第3話
ラナに謝罪もせずに逃げようとするなんて、どこまでも卑劣な男ね。
「一言ごめんなさい、って言えばいいものを」
「……っ、うるさい! こっちは貴族だぞ! なんで子爵家の俺が平民女に頭を下げなきゃいけないだよ! そもそも貴族の申し出を断るとか、この女の方が無礼だろう!」
ラナがビクッと肩を震わせた。思わず扇を握る手に力が入ってしまいそう。
学園内では平等とは言いつつも、こういう貴族は珍しくはない。間違っているとは思っていても否定するつもりはなかった。
でも、お前が偉そうにできる立場か! と、頭に血が上りそう。
「貴族だなんだと言う前に、お前は自分の姿を鏡で見たことがあるのしら?」
「は?」
「そのだらしない恰好。曲がった襟元、しわくちゃな裾にソースが跳ねたシャツ! 贅肉だらけの腹に不規則な生活で手入れを怠った汚い肌! 体臭を誤魔化すためにキツイ香水を使うんじゃない。まずは風呂に入りなさい!」
「な……っ!」
「身長や顔の造作以外の問題よ。清潔感のないブサイクが美少女をエスコートするなんて図々しいにもほどがあるわ! 鏡を見ずに身分だけで女性を落とせると思っているなんて大間違いよ。挙句の果てに、彼女が従わなければ暴力で訴えようとしたわね?」
「は? ちが、ちょっと手首を握っただけで」
「面識のない男に触れられるなんて女性からしてみれば暴力と同じよ、おぞましい。身分を盾に迫るなんて身分しか誇れるものがない証拠じゃない。まずはそのだらしない身なりと体型をどうにかしてから出直しなさいこのブサイクが!」
「え、エリザベス様、もうその辺で……! あとブサイク繰り返してます」
ラナに必死に止められてハッとする。どうやら周囲に人だかりができていた。
「ヘクター・ステイプルトンが平民の女子生徒に迫って振られて逆上ですって」
「えー最低」
……しまった。人の美醜には口を出さないようにと思っていたのに、どうやら頭に血が上って我を忘れたらしい。
私が自分に厳しく美を磨こうとするのは私の勝手。他人に押し付けるものではないし、容姿を蔑むこともしてはいけないと思っていたけれど、見過ごせないほどたまらなく無理だったみたい。
口は禍の元とは言うけれど、言ってしまったものは取り返せない。それに全部事実だもの。誰かが言ってあげた方が気づけることもあるでしょう。と、開き直ることにした。
「エリザベス様が仲裁されてるけど、寮長を呼んだ方がいいんじゃない?」
あ、それは大ごとになるのでやめていただきたい。
ヘクターの顔が赤くなったり青くなったりと、顔面が騒がしい。これは少々やりすぎたかも。
私はできるだけ優しく聞こえるように問いかける。
「少々熱くなってしまってごめんなさい。それで、二度とラナには近づかないと約束できるわね? ヘクター・ステイプルトン」
にっこり微笑みかけたのに、ヘクターは震えあがった。ラナに向かって頭を下げて早口で謝罪し、一目散に逃げていく。ちょっと、なんで私に怯えるのよ?
