第36話 優しくしてくださいね?
「自分で言い出した手前、撤回する気はないけども……緊張するな、これ」
「家のベッド、隣には恋人。お互いの気持ちは一つ。ですが、ムードが足りないと思うんですよ」
「吸血にムードも何もないだろ」
別のことを連想するワードにすかさず突っ込むと、乃蒼はふふと笑った。
直接の吸血は俺にも副作用が現れる。
それをわかっていても言い出した俺の緊張を解そうとしたのだろう。
……まあ、それ以外にも緊張している理由はあるけども。
「俺はどうしたらいい?」
「仰向けに寝転がって頂けたら楽だと思いますよ」
「……それで、乃蒼はどこに噛みつくつもりで?」
「右肩を借りてもいいでしょうか。左肩は昔の噛み傷があるので、右肩に今の私を刻みたいなと」
…………。
「乃蒼って独占欲強めだったりするのか?」
「吸血鬼としての性質でもあるのかもしれませんね。灯里さんがいないと生きていけませんから、本能的に灯里さんを求めてしまう……みたいな」
理由としては納得できるけど、必ずしもそれだけではないと思う。
じゃないと左肩の傷が昔だから右に今の私を刻むなんて発想は出てこない。
「あ、でも寝転がるのは待ってください」
「まだなにかあるのか」
「そういうわけではないのですが……私が自分で灯里さんを押し倒す方がシチュエーション的に美味しいなと」
ほんのり頬を赤く染める乃蒼。
思わず呆れてため息が出てしまう。
乃蒼ってこういうところあるよな。
基本的には真面目だけど思想がピンク寄りっていうか。
「……乃蒼がやりたいならしていいぞ」
「絶対呆れていたじゃないですか」
「そうだけど、押し倒したところで素面なら吸血以外のことをする気はないだろ? そういうところは信用してる」
「……そんなことを言われたらどさくさに紛れて襲うなんて出来ませんね。信用を裏切りたくはありませんから」
肩を落として笑う乃蒼が、俺へ手を伸ばしてくる。
首と、腰に回された腕。
徐々に身体が近付き、柔らかな肢体と触れ合った。
目と鼻の距離。
穏やかな微笑みを湛えた乃蒼と無言のアイコンタクト。
さらに早まった鼓動に、乃蒼は気づいているだろうか。
「灯里さん……キス、してもいいですか?」
「…………乃蒼がしたいなら、いいけど」
「その言い方、好きじゃないです。灯里さんがしたくないならしません」
しません、と言いつつも、乃蒼の表情は不満げだ。
じーっと見つめてくる青い瞳。
空のように澄み切った青の奥が、揺れていて。
決して貶す意図はないけど、乃蒼ってちょっとめんどくさいところあるよな。
まあ、それが可愛いところでもあるけど。
「じゃあしようか、キス」
「……私のことをめんどくさい女とか思いませんでした?」
「…………しないのか?」
「誤魔化されてる気がしないでもないですが……します。灯里さんにリードして欲しいです」
そう言うなり、乃蒼は寮目を瞑って待機の姿勢に。
無防備に晒された唇へ、否応なしに視線が吸い寄せられる。
生唾を飲み込む。
キスなんて初めてだからわからないけど、なるべく気にしないことにする。
おもむろに顔を寄せ――乃蒼の唇に、自分の唇を重ねた。
沈むような柔らかさと、弾力。
僅かに湿ったそれとは触れ合う程度の接触のはずなのに、全然離れる気配がない。
溢れる多幸感が脳を満たし、未知の快楽に身が震えた。
いつまでもこうしていたくなるような誘惑を断ち切って離れると、乃蒼の瞼がゆっくりと上がっていく。
いつもは理知的な青い瞳が、蕩けていた。
「……キスって、すごいですね。幸せ過ぎて頭がふわふわしてます」
「……でも、冷静になると恥ずかしくなるやつだ」
「恋人だからいいじゃないですか」
「……だな」
ふにゃり。
さらに緩くなった笑みを交わして、示し合わせたかのようにまた唇が近付く。
二、三度と触れ合うだけのキスをしてから、乃蒼の手が胸に触れた。
込められた力は弱いものの、それが示す意図を理解して自分から身を倒す。
背を受け止めるベッドの感触。
仰向けになると、乃蒼が俺の腰に跨りながら見下ろしていた。
細身の身体はまるで重さを感じないのに、触れ合う身体がこれでもかと存在を主張してくる。
蕩けた眼。
リボンタイを解き、ブラウスのボタンを開ける指先の動きが妙に艶めかしい。
そんな乃蒼が覆いかぶさるように倒れてくる。
顔の両脇に突き立てられた腕。
壁ドンならぬベッドドン……語感悪すぎるな、なんて思考で意識を逸らさないと、極度の緊張で呼吸すら忘れてしまいそうだった。
さらり。
カーテンのように垂れ下がる白銀色の髪が頬を撫ぜる。
「……完全に頭から抜けていたのですが、肩から吸血するなら服を脱いでもらわないとダメでしたね」
