第1話

 どうして僕が生きているのだろう。


 死んだ方が良いのではないか。


 ――という議題については、僕は永続的に向き合い続けなければならないのだろうと、そう思っている。家族からも見放され、存在する場所を失い、精神病に罹患して、国民の義務であるところの勤労をもまともにこなすことができず、役立たずとして生きている。例えば僕の命を捧げれば誰かの命が助かるという状況に直面したのなら、僕は迷わずこの身体を差し出すだろう。そんな人生を、延々と送り続けていることにも限界が来る。二度、自殺しようとした。一度は失敗した。二度目は成功しそうになって、止められた。そしてその結果として、僕の人格は矯正される運びとなった。端的に言うのなら、精神病院への入院である。そうしてやっと退院した。それでも職務に就くまでにはまだ程遠い、恢復かいふくが必要である。通院を続けていた。そして、もうこれ以上生きることを強要されるくらいなら死んだ方がマシだ、と、三度目の自殺の敢行をしようとしたところで、僕はまたしても、止められることになった。そして結果として――。


「こう何度も殺人事件の調査を行うと、何だか死にたくなりますね――」


 と。


 政令指定都市郊外にある、さるマンションの一室にて。


 警察が敷いた立入禁止のテープをくぐって、僕――息杖いきづえ笛吹ふえふきは、思ったことをそのまま言った。


 それに対して、僕の隣にいる女性、七曲ななまがりこえは、


「ここで自殺は止めてよね、笛吹。遺体が一つ増えることになるわ」


 と、ほとんど反射的に答えた。


「でも」


 ――死にたくなりませんか、七曲さん、と。


 僕は問うた。


「こうして沢山人が死んでいるんだから、それが自分であっても良いんじゃないかって思うんですよね」


「どこの世界線に、殺人現場を見て希死念慮を彷彿させる助手がいるのよ。警察に聞かれたら面倒だから、いい加減その願望を仕舞いなさい。ほら、現場を良く見ておくのよ」


「はあ」


 この七曲声こそが、僕の現在の雇用主であり、僕の三度目の自殺を止めた張本人である。生活保護は、彼女に雇用されるようになってから、給料振込額が毎月の生活保護費を上回ったために、打ち切られた。まあ、他にも自立支援医療制度や、障害者手帳交付者への給付金などがあるから、困りはしなかった。むしろ給料が良すぎて辟易してしまうくらいであった。


 そして――僕の眼前には。


 首に鬱血した痕跡の残る、遺体があった。


 つい先刻まで、その遺体は、天井の照明からロープ状のもので吊るされていた。


 第一発見者の大家はその遺体に触れることはなく、そのまま警察に連絡、そして警察の手によって床のシートの上に降ろされ、丁度その頃、僕らが到着した、という塩梅になる。


 首吊り自殺――だと、直感的に思った。


 シートの上には、恐らく首を吊る時に利用したのであろう椅子と、後は異臭がただよっていた。首吊りは血こそ出ないが、空中に浮遊した状態で生命活動が停止するので、色々と出てしまうのである。しかしそれも慣れたものであった。首吊りの遺体を目にするのは、今月に入って五件目であった。


 しかし――七曲さんはこれを「殺人現場」と言った。


 殺人だ、と見ているのだろうか――これを?


 結びつくようで、妙に結びつかない。


 それこそ、死にたくなるくらいに。


 くびるだけならまだ理解ができる。


 所謂いわゆる絞殺や扼殺やくさつというものだ。


 この場合はロープの痕があるから前者だろう。


 しかし、敢えてその後に、首を吊らせる必要というのは、どこにあるだろうか。


 他殺を自殺に見せかけるため――とは言い条、その手間はやや凝り過ぎているきらいがあるように思う。


 他殺を、自殺に見せかける。


 推理小説などではよく見る文言ではあるけれど、それは場所が孤島であるとか、電波の届かない嵐の洋館であるとか、警察の直接的介入が難しい場面でしか意味を成さないのではないか、と僕は思っている。


 実際、自殺か他殺かの判別は、現場周辺の諸証拠で垣間見えるもの――であるらしい。その辺りは、流石警察と言った所だろう。科学がそうであるように、日夜捜査能力は進歩している。むしろ置きざりにされているのは、僕らの側かもしれない。いや、置き去りは、僕だけか。七曲さんは、常に前に進んでいるというイメージだ。現場には鑑識の人々が入って来たので、僕らはそれと入れ替わりになるようにして、外へと出た。外には大柄の警察官が立っていた。筋骨隆々の大男だが、柳眉な顔つきをしている。身なりを整えれば、何度見ても俳優か何かと見紛うような出で立ちの男――迂生うせ狭広せまひろ警部が、僕らに声を掛けてきた。


 その面持ちとは少々食い違う、少々高めの声である。


「よう、七曲探偵、そして息杖助手。事件の捜査協力、感謝する」


 ここでついでに紹介しておくと、七曲さんは探偵を、僕はその助手をやっている。


「感謝されるほどのいわれはないわ、迂生野。仕事だもの」


 七曲さんは、仕事用の笑みを浮かべてそう言った。


 表情は仕事用でも、敬語は遣わないのである。


「それより、被害者の身元はどう?」


「身元ね。やはりそれを聞くか――警察が目下調査中だよ。ただ、やはり今までの被害者と同じだと、俺は見ているね」


「成程」


 連続無差別絞殺事件――と、警察の中では表現されている。連続で無差別ということは、まあ要は連続性、意味性の特定に至っていないということになる。


 被害者に統一性はない――というのが、唯一の統一性なのだという。


 それが5回。


 神奈川県で2回、埼玉県で2回、今回の東京都で1回――この二週間で人死にが起きている。


 迂生野警部は、これを、連続殺人事件だと見ているのだそうだ。

ちなみに、どのあたりが連続しているのでしょうか」


「そりゃあ、被害者の殺されている手口が一致しているからだよ。紐状のものを使って、上から吊って扼殺されている。その吊られ方が統一されている。これは同一犯の可能性を強く示唆している。そして、これは最近分かったことだが、被害者の周囲の人間は、自殺に心当たりがないと言っている。統一性といっちゃあ、それくらいだな」


「心当たりがない死が、何でもかんでも他殺になりますかね」


「つい足が滑って、首が滑って吊っちまった、なんてことにはならないだろう、息杖。未必の故意にしても、舞台装置が出来過ぎている。だからこそ、これは連続殺人事件なんだよ」


「そうね。私もそう思う」


 と、七曲さんも賛同した。多数決なら、僕の負けである。


「これは、自殺に見せかけた連続殺人事件――だけれど、それ以上の共通点を見出すことができないのよね」


 資料を片手に、七曲さんは言った。


「その資料、僕も見て良いですか?」


「ええ、いいわ。あなたが見たら、何かまた発見があるかもしれないから」


 渡されて、資料を目にした。全く同じ手口で扼殺された(と推測される)五人の詳細情報が、事細かに記載されていた。




(続)

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