第3話 泉のほとり
西に向かって飛ぶ子どもたちの目の前に、森が近づいてきました。
木のほとんどない荒野の中ですが、そこだけは大木が隙間のないほど生えていて、枝と枝を絡み合わせています。
獣と怪物と魔法に守られている魔の森です。
迫ってくる森を見ながら、ポチが言いました。
「ワン、森の中央の結界が解いてありますよ。長老が待ってるみたいだ」
魔の森の中央には金の石に囲まれた泉があります。真冬でも草におおわれて花が咲く魔法の場所ですが、普段は泉の長老の結界で守られていて、人には見ることも入りこむこともできないのです。
「直行しよう」
とフルートが言ったので、ポチはいっそうスピードを上げて、森の真ん中へ飛んでいきました。
フルートとゼンはポチの背中から眼下の景色を見下ろしました。
空から泉に行くのは初めてです。木の葉が作る緑の海の上を飛んでいくと、穴があくようにぽっかりと木がとぎれた場所があって、穴の底で泉が空を映して輝いていました。泉の縁を取り囲む金の石がまぶしいほどにきらめいています。
泉に向かってポチが下りていくと、泉のそばに人影が見えてきました。
長い白い髪とひげの老人と、光そのもののような銀の髪とひげの立派な男の人です。老人は光の加減で色合いが変わる長衣をまとい、男の人は星のようなきらめきを放つ黒い衣を着て金の冠をかぶっています。
子どもたちは思わず声を上げました。
「天空王――!?」
すると、黒衣の天空王が空を見上げて言いました。
「来たな、勇者たちよ」
子どもたちは泉のほとりに降り立ちました。ポチはすぐに風の犬から子犬に戻ります。
フルートは老人と王に駆け寄って頭を下げました。
「お久しぶりでございます、長老、天空王様」
ゼンとポチも深々と頭を下げます。
泉の長老は二千年以上にわたって魔の森と泉を守ってきた魔法使い、天空王は空と正義をつかさどる天空の国の王です。二人とも、計り知れないほどの魔力を持った、偉大な自然の王でした。
「よう来た、フルート、ゼン、ポチ」
と長老が子どもたちに話しかけてきました。長老は岸ではなく、いつものように泉の水面に立っていました。長い長い髪とひげの先は、水に同化して見えなくなっています。
フルートは、もう一度丁寧に頭を下げました。
「金の石を通じて呼ばれたので参りました。何があったんでしょうか?」
すると長老は静かに言いました。
「まだようわかっておらぬようじゃな。わしには、金の石を呼び覚ますことも、石でそなたを呼ぶこともできん。金の石が目覚めたのは、石自身の意志によるものじゃ。世界にまた大きな闇が迫ろうとしておる。それを石が感じ取ったのじゃよ」
「私は別件でここに来ていたのだ」
と天空王が言いました。
「だが、金の石が目覚めてそなたたちがここに来たのであれば、それも闇の動きと無関係なことではなかったようだな」
天空王が横へ一歩動くと、黒い衣の陰から小柄な少女が現れました。同じ黒い星空の衣を着て、赤い髪をおさげに結っています。
少年たちはびっくりしました。
「ポポロ!?」
天空の国の少女は、宝石のような緑の瞳にいっぱいに涙をためていましたが、声を聞いたとたん駆け寄ってきて二人にしがみつきました。
「ルルが、ルルが――!」
としゃくりあげながら言います。
「ルルが、いなくなっちゃったの! どこにも見つからないのよ――!」
わああっと声を上げて泣き出してしまいます。
ポポロは元々とても泣き虫です。
非常に強力な魔力を持っているのに、なにかにつけ泣いてばかりいて、フルートたちを困惑させます。
けれども、この時のポポロの泣き方は
足元からポチが尋ねました。
「ワン、ルルがいないんですか!? いつから!?」
ルルはポチと同じもの言う犬で、風の犬に変身してポポロを乗せて空を飛ぶことができます。
けれども、ポポロはとても答えることなどできない状態でした。少年たちにしがみついて大声で泣き続けています。
フルートは助けを求めるように天空王を見上げました。
天空王は難しい顔をしていました。
「ポポロが話したとおりだ。犬のルルがどこにも見つからない。私のこの天空王の目を持っても、海王や渦王の海の目をしても、天空の国はもちろん、地上にも、海の上にも中にも、どこにも姿が見あたらないのだ」
ゼンはいつの間にか身をひいて、泣いているポポロをフルートひとりに任せていましたが、天空王の話を聞いて、うーん、とうなりました。
「こんなことはあんまり言いたくないけどよ。死んじまって、この世からいなくなっていたら、いくら天空王や海王たちだって見つけられないよな?」
とたんにポポロが悲鳴を上げたので、「ゼン!」とフルートは言いました。
ポチもウーッと唸ります。
「ワン、あまり変なこと言わないでください! ルルが死ぬわけないでしょう!」
仲間たちからいっせいに非難されて、ゼンは思わず首をすくめました。
すると、天空王が言いました。
