第1章 行方不明

第1話 花祭り

 フルートは待っていました。


 時は五月の始まり。東に向かって開け放たれた窓の外には、若草におおわれた荒野が広がり、リリカの茂みがそこここで小さなつぼみを鈴なりにつけています。

 あと二週間もすれば、赤や白のリリカがいっせいに花開いて、荒野は一年中で一番美しい季節を迎えるのです。


 フルートはえり刺繍ししゅうのあるシャツに深緑の上着とズボンを身につけて、よそ行きの格好をしていました。年に何回も着ることのない晴れ着です。少し癖のある金髪も、いつもより念入りに櫛でとかしつけてあります。

 けれどもその顔は、気合いが入った格好とはうらはらに、まったく浮かない表情をしていました。服がしわになるのもかまわず窓枠にもたれかかって、大きなため息をつきます。

「ほんとにどうしちゃったんだろう。忘れちゃったのかなぁ」

 ぼやくようにつぶやいて、荒野のはるか彼方かなたに目を向けます。

 地平線を描く荒野の向こうには、青空の中に浮かぶように、頂に雪を抱く北の山脈が見えています──。 


 子ども部屋の扉をたたいて、お母さんが入ってきました。お母さんも、普段着を青と白の細いしま模様のよそ行きに着替えて、のりがよく効いた白い帽子をかぶっています。

 お母さんは笑顔でしたが、窓辺で待ち続けている息子を見ると、すぐに笑みを引っ込めて困った顔になりました。

「もう時間よ、フルート。お父さんが馬車を玄関に回してくるわ。あなたも外に出ていらっしゃい」

 と呼びかけます。


「ポチに様子を見に行ってもらったんだよ」

 とフルートは景色から目を離さずに答えました。

「もうちょっとだけ。ポチが帰ってきたら、すぐに出るから」

 少女のように優しい顔をしているのに、どうして、フルートはなかなか頑固です。自分でこうと言いだしたら、他人がなんと言っても絶対に言うことを聞きません。

 そんな息子の性格を承知しているお母さんは、しかたなさそうにほほえむと、黙って部屋から出て行きました。


 フルートは窓にもたれたまま、またため息をつきました。

 早く来いよ、ゼン。置いてっちゃうぞ。

 心の中でつぶやいて腕組みします──。



 金の石の勇者フルートと仲間の子どもたちが、死闘の果てに魔王を倒した謎の海の戦いから、間もなく四ヶ月がたとうとしていました。

 それぞれの家に戻った子どもたちを待っていたのは、いつもと変わらない平凡で平和な生活でした。

 フルートは荒野のはずれに建つ自分の家からシルの町の学校に通い、放課後は子犬のポチと一緒にお父さんの牧場を手伝いました。

 北の山脈に戻ったゼンは、父親たちと一緒に山で狩りをしました。ゼンは、ドワーフには珍しい猟師の家系に生まれているのです。


 海から帰ってきたとき、ゼンは二晩だけフルートの家に泊まっていきました。ゼンが住む北の峰まではとても遠くて、何の準備もなしには、とても帰り着けなかったからです。

 あのときはまだ荒野を真っ白な雪がおおっていたし、ゼンも帰りを急いでいました。

 親友との別れが名残なごり惜しいフルートは、「五月の花祭りは綺麗なんだよ。また泊まりにおいで、一緒に行こうよ」と誘ったのでした。

 その後、一度だけゼンがよこした手紙には、間違いだらけの字で「自分の五倍もある大鹿を一人でしとめたと」と自慢そうに書いてありました。

 それから「花祭りには必ず遊びに行くから」と――。


 今日がその花祭りの日です。

 シルの町でも、いたるところに花が飾られて、広場には常緑樹の枝を飾ったポールが立てられました。

 けれども、それよりもっと賑やかなのは、シルの西隣にあるラトスの街のお祭りでした。色とりどりの花を敷き詰めた街道を、御輿みこしに乗った春の女神像が練り歩き、広場では老いも若きも男も女も、手を取り合って賑やかに踊るのです。

