第4話
エリザベス・ローズウッド、17歳。
身分は名門侯爵家の令嬢で、王立パトリシア学園の五年生で、ルベライトの寮生で、つい先ほどまでは人間だったのに……一体どういうわけなのか、私の身体は今、ミニブタになっていた。
生まれ変わっても絶対になりたくない動物一位のブタだ。小型犬ほどの大きさしかないからミニブタだろうけど、ブタはブタ。
全身鏡に映った自分の姿を見て、声にならない悲鳴を上げた。人は驚きすぎると声が出ないことを知った。悪い夢だと思いたい。
「ぷぎゃああぁ(嫌ー! なんでいきなりお風呂なのよー!?)」
「こら、暴れるな。危ないだろう」
バシャン! と水音が響いた。私は今、全身泡塗れである。
王子に拾われた後、何故か彼の部屋に拉致られた。
卒業パーティーに参加しなくていいの? 主役では? とブタ語で訴えたけれど当然ながら通じず、彼は堂々とサボった。そして私を浴室に連れて行って、全身を洗われている。
「ぷぎゅ……ぶひぃん!(嫁入り前の淑女の身体を洗うなんて……お嫁に行けなくなったらどうするの!)」
「なにを言っているのかわからないが、大人しくしててくれ。ブタは綺麗好きなんだろう?」
知らないわよ、そんなの。ブタに変身して一時間くらいしか経っていないもの。
洗面台にお湯を張って、王子自らブタを洗うなんてシュールな光景だ。これ、側近が見かけたら絶句するんじゃないかしら。
一体なんでこんなことに……考えられるのは私がなんらかの呪いにかけられた説だけど、呪いなんておとぎ話の世界でしか聞いたことがない。
でもそういえばあの時、誰かに声をかけられたような。記憶がぼんやりしていてうまく思い出せないが。
「散々暴れるから俺も濡れてしまった」
それはどうもすみませんね。急にお湯に放り込まれれば暴れるのも仕方ないと思うけれど。
頭から尻尾まで丁寧に泡塗れにされて、もはや触れられていないところはない気がする。ファーストキスすらしたことがないのに異性に身体を洗われるなんて、どんな屈辱? しかもその相手が苦手な王子……早くこの場から逃げ出したい。
なんて考えている間に、目の前の王子が服を脱ぎだした。
「ぷぎっ!? (なんで脱ぐの!?)」
「ん? 俺も風呂に入ろうかと」
彼の後ろには浴槽がある。王子の部屋は個室で浴室付きという好待遇だ。まあ私の部屋も同じく個室だけれど、設備も調度品も部屋の広さも私の部屋とは違う。さすが王族だ。
ちなみに一般的な貴族は二人部屋が主で、平民は四人部屋だそう。成績が優秀な特待生にもなると平民でも個室を貰えるらしいけど、オパール寮を直接見たことはないのでわからない。
浴槽にお湯を張るのはいいけれど、まさかこの場で入るつもりじゃないでしょうね? 私の目の前で裸になるなんてことは……。
「ぶひっ(あった……っ!!)」
あっという間に上半身の衣服を脱ぎ去った。
男性の素肌を見ることなんて滅多にないほど箱入りの令嬢なのに、ブタになって観察するなんてどうかしている。
あとはごゆっくり! と呟きながらなんとか洗面台から上がろうとするけれど、つるつる滑って上がりにくい! 水がバシャバシャ床に零れた。
「こら、暴れたら危ないだろう。仕方ないな、お前も一緒に入るか」
「ぶひいぃ(ブタと一緒に入浴って、頭どうなってんの!?)」
いくら綺麗にしたからと言って、動物と同じお湯に浸かるという発想は私にはない。だって動物しか持たない雑菌とか気になるじゃない。
抵抗虚しく、王子は私を片腕で抱えたまま素っ裸になった。胸に抱かれたまま湯に浸かる。
「湯加減はどうだ?」
「ぷぅ(ちょうどいいわよ……)」
憎らしいけれど、洗面台のお湯に入れられたときよりも気持ちいい。さっきは中途半端な湯量しかなかったためすぐに冷めてしまったから。
でも、下手に動いたら王子の全裸が視界に入ってしまう。チラッと顔を見上げると、濡れた手で前髪をかきあげていた。
「ん?」
蕩けるような笑みを見せる美貌の王子……水も滴るいい美形の破壊力は凄まじいが、ブタ相手に見せていい笑顔ではない。
自分からは絶対に近づきたくないと思っていたから観察を怠っていたけれど、この人って実は結構な変人なんじゃ……? 十年前は本物の天使みたいって思っていたけれど、元天使がブタと入浴するなんて知りたくなかった。
多くの女子生徒がお金を出してでも見たいと願うような王子の素肌を見ていても、まったくうれしくない。むしろ恐怖でしかない。
ああ、なんでこんなことに。何度も何度も自問自答するけれど答えはまったく出てこない。
私、ちゃんと戻れるのよね? ブタになったのも一時的だけよね?