周囲にいる生徒たちへは下手に騒がないようにと注意して、悪目立ちしてしまったラナに謝罪した。
「ごめんなさい、大ごとになってしまったみたいで。お節介だったかしら」
「いえ! そんな、お気になさらないでください。私じゃ断りきれなかったので、エリザベス様のおかげで助かりました」
「そう、よかった。寮は違うけれど、なにか困ったことがあればいつでも言ってね」
コクコクと頷く姿が子リスのようでかわいらしい。
ちょうどお昼時間の終わりを告げるベルが鳴った。午後の授業に向かうラナの背中を見送り、私は小さく嘆息する。
「やりすぎたわ。目立つ行動は控えないと」
ラナが在籍するオパールの寮長には感謝されるかもしれないけれど、ヘクターのいるスフェーンの寮長からは呼び出しを食らうかもしれない。あそこの寮長同士はあまり仲がよくなかったはず。そしたら私が在籍するルベライトの寮長まで巻き込む羽目になるかも。
「寮長同士のいざこざに発展したら面倒だわ……」
全寮制のこの学園では生徒会とは別に寮長の権限が大きい。学園を統率しているのは生徒会だけど、各寮を統率しているのは寮長だ。
オパール寮は主に平民と下位の貴族が在籍していて一番自由度が高い。身分に関係なく実力主義を掲げているけれど、学園内の派閥では一番力が弱いとされている。
ヘクターが在籍しているスフェーン寮は芸術家が多くて、よく言えば個人主義者。悪く言うと変わり者揃いだ。選民思想が強い生徒も混じっているとか。
そして王族や高位貴族が多く在籍しているアレキサンドライト寮は高潔で切れ者揃い。成績も優秀な生徒ばかりで、まさに貴族と王立学園の見本である。
ちなみに私が在籍しているルベライト寮の八割は女子生徒だ。貴族令嬢のほとんどがルベライトの寮生で、特徴はなにかしら……これと言ったものはないかもしれない。「かわいくて美しいものが好き」なら我が寮へ! ってくらい基準は緩いと思ってる。
「夏の長期休暇まで残り一か月ね。何事もないといいけれど」
穏便で平和に学生生活を送りたい。このまま第二王子とは関わることなく学園から去ってくれたら、残りの一年はのびのびとした時間を過ごせそう。
そう思っていたのに、このいざこざから一か月後。卒業パーティーが始まる直前に、私は予想外の不幸に襲われた。
「……よくも大勢の前で恥をかかせてくれたな! 呪われてしまえ!」
「きゃあ!?」
聞き覚えのある声とともに背後からなにかをぶつけられて意識を失い、気づいたときには身体の身動きが取れなくなっていた。
「(なに、なんなのー!?)」
重いなにかが視界を奪っている。呼吸が苦しくて酸欠になりそうだ。
まるで突然暗幕のようなもので身体を包まれたかのよう。
もごもごと出口を探して這いずり回っていると、突然私の視界が開けた。
「……ブタ?」
「(……はあ? この私にブタですって!?)」
それは私にとって禁句ですが! と怒りをぶつけようとした瞬間。この五年間ずっと避け続けてきた顔が間近から私を見つめていて、頭が真っ白に染まった。
「(ひ……っ! エルドレッド殿下……!)」
クインズベリー王国の第二王子、エルドレッド様は誰もが知っている有名人だ。本日めでたく卒業式を終えて、これから卒業パーティーに参加したら明日から学園とは無関係。
三秒見つめられたら恋に落ちると言われている男が、私の身体を抱き上げている。
なに、この状況!? 呼吸が止まりそうですが!
私はそれなりに筋肉があるので、華奢な令嬢ではないのだけど軽々と縦抱きしてるなんて。
「(下ろして、下ろしてください……!)」
必死になって訴えるが、先ほどからなんだか自分の声がおかしい。「ぴぎゃ、ぶぎぃ」としか聞こえないんだけど、嫌だわ。幻聴?
「よくわからないが、迷子だろうか」
「ぷぎぃぶひっ!(違います! 学園の生徒が迷子っておかしいでしょう!)」
「このドレスは? 何故ここに」
抱き上げられたまま地面を見下ろす。私が先ほどまで着ていたドレス一式が落ちていた。って、なんで? どういう状況!?
「ぴぎゃあ!?(ヤダ、まさか私って全裸!?)」
「こら、暴れるな。落としてしまうだろう」
「ぶぅ、ぶひぃん!(服をください! というか見ないでー!)」
全力で王子の腕から逃れようともがいてみるが、この男、意外と力が強い。
ひょいっと目線まで抱き上げられた瞬間、私は暴れることを忘れて固まった。
「お転婆な子ブタだな。飼い主はいないようだし、お前はしばらく私が飼おう」
「……っ!?」
一部では表情筋が死んでいるという噂の王子が蕩けるような笑みを見せた。
ブタという禁句を言われて怒るのも忘れるほど、私は呼吸を忘れてその笑顔に魅入ってしまったのだった。
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