第4話 出発

 行き先が決まれば、次は道中の算段でした。

 エルフがいる白い石の丘はロムドの国の南のはずれにあります。歩いていけば一ヵ月以上かかってしまう道のりです。


 ゼンが泉を見ながら言いました。

「そういや、この泉の底は前に魔法で東の大海とつながったよな。あんなふうに、エルフがいる場所の近くの泉かなんかにつなげられないのか?」

 彼らは前の戦いのときに「人魚の涙」と呼ばれる魔法の真珠を飲んだので、水中でも平気で移動することができます。


 なかなかよいアイディアのように思えましたが、泉の長老は首を振りました。

「残念ながら、それはできんな。物見の丘の賢者の元には、どのような手段であれ、自分たち自身で訪ねていかなければ、決してたどりつくことができん。その道のりに近道はない。知恵に至る道というのはそういうものなのじゃよ」

 ゼンは大きく肩をすくめました。まったくめんどくさいな! と心の中で言っているのが、見ただけでわかりました。


 すると、天空王が言いました。

「そなたたちの案内役を呼ぼう──。来たれ!」

 空をふり仰いで呼びかけると、青空の彼方できらりと何かが光り、星のようなものが二つ近づいてきました。昼間でもはっきりと見える明るい星です。

 やがてそれは大きな白い翼に変わり、翼が生えた二頭の白馬になりました。白馬は翼を打ち合わせて、まっすぐ空を駆けてきます。

「ペガサスだ!」

 と少年たちは声を上げました。天空の国に住む魔法の生き物です。


 二頭のペガサスは大きな羽音を響かせながら、ふわりと泉のほとりに下り立ちました。

 信じられないほど白くて美しい体と翼をしています。流れるたてがみと尾は、まるで金糸の束のようです。

 天空王は言いました。

「誇り高き天の馬たちよ。この子どもたちを物見の丘の賢者の元まで送ってもらいたいのだ。世界にまた闇の手が迫っている。勇者たちを道しるべの元へ送り届けねばならん」


 ペガサスたちは、天空王にさえびることなく堂々と向き合っていました。

 青い目を鋭く光らせて答えます。

「我々は天空の馬だ。天空の民以外の者には手を触れることさえ許さないのだが、天空王のたっての頼みとあれば、我々の決まりもあえて曲げよう。乗るがいい、人の子たち。おまえたちが我々を侮辱するようなことをしなければ、物見の丘までおまえたちを運んでやろう」

 聞いているだけで、天の馬たちのプライドの高さが伝わってくる言い方でした。

 ゼンはむっとした顔になりましたが、フルートは丁寧に頭を下げました。

「ご厚情こうじょうに感謝します。どうかぼくたちを賢者のところまで連れていってください」

 ペガサスたちは、それでもちょっと耐えかねるようにブルルと鼻を鳴らしましたが、フルートが手をかけても振りほどこうとはしませんでした。


 フルートは仲間たちを振り返りました。

「ぼくとゼンが一頭ずつに乗ろう。ポポロはどっちに乗る?」

「え?」

 ポポロは一瞬迷うような顔になりましたが、即座にゼンが言いました。

「そりゃもちろんフルートのほうだ。風の犬の戦いのときにも一緒に馬に乗ったんだから、そっちのほうが慣れてるだろう?」

「ワン。じゃ、ぼくはゼンのほうに乗っていいですね? ゼンの荷袋に入れてもらえば大丈夫だと思うんだけど」

 とポチはぴょんとゼンに飛びつくと、肩に前足をかけてささやきました。

「ワン、ぼくも気を利かせましたよ。これでいいんでしょう、ゼン?」

 ポチもフルートがポポロに寄せる気持ちには気がついています。

 ゼンは苦笑いしながらささやき返しました。

「おう、上出来だ」

 ――本当は、ゼンもフルートとまったく同じ気持ちをポポロに抱いています。自分のほうこそポポロを前に乗せたくてたまらないのですが、本音は口に出しません。


 子どもたちが二頭のペガサスに分乗して出発しようとすると、泉の長老が話しかけてきました。

「そなたたち。大事な仲間をもう一人忘れてはおらんか?」

 子どもたちは、はっとした顔になりました。

 金の石の勇者の一行は、ここにいる四人と行方不明になっているルルで全員でした――謎の海の戦いに向かうまでは。

 海の戦いが終わったときに、もう一人だけ、仲間に加わりたいと言ってきた人物がいたのです。


 フルートが答えようとすると、それより先にゼンが言いました。

「メールのことだろ? そりゃ確かにあいつは仲間に入りたいって言ってきたけどよ、あいつは元々すごい気まぐれなんだ。それに、あんなでも西の大海の王女だぞ。西の大海とこことでは、世界の反対側くらい離れてるって言うじゃないか。いくらなんでも、海の王女様がこんなところまでは来るわけないだろう」