唐突に不安がこみ上げてくるが、今エリザベスに戻ったら大惨事だ。戻るときは万全の準備をしてからでお願いしたい。
「それで、お前はどこから迷い込んだんだ?」
王子は私の背中にお湯をかけながら問いかけた。
「それにあのドレスも。一応一式持ってきたが」
「ぷぅ?(私のドレスを全部持ってきたの?)」
学園の敷地内にドレスが落ちていたら事件だと疑われる。持ってきてもらえたのは助かったけれど、微妙な気持ちになった。
だって落し物はドレスだけではない。靴にジュエリーに、そして下着も全部である。それをすべて検品していたらと思うと……羞恥で爆発しそうなんですが!
「ドレスの持ち主を探したら飼い主も見つかるんだろうか」
「(……)」
頭が高速に回転する。
私、自分の素性がわかるようなものは身に着けていなかったわよね? ドレスや下着はオーダーメイドだけれど、余計な刺繍は入っていなかったわよね!? 我が家の紋章とか!
髪飾りとジュエリーも、公の場で付けたことはなかったはず。どこの工房で作られたものかまで辿られたら、その後の販売経路がわかってしまうだろうか。
どうしよう。正解がわからない。
私が実はエリザベス・ローズウッドで、よくわからない呪いかなにかでブタに変身させられちゃったんです! って気づかせるべきか、なにも気づかせることなく逃げ切るべきか。
でも現実問題、誰かに保護してもらうのが一番いい。
明日から長期休暇で学園は休みに入る。私はしばらく寮に残る予定だったので実家に帰る必要はないし、少し行方がわからなくなっていても誰にも心配はされないだろう。
その間、うっかり怪我したり死なないことが最優先なわけで……あと、人間に戻る方法を教えてほしい。いや、その前に呪いをかけた相手を捕まえるのが先か。
「ぷう……」
ああ、ダメだ。考えすぎたら上せそう。
このままだと湯でブタになってしまう。きっといい出汁がとれるだろう。
ぐったりした私を見て、王子は慌てて浴槽から上がった。
「大丈夫か、ブタ」
ええ、今の私はブタですね。
ブタなんですが……モヤッとするのでなにか名前をください。
タオルで水滴を拭いながら、王子はなにか考え込んだ。
「ブタをブタと呼び続けるのもどうかと思うな。なにか名前をつけるか」
お皿に水を注いでくれた。水分不足だったのでありがたく頂戴する。
「ブタ……ブッチャー? ブッティ?」
「(ダサいので却下)」
「ブティ……いや、それならベティの方がいいか」
「……っ!」
思わず顔を上げてしまった。それは私の幼少期の愛称だったから。
「気に入ったか? ベティ」
もう誰にも呼ばれることがない愛称を呼ばれて、胸の奥がくすぐられる。
まさかこの人にその名前を呼ばれる日が来るなんて……と不思議な感慨に耽ったが、ふと王子が全裸なことに気づいた。
「ぷぎ!(ひぃ……っ!)」
「どうした、ベティ」
身体を抱き上げられるが、そうじゃない! なんで私のことはタオルで包んだのに、あなたはびしょ濡れのままなんですか!
うっかり王子の王子を見てしまい、私の頭にビッグバンが生まれそう。
「きっとお腹が減ったんだな。なにかあげよう。ブタはなにが主食だったか……」
「ぷきゅぃ(服を……服を着てください……)」
疲労困憊に陥った私はそのまま意識を手放した。
できれば彼が不在中に人間に戻っていますように、と願いながら。
けれどそう簡単にブタの呪いは解けることはなくて。翌朝、目が覚めた私の前に、もうひとり人が増えていた。宰相の息子でフロックハート侯爵家の嫡男、クレイグ様だ。王子の側近を務めている。真顔でも笑っているような顔が胡散臭くて苦手な男である。
そのクレイグ様は、起きたばかりの私を指差して王子を褒め称えた。
「さすがは殿下! 非常食にブタを飼うんですね」
「ぶひっ!?(非常食……!?)」
なに、非常食って! 私のこと!?
クレイグ様の台詞にゾッとした。急にブルッと寒気に襲われる。
硬直して動けずにいる私に、彼はにっこり笑いかけた。
「早く大きくなぁれ」
「ぷぃ……っ!」
肥えたら食われる……!!!!
あまりにも怖すぎて、私は天敵の王子にしがみついたのだった。
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