第2話

 かわいいものが好きだ。叶うなら美しいものだけに囲まれて生きていたい。

 身の回りにあるものは全部お気に入りのものたちだけ。繊細な透かし編みが美しいレースのハンカチに、職人が一点ずつ丹精込めて作り上げた芸術的な髪飾り。薔薇の香りが芳しい香水はローズウッド家お抱えの調香師が作り上げた贅沢な一級品。

 毎日時間をかけて丁寧に手入れをした薔薇色の髪は艶やかで、形よく整えた爪の先まで隙はない。


「ふふふ、今日の私も絶好調だわ」


 私が自分の醜さに気づいてから毎日欠かさず大嫌いな運動をして、無駄なぜい肉を削ぎ落として、なんとかこそげ落として、体内から美しくなれるように徹底的に食生活を見直して肌の手入れをして、外見だけを磨いても見た目だけだと馬鹿にされたくないから教養も身に着けて勉学に励んで……徹底的に自分磨きに励んでから早十年。

 ようやく自分のことを好きだと認められる私になれた。鏡を見ても劣等感を抱くことはないし、これ以上は無理じゃない? って思えるほど、自信に溢れた私になれた。


 甘いお菓子は太るから普段の間食は木の実だけ。砂糖よりも楓の樹液、食べるなら高たんぱくで低脂肪のものを。

 好きか嫌いかで選ぶんじゃなく身体の栄養になるかならないかが選択基準で、味は二の次。でも我慢のしすぎはよくないから、たまに自分へのご褒美も与えて、健康的で美しく成長できた。全部私の努力の結果だ。


 普段から姿勢を正し、お腹とお尻に力を込めて筋肉に負荷を与えて、立っているだけでも日々トレーニング。美は一日にしてならず。でも一日サボっただけで三日も棒に振ったような気がするのは何故かしら。太るのは簡単なのに痩せるのは倍の時間がかかるって、不公平にも程がある。


「見て、エリザベス様だわ!」

「今日もお美しいわね。薔薇の妖精みたい」


 ええ、そうでしょう? 遠慮せずにもっと言ってくれていいのよ?

 学園内を歩く足取りも軽やかだわ。下級生たちの羨望の眼差しを受けるだけで、私の中の自尊心が満たされる。


 ここはクインズベリー王国の王立パトリシア学園。

 主に貴族が通う全寮制の学園だけど、一割ほどは平民の学生だ。優秀な学生は授業料が免除と王宮での就職先まで約束されるため、勤勉な平民の生徒が多く集まっている。

 現在私は学園の五年生で十七歳。あと一年乗り切れば学園を卒業できる。

 ちなみに今年は第二王子のエルドレッド様が卒業されるので、卒業パーティーは荒れそうだと言われている。でもエルドレッド様が卒業されたら、残り一年は平和で平穏な学生生活が送れるだろう。


「まあ、同じ学園にいても、私は一度も喋ったことはないけれど」


 子供のときのトラウマが蘇りそうだから、自分から王子に近づきたくはないし決して近寄らないと決めている。

 本物の天使だと見紛うほどの美少年は、画家が筆を折りたくなるほど美しく成長された。御年18歳の美青年は、視線ひとつで女子生徒を恋に落とせるらしい。

 三秒見つめられたら恋に落ちるって、なにそれ怖すぎるでしょう。被害者の会が発足しかねない。

 煌めく金の髪に神秘的な紫の瞳。冷静沈着でクールな眼差しと、滅多に笑うことのない涼やかな表情がたまらなく素敵だと言われている。

 もしも王子が微笑んだりしたら、目撃した人間は全員失神するんじゃないかと馬鹿げたことが囁かれているけれど、否定できないのが恐ろしい。


 極論、関わらないのが一番! 貴族だからと言って、王族との繋がりを持たなければいけないなんて法律はないもの。近づきたい人が近づけばいいだけよ。

 うちの侯爵家はわりと放任主義だ。両親は年の離れた弟に愛情を注いでいるため、私のことには口を出してこない。私がふたりの愛情を否定して、甘い物を断って健康志向になった途端、彼らは私への関心を失ったらしい。すぐに弟が生まれたのも大きいが。


 全寮制の学園に入ってからは、一年に一度しか家族に会っていない。夏の長期休暇もギリギリまで領地には戻らないことにしている。

 来月の卒業パーティーが終わった後はしばらく寮でのんびり過ごして、最後の方に家族に会う予定だ。夏季休暇中は卒業後の進路を固めなくては。時間は平等に過ぎていくから、早め早めの対策が必要だわ。


