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   6


 二人で食事をするのも珍しくはなくなった頃、いつもは自制しているのにも関わらず、その日に限って彼女は理性のたがが外れるほどに飲んでしまった。


 彼が仕事で大きな成果を出したからだ。そのお祝いに、と普段よりも少し良い店で食事をした。彼自身はその成功を何とも思っていないようだった。それでも彼女が褒めると、照れたように肩を竦めた。


 だがそれも成功に関しての感情ではない、あくまでも彼女の賞賛に対する反応に過ぎなかった。自発的な喜びは持ってはいなかった。彼女の喜びを反射して、そうした動作をしただけだった。彼女は自分の喜びが映し出されるのを見、その感情を更に強めた。自らが発して反射される感情は、自分と鏡との間を反復して輝きを増した。


 彼ではなく、彼女が浮かれていた。


 その浮付いた気分と酩酊の勢いで、彼女は彼に愛の告白をした。


 彼は少し驚いていた。それを見て彼女は若干不快になった。これまで彼女に愛されて喜ばない男はいなかったからだと、彼女は不快さの理由をそれだと思った。


 告白の返事は一時保留ということになり、その日は別れた。




 7


 断られたわけではない。その後も彼女らは仕事終わりに食事をしたり、軽く飲みに行ったりした。その上、今では彼の方からも誘われるようになっていた。


 休日を共にするようにもなっていた。彼女が誘えばどこにでも来た。流行りの映画を観にも行き、他県のフェスにも同行した。雑誌で紹介された洒落たカフェにも行って来た。この店は彼女のお気に入りとなった。


 内面がないのと同様に、彼には趣味というものがなかった。人並程度に映画を観、ゲームもする。しかしそれは人がやっているから真似ているだけの行動に過ぎなかった。もしも彼女が止めさせたとしても、彼は惜しみもせずにきっぱりと止めただろう。その点においても彼は空虚な人間だった。


 彼女は彼を様々な場所へ連れて行き、種々の遊びを経験させた。表面上は楽しそうに振る舞っていた。いや、楽しかったのは事実だろうが。そんな様子を眺めつつ、彼女は心の奥底では、彼の内面に何も残らないのを願っていた。


 彼女は空虚な器に多くの趣味を詰め込もうとした。その作業は彼女にとって楽しかった。たとえすぐに零れ落ちてしまうとしても。感動のように見えたものが明日には失われてしまうとしても。むしろそうであったからこそ、彼女はそれに夢中になった。


 たとえ心に残っていなかったにせよ、その記憶が失われてしまうのではない。むしろ逆に彼は全てのことを覚えていた。彼の内面は白紙であったからだ。彼は経験を記録として残して行った。そこに情感はない。単なる情報だった。


 そして彼は相手の望むがままに、その記録を取り出して、会話の端に載せるのだった。内側が透明であったとしても、記憶とそれによって為される会話は常に適切だった。


 彼女は堪らなく楽しかった。そしてまた別の経験を彼の中へ流し込もうとした。




   8


 和やかなデートは繰り返され、穏やかな付き合いが続いた。その関係に彼女は満足していた。幸せな日々だった。自分の好みgoûtに合った生活を送っていた。


 ただ時折、彼女が不快感を覚えることもあった。それは何時かの日のように、彼が自身の感情を出す時だった。彼女は眉を顰めた。それは彼ではない。




   9


 波乱のない順調な交際に彼女は満足していた。自分の思うがままだった。愛おしく空虚で愛らしい彼との遊びはこの上なく楽しかった。それは一人遊びに似ていた。自らの内面が彼を通して反射される空想的とも言えるその関係性は、一種の人形遊びであった。


 そんな彼女の相手をする彼もまた幸せそうだった。彼女も、彼も、両者ともに満たされているように見えた。何物もこれを乱すことはない。彼女はそう信じ切っていた。

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