 なんとなく、どこか投げやりな口調でしたが、とたんに、ぴんと張り詰めた高い声が響きました。

「誰がすごい気まぐれだって!? あんなでも王女だなんて、言ってくれるじゃないか!」

 子どもたちはびっくり仰天して、声がした泉を見ました。その声には確かに聞き覚えがあります――。


 すると、金の砂を敷き詰めたような泉の底から大きな影が浮かび上がってきて、水面にぽっかり頭を出しました。

 黒光りのする魚です。

 その背びれに、緑の髪を一つに束ねた細身の美少女がつかまっていました。青い強い瞳で子どもたちを見上げて話しかけてきます。

「ちょっと。あたいを置いていくつもりだったのかい!? あんまりじゃないのさ!」

 西の大海をべる渦王の王女、メールでした。


 メールは濡れた髪を日の光に輝かせながら泉の縁に上がってくると、呆気あっけにとられている子どもたちに、にやっと笑って見せました。

「何ぽかんとしてんのさ。せっかく世界の反対側の海から駆けつけてきたんだよ。歓迎くらいしてくれたっていいじゃないか」

 色とりどりの花のようなそで無しのシャツに、ウロコ模様の短いズボン。格好といい、ことばづかいといい、渦王の王女は相変わらず全然王女らしくありません。

 フルートとポポロとポチは歓声を上げてペガサスから飛び降りました。

「メール!」

「メール、来てくれたの!?」

「ワンワン、わぁい! ほんとにメールだ!」

 駆け寄っていって、次々に手を握ったり足下に体をすり寄せたりします。


 一番最後にペガサスから降りたゼンが、呆れたように言いました。

「ちぇっ、おまえほんとに来たのかよ。ああ、これでまたうるさくなるな」

 メールは口をとがらせてゼンをにらみつけました。

「ホントにあんたってば、ご挨拶あいさつだよね。あたいのどこがうるさいってのさ。あんたのほうがよっぽど騒々しいじゃないか」

「俺は落ち着いてるぞ。だいたい、俺たちが今回旅するのは陸地なんだぞ。海の王女様に行けるのかよ」

「なに寝ぼけたこと言ってんのさ。あたいの半分は森の民だよ。陸歩きはあんたたちより得意なんだから。あんたがついてこられなくたって、待っててやらないよ」


 そう、メールは海の王女ですが、母親は森の姫と呼ばれた森の民です。

 二つの種族の血を引いているところは、人間とドワーフの両方の血を引くゼンと同じでした。

 口が達者たっしゃで全然言い負かされないところも、ゼンと同じです。

 とうとうゼンは吹き出してしまいました。

 ばん、とメールの細い背中をたたくと、声を上げて笑いながら言います。

「よく来たな、メール! また会えて嬉しいぜ!」

 メールは背中の痛みに顔をしかめていましたが、それを聞いて、にっこり笑いました。気の強そうな顔が急にかわいらしい表情に変わります。

「あたいもさ! また、みんなの仲間にまぜておくれよね!」

 勇者の一行の子どもたちは、笑顔で大きくうなずき返しました――。


「お久しぶりです、勇者の皆様方。今日は、海王様と渦王様のご命令で、メール様をお連れしました」

 と泉の中から黒い魚が丁寧に言いました。

 海王の家臣のマグロです。

 前回の戦いで魔王やドラゴンのエレボスを相手に子どもたちと大活躍した友人でした。

 フルートは泉にかがみ込むと、笑顔で話しかけました。

「マグロくんも元気そうで良かった。でも、どうして渦王たちはぼくらが出発することを知っていたのかな?」

「天空王様が、ポポロ様の愛犬のことを海の王たちにお尋ねになったからです。きっと勇者様たちが探しに出られるだろうとお考えになって、メール様をよこされたのです」

「もちろん、あたいが絶対に行くって言い張ったからなんだけどね」

 とメールが口を挟みました。この海の王女は本当におてんばで、じっとしていられないたちなのです。


「今回は私はご一緒できません」

 とマグロはとても残念そうに言いました。いくら人のことばを話せる魔法の魚でも、さすがにを陸を行くことはできないのです。

「勇者の皆様方の上に、海と空の守りが限りなくあることを祈っております」

「ありがとう」

 フルートはまたほほえんで答えました。


 子どもたちはまたペガサスの乗り手になりました。フルートとポポロ、ゼンとメールとポチという組み合わせです。

 泉の上やほとりから見送る者たちを振り返って、子どもたちは頭を下げました。

「それじゃ、行ってまいります」

「そなたたちに地の守り、水の守り、天の守りが限りなくあらんことを。今回も、金の石を信じていくのじゃぞ」

 と泉の長老が子どもたちの道中の無事を祈ってくれました。

 天空王も言いました。

「私たちは常にそなたたちのそばにいる。助けがほしいときには、忘れずに呼びなさい」

 マグロは泉の上に頭を出したまま、黙って子どもたちを見つめ続けていました。まるで自分の心だけでも一緒に送ろうとしているようなまなざしでした。


 子どもたちはもう一度深く頭を下げ、フルートがペガサスに呼びかけました。

「行こう!」

 白い翼が広がって、羽音と共に天の馬は空に駆け上がりました。

 あっという間に空の高みに上っていって、風に乗りながら白い石の丘がある方角へ駆けていきます。


 その姿が見えなくなるまでずっと見送ってから、天空王が言いました。

「長老。あの子たちは無事にルルを助け出すことができるでしょうか?」

「わからぬ」

 と長老は物思う目になって答えました。

「よどんでいる闇はあまりにも濃く深い。賢者にもその奥底が見通せるかどうか、定かでないほどじゃ。だが、あの子たちに見いだせる道は、今のところそこしかない。それを進むしかないのじゃ」


 すると、マグロが丁寧に口を開きました。

「偉大なる自然の王の会話に口を差しはさむご無礼をお許しください──。勇者様のご一行は、とらわれの者がいれば、命かけても助け出さずにはいられない勇敢ゆうかんな方々です。あの方たちなら、どんな困難が待ち受けていても、必ずお友だちを助け出されることと信じております」

「そうじゃな」

 と長老は空を見上げました。

「その純粋な勇気が、あの子どもたちの最大の力じゃ。それが闇を打ち砕き、仲間を救い出すことを、ただ祈るばかりじゃ」


 それきり長老は黙り込み、天空王と共に、子どもたちが消えていった空をいつまでも見つめ続けました――。

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