 たくさんの店や屋台が軒をつらね、見せ物小屋も建ちます。

 それは、冬の長いロムドの国に、ようやく本物の春が訪れたことを喜ぶお祭りでした。

 二日間の祭りの間、住人は仕事の手を休め、晴れ着を着て、花をき楽しく踊って春の女神を歓迎するのです。女神が作物や家畜を健やかに育て、やがて豊かな収穫の季節を招いてくれることを願いながら。



 フルートは三度目のため息をついて荒野を見ました。

 ゼンはやっぱり来ません。ポチもなかなか戻ってきません。

 フルートは急に淋しいような気分になって、ちぇっと小さくつぶやきました。

 冬が過ぎて春が来る間中、ゼンとまた会えることをずっと楽しみにしてきたのです。人間の街や祭りを見慣れていない彼に、あれを見せて、これも教えて……と楽しく空想しては、ポチと一緒に祭りの日を指折り数えて待っていました。

 でも、どうやらそれも期待はずれに終わりそうです。


 フルートはさらに目を上げて、広がる空を見上げました。空は朝の光の中で、どこまでも青く晴れ渡っています。

 雲影一つ見あたらない空を見て、フルートはまたなんとも言えず淋しい気持ちになりました――。


 すると、北の山脈がそびえる方向から、白いものが空を飛んでくるのが見えました。たちまち近づいてきます。

 それは、空飛ぶ犬でした。体の前半分は幻のような犬の頭と前足、後ろ半分は蛇のように長く伸びて青空の中に見えなくなっています。

 風の犬と呼ばれる魔法の生き物に変身したポチが、家に戻ってきたのでした。その背中には誰も乗っていません。

 フルートは四度目のため息をついて、窓辺から身を起こしました。

 しかたがありません。フルートはポチを出迎えると、お母さんたちが待つ玄関に行こうとしました。


 ところが、ポチはフルートの腕の中に飛び込むと大声で言いました。

「ワンワン、来ましたよ! やっと来ました! ほら――!」

 と白い子犬に戻って得意そうに窓を振り向きます。

 荒野の彼方から、白い砂煙が近づいていました。みるみるうちに、ダチョウに似た鳥に変わります。

 鳥は背中に小柄な少年を乗せて、ものすごいスピードで走っていました。朝日を浴びて少年の青い防具がきらめきます。

「ゼン!!」

 フルートは歓声を上げました。

 玄関になど、まどろっこしくて回っていられません。そのまま部屋の窓を乗り越えて外に飛び出していきます――。


 ゼンが土煙と共に止まりました。

 駆けつけてきたフルートとポチに、人なつこく、にやっと笑って見せます。

「よお。なんとか間に合ったな」

 懐かしい声、懐かしい明るい茶色の瞳――ゼンは全然変わっていません。

「遅いよ。もうちょっとで置いていくところだったぞ」

 フルートは文句を言いましたが、彼の目も笑っていました。こちらは頭上の空によく似た、鮮やかな青い瞳です。

「悪い。親父たちが走り鳥で鹿狩りに行ったまま、なかなか戻ってこなくてよ。ほら、走り鳥って俺たちんとこには七羽しかいないだろう? 親父たちが戻ってくるまで、出発できなかったんだ」


 ゼンは走り鳥から飛び下りて、フルートの前に立ちました。すばやく自分と友人の背丈を比べて、また、にやっと笑います。

「やったな。ついにおまえを抜いたぞ」

 フルートはたちまち憮然ぶぜんとして、口をとがらせました。

「また身長の話? まだ抜かれてないよ。少しだけこっちのほうが高いじゃないか」

「いやぁ、そんなことはない。絶対こっちが高くなったぞ。おいポチ、どうだ?」

 審判役を任された子犬は、抱き上げられて二人の頭を見比べました。

「ワン、ほとんど同じですね。見た感じでは全然変わらない。まったく同じですよ」

「そんな!」

「そんなわけあるか!」

 フルートとゼンは同時に不満の声を上げました。

 ゼンは人間の血を引いたドワーフなので、ドワーフ族の中では飛び抜けて長身です。一方のフルートは、この年頃の人間の子どもにしてはとても小柄なので、二人はしばらく前から、身長を抜いた抜かないで競い合っているのでした。


