
ブタはストレスに弱い生き物なのよ! これで体調を崩したら絶対王子のせいだから!
涙を堪えながら私は果物と野菜にがっついた。でもいくら食べても満腹は得られない。なんで?
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