「顔に脱がせたいって書いてあるぞ」
「これは必要性がある脱衣ですので私の願望とかではありませんからね?」
言い訳にしか聞こえないけど、そういうことにしておこう。
とりあえず「いいぞ」と伝えれば、乃蒼の手が制服の上着にかかる。
上着の袖から腕を抜き、シャツのボタンが上から順に開けられ、右肩だけを出すようにはだけさせた。
「男の肌なんて見ても面白くないだろ? 特段鍛えてもいないし、ひょろいし」
「…………」
「乃蒼?」
「……すみません。率直に言って欲情していました」
「言い方」
どこにとか何にとか色々尋ねたいところはあったけど、ひとまず保留。
「本当にいいんですね?」
「一思いにやってくれ」
「わかりました。これが初めての共同作業……楽しみですね、終わった後が」
「怖いこと言うな。……わかるだろ?」
「灯里さんも男の子なのがわかって安心しているところです」
俺の問いかけに乃蒼が微笑ましげに頷く。
というのも、乃蒼が俺の腰に跨っている都合上、アレがどうなっているのかも当然伝わるわけで。
好きな人……恋人にそんなことをされては反応せざるを得ない。
「心配していたんですよ? 私には異性として魅力を感じないのでしょうか、と」
「そんなわけないだろ。変な気を起こさないように耐えてるだけだ」
「吸血の後、どうなっているかわかりませんけどね」
「……ほんとにな」
「大丈夫ですよ。準備はしてありますので」
ポケットに乃蒼が手を入れ、中から取り出したものを見せてくる。
薄くて、小さな四角い袋。
それが何なのかくらいは知識があっただけに、息が詰まった。
「備えはありますのでご心配なく。まあ、いざそうなったときにコレを使うだけの理性が残っているかは怪しいですけどね」
「…………そうだな」
実物を見せられたせいか、その未来が現実味を帯びてしまう。
しかし、それより先にするべきことがある。
乃蒼が四角い袋を傍に置いて、右肩に顔を埋めた。
直後、熱くてぬめる舌が肩を這い、ぴちゃりと淡い水音が響く。
止血や麻酔作用がある唾液……改めて考えると相当ファンタジーな存在だ。
じっくり数十秒ほどかけて行われた丹念な下準備を経て、
「――いただきます」
耳元で囁かれたいつもの合図が告げられた。
「――――っ」
肩に走る鋭い痛み。
しかしそれも一瞬のことで鈍く弱いものへと変わった。
乃蒼が牙を埋めた肩を起点として、じんとした熱が広がっていく。
痛みよりも異物感の方が強いものの、拒絶するほどではない。
初めて乃蒼に吸血された時とは違って事情も分かっているため、焦りはなかった。
けれど、吸血の副作用は別だ。
直接の吸血は俺にも副作用が適用される。
そのせいか思考に邪なものが混じり、下腹部に力が籠るのを自覚していた。
その欲求に抗いながら、吸血を続ける乃蒼を抱きしめる。
力を込めれば折れてしまいそうなほど華奢な体躯を、精一杯に。
その温かさがあれば、理性を繋ぎ止められる気がした。
――そうして、どれほどの時間が過ぎただろうか。
「……はぁ…………っ」
顔を上げた乃蒼が、息を継ぐ。
そして、ゆっくりと身体を起こした乃蒼が、唇を赤い舌で舐める。
浮べるのはいつにも増して恍惚とした、妖艶さも帯びた笑み。
「……やっぱり、灯里さんの血は私をダメにしますね」
「乃蒼……離れて、くれないと」
「襲ってしまいそうですか?」
蠱惑的な笑みの問いかけに、無言で頷く。
腹の中で渦巻く欲求が、全然収まってくれない。
前はこんなにはならなかった。
理性で無理やりにでも押さえつけられたはずなのに、出来る気がしない。
でも、考えてみれば当然だと遅まきながら気づく。
あの時は乃蒼のことを異性として好きではなかった。
しかし今は好意があるわけで……増幅された感情が、止められない。
「私も灯里さんのことが好きすぎて、止まれそうにないんです」
だから、と。
耳元へ顔を寄せた乃蒼が、ふうと吐息を吹きかけて。
「――初めてなので、優しくしてくださいね?」
照れくさそうに囁かれた一言。
それを機に、頭の中で張り詰めていた糸が切れた気がした。
乃蒼を抱き寄せ、位置を逆転させる。
仰向けに寝た乃蒼を俺が見下ろす。
嬉しそうに笑む乃蒼の目じりには涙が浮かんでいた。
「……優しくできるように善処する」
「信じていますから大丈夫ですよ」
さあ、と視線で促す乃蒼。
俺もそれに応えるべく、可能な限り優しく身体を重ねた。
―――
うーんこれは全年齢(すっとぼけ)
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