「ちぇっ、俺はこの前会ってから三センチ近く伸びたんだぞ。絶対におまえを抜いたと思ってたのに。おまえもちっとは伸びていたんだな」

「ちっとってのは余計だ。ぼくはこれから伸びるんだよ」

「俺だってまだまだ伸びるさ。見てろ。次には絶対に抜いてやるからな!」

「抜かれてたまるか。ぼくは人間だぞ!」

「はん。人間だから必ず背が高くなるとは限らないだろうが!」

「なんだって!?」


 本気になって言い争っているフルートとゼンに、ポチはあきれ顔になりました。

「ワン、背丈なんて、どうでもいいような気がするんだけど……」

 とたんに二人の少年は声を揃えて言い返しました。

「どうでも良くない!!」


 その賑やかな声を聞きつけて、フルートの両親が家の裏に回ってきました。

 ゼンが走り鳥の手綱を握って立っているのを見て驚き、すぐに笑顔になります。

「やあゼン、いらっしゃい。間に合ったね」

「良かったわ。フルートが待ちかねて大変だったのよ」

 とフルートのお父さんとお母さんが言います。

 ゼンは照れたように顔を赤らめると、ぺこりと頭を下げました。

「遅くなってすいません。これでも、三日三晩、ほとんどずっと走りどおしで駆けつけてきたんです。あとこれ、途中で捕まえたお土産です」


 ゼンが走り鳥のくらにぶら下げていた大きな七面鳥を外して差し出したので、フルートはあきれました。

「そんなの捕まえたりしてるから、間に合わなくなりそうになるんじゃないか。お土産なんて持ってくることないんだよ」

「馬鹿いえ、猟師が手ぶらで遊びに来られるか! それに目の前を飛んでいく見事な獲物を見逃すなんてのは、猟師の恥なんだよ!」

 ゼンはフルートと同じ十三歳ですが、プロの猟師としての意識はすでに大人並みです。


 フルートのお父さんは笑いながら言いました。

「せっかくのお土産だ、喜んでいただくよ。しばらく泊まっていけるんだろう? ハンナにご馳走を作ってもらおう」

「そうね、花祭りのメインディッシュに最高だわ。とりあえず物置の中につるしておきましょうね」

 とお母さんに言われて、ゼンはまた顔を赤らめました。

「料理は俺も手伝いますよ。猟師風の七面鳥の丸焼きなら得意なんです」

「あら、それは素敵ね。ぜひお願いするわ」


 お母さんに優しくほほえまれて、ゼンはまたおおいに照れました。普段、大人相手にいっぱしの口をきくゼンも、フルートのお母さんだけには、いやに素直になって口調までていねいになってしまうのです。

 ゼンは生まれてすぐに母親と死に別れて、お母さんというものを知りません。フルートの母親に、自分の母親を密かに重ねているのかもしれませんでした。

 そんな親友をフルートは冷やかすようにひじで小突き、ゼンが「なんだよ!」とむきになって言い返します。


 すると、子どもたちにフルートのお父さんが言いました。

「さあ、それじゃ出発しよう──と言いたいところだが、ゼンのその格好はちょっとまずいな」

「え、これじゃだめか?」

 とゼンは目を丸くして自分を見回しました。

 ゼンは布の服の上に青い胸当てをつけ、青い丸いたてとショートソードを腰に下げて、大きな弓と矢筒を背負った、いつもの格好をしていました。

 胸当てと盾は水のサファイヤでメッキされた魔法の防具、弓矢も狙ったものは絶対に外さないというエルフの魔法の武器です。


 お父さんは穏やかに言いました。

「春の女神は平和の神だからね。女神の祭りに争いごとに関係あるものを持ち込んじゃいけないんだよ。その格好では、街の入り口で追い返されてしまうなぁ」

「フルートの部屋で外してらっしゃい。今日はお祭りよ。戦いのことは忘れて、みんなで思い切り楽しみましょう」

 とお母さんにも言われて、子どもたちはすぐに家に向かって走り出しました。

 玄関に回るのがもどかしくて、また窓を乗り越えて部屋に入っていったので、お父さんとお母さんは、おやおや、と苦笑いしました。


 空は本当に雲一つなく晴れ渡っています。

 五月のさわやかな風が荒野から吹いてきます。

 今日は絶好の花祭り日和びよりになりそうでした――。

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