「断言はできないが、死んではいないだろう。例え何かに殺されて体も残らないくらい消滅させられたとしても、私には存在の痕跡が見えるのだ。だが、ルルについては本当にまったく存在が感じられない。だから我々の目の届かない地下に連れ去られたのではないかと考えて、泉の長老を訪ねていた。泉は地下から湧き出すからだ。だが、そなたたちもここに来たということは――」
「闇……ですね? ルルは闇のものに連れ去られたのかもしれないんだ」
とフルートは言って、泣いている少女の横で揺れるペンダントを見つめました。ペンダントの真ん中では金の石が輝き続けています。
天空王はうなずきました。
「金の石が目覚めて勇者を呼んだからには、何かが始まる。大きな闇がまた世界に魔の手を伸ばそうとしているのだ。ルルはそれに巻き込まれた可能性が高い。なにしろルルは勇者の仲間の愛犬だ。敵からは目をつけられやすい」
それを聞いて、ポポロはいっそう激しく泣き出しました。
「ルルが、ルルが死んじゃってるかもしれない――! 地面の底に引き込まれて――そこで――死んじゃってるのかもしれない――! いやよ、そんなのいや! ルル――!!」
とても慰めることなどできなくて、ゼンとポチはほとほと弱り果てました。
フルートも困惑していましたが、急にぎゅっと厳しい顔になると、ポポロの両肩をつかんで自分から引き離しました。
「ポポロ、泣かないで。ぼくの質問に答えるんだ」
フルートの声が険しかったので、ポポロは驚いて、思わず泣き声を呑みました。
「東の大海で戦ったとき、君はぼくの声を聞いて駆けつけてきてくれたよね。どんなに小さな声でも、ぼくたちの声なら聞こえるからって──。ルルは君のお姉さんみたいな大事な家族だ。もしもそのルルが死にそうになったら、ルルは君を呼ばないと思うかい? その声は、君に届かないと思うかい?」
たたみかけるように尋ねてくるフルートを、ポポロは涙ぐんだ目で見つめ返しました。混乱する頭で、フルートが何を言おうとしているのか、必死で考えています。
そんな彼女に、フルートは力を込めて言いました。
「君はルルが死にかけて助けを求める声を聞いてないよね? だったら大丈夫。ルルはまだちゃんと生きているんだよ」
ポポロは大きく目を見張りました。確かにそうだ、と思い当たったのです。
フルートが安心させるように大きくうなずき返します。
すると、ポポロの目にまたどっと涙があふれてきました。結局やっぱり泣いてしまうのですが、今度はさっきまでのような恐怖の涙ではありませんでした。
ポポロがフルートの胸に顔を埋めて泣き出したので、ゼンは肩をすくめてつぶやきました。
「やるなぁ、フルート……」
フルートは天空王と泉の長老を見上げました。
「天と地と海にルルが見あたらないということは、ぼくたちはどこを探せばいいんでしょうか? 地下に潜ってみるべきですか?」
「いや。我々の目には見えなくなっているというだけのことだろう。地下以外の場所にいる可能性は高い」
と天空王は答え、
「我々は光の一族だ。天空王である私も、海の王である海王や渦王も、ここにおられる泉の長老も、住まう場所は違っているが、もとは同じ光の仲間であり、我々の魔力も光の力から生まれてきている。光と闇は
ゼンがふーんと唸りました。
「天空王たちも案外とできないことが多いんだな。確か、
すると、泉の長老がたしなめました。
「言ったはずじゃぞ、ゼン。我々は全知全能ではない。おまえたちが意外に感じるほど、多くの制約と契約を抱えておるのじゃ」
天空王も言いました。
「私は確かに天と地の出来事をすべて見ることができる。だが、私に直接手を下すことが許されているのは、天空の国と空の出来事だけだ。私は地上の出来事にじかに関わることを許されてはいない。地上は人や獣たちの生きる世界だからだ。地上に悪しき出来事が起こったときに、私ではなく貴族が降りていくのはそのためだ。私は、契約の交わされている場所以外の地上には、下りることさえできないのだ」
フルートたちは驚きました。
「でも、天空王はこうして今、地上にいるだろ?」
とゼンに言われて、天空王は笑いました。
「ここが長老の治める場所だからだ。私にも立つことが許されている場所なのだ」
すると、泉の長老がまた言いました。
「光の一族の中で、ひとりだけ、闇のすることを見ることができる者がおる。その者は、世界の出来事を見通す目を得る代わりに、世界の出来事に関わる力を捨てた。そして、自分を訪ねあててきた者にだけ、知恵と助けを与えてくれるのじゃ。そなたたちはすでにその者に会っておるぞ」
フルートとゼンとポチは顔を見合わせました。思い当たる人物がいたのです。
ほとんど泣きやんでいたポポロが声を上げました。
「おじさんだわ! 白い石の丘のエルフの……!」
長老はうなずきました。
「
天空王が厳かな声で言いました。
「勇者たちよ、彼のもとへ行くのだ。物見の丘の賢者なら、そなたたちに知恵を授け、進むべき道を示してくれるだろう。そして、ルルを救い出し、世界に迫る闇の手を追い払うのだ」
それは正義の王の命令でもありました。子どもたちはまた顔を見合わせると、大きくうなずき合いました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます