第34話 一生傍にいて欲しい
告白の体で乃蒼を呼んだはいいものの、まさかのネクタイが曲がっていると指摘された挙句、乃蒼の手で直されたところで振り出しに戻った。
……俺の注意不足とはいえ、とても気まずいんですが。
「それと、私を呼んだのはやっぱり灯里さんだったんですね」
「やっぱり?」
「お手紙に差出人の名前がなかったので筆跡から予想していました。書き忘れみたいですし、緊張していたんですか?」
「……まじかぁ」
更なる追撃とばかりに乃蒼から知らされた失態にげんなりとした声を漏らす。
乃蒼が言うからには本当なのだろう。