「卒業パーティーに出ないで済む方法も考えないと」


 パーティーなんて面倒くさい。着飾ることは好きだけど、親しい異性や恋人、もしくは婚約者と一緒に参加というのは肌に合わない。今まではなるべく行事ごとは避けてきたけれど、今回は王子の卒業だもの。貴族令嬢としての参加は避けられないだろう。

 前日に食あたりでも起こそうかと考えていると、近くから女子生徒の声が聞こえてきた。


「あの、やめてください、放して……っ」

「なあ、君だってパートナーがいないならちょうどいいじゃないか。子爵家の僕が平民のエスコートをしてあげると言ってるんだ。光栄だろう?」

「そんな、困ります……」


 わあ……嫌な光景を見かけてしまった。

 人通りが少ない図書館の裏で、まさか平民の女子生徒に言い寄る貴族がいるとは。しかも謎に説明口調。状況がよく理解できたわ。


「私、もうパートナーの相手を見つけていて……」

「はあ? どうせ平民だろう? 貴族の申し出を断るのか!?」

「ひっ! ごめんなさ……」


 男子生徒が彼女の手首をギリッと握った。これはもう見過ごせない。


「その手を離しなさい」


 パシン! と扇で男の手を叩いた。日除け用に携帯している扇がここで役に立つとは。あとで傷がないか確認しなきゃ。


「なっ、邪魔すんな! ……ッ」


 威勢よく噛みついてきたくせに、私の顔を見た瞬間青ざめるってどういうこと? それに彼女の手首は握ったままだ。


「聞こえなかったのかしら。その汚い手を離しなさいと言ったのだけど」

「ひっ! エリザベス・ローズウッド……侯爵令嬢!」


 お化けでも見るような顔で悲鳴を上げるなんて失礼すぎるのでは? 命令通り手を放したのはよかったけれど、一度で聞き入れないとか駄犬なの?


「あなた、スフェーン寮生の4年生、ヘクター・ステイプルトンよね? 上級生に向けて悲鳴を上げるのはいかがなものかと思うけれど、か弱い女子生徒を人通りのない場所で脅すのはもっと姑息だと思うのよ。お前がまずしなくてはいけないことはなにかしら?」

「な、なんで僕のことを知って……」

「あら、私もこの国の貴族の一員ですもの。貴族たるもの、同じ学園内の貴族を把握しているのは当然のことでしょう? もちろん優秀な平民の学生のこともだけど。……それで、お前の口はなんのためについているの?」

「申し訳ありませ……」

「謝る相手が違うのではなくて?」


 腐っても貴族。平民に頭を下げることはプライドが許さないだろう。ヘクターの顔が真っ赤に歪んでいる。

 一応学園内では身分に関係なく平等に、という校則があるけれど、貴族と平民の間ではあってないようなものでもある。どこでも王族はもてはやされるし、とびきり優秀な平民は貴族から妬まれる。

 学園は社会の縮図でもあり、出る杭は打たれるものだ。なんとも嫌になるけれど、うまく折り合いをつけて生きるしかない。


「あの、エリザベス様! 私のことは大丈夫ですので、もうその辺で……」


 私を止めに入ったのは絡まれていた女子生徒。栗色の髪に緑の目をした小動物のようにかわいらしい。


「いいのよ、あなたはなにも悪くないわ。確かオパール寮生の4年生、ラナ・ティレットよね?」

「え? 同じ寮じゃないのに、私のことまでご存知なのですか?」

「もちろんよ。一学年下にとても優秀な生徒がいるから覚えているわ」


 成績は五指に入るほど優秀で、一学年に五名しかいない授業料免除組みのひとりだ。知らない人の方が少ないだろう。

 そして彼女は素朴でとても可愛らしい。大輪の花ではないけれど、可憐で控えめに咲くたんぽぽの花のよう。見ているだけでほっこりする。


 対して、ヘクターの成績は良くて中の下。私の視界に入れるのも嫌なほど体型も性格もだらしない。

 綺麗な花に惹かれるのは虫も人も同じだけれど、その花に自分が釣り合うと思っているなんて勘違いも甚だしい。大方、貴族の令嬢からは誰も相手にされなかったから、平民の女子生徒でも優秀でかわいいラナを狙ったのだろう。

 ならばせめて身なりを整えてからにしろ! ヘクターの後ろ姿をギリッと見つめる。


「お待ち、ヘクター・ステイプルトン。どこへ逃げる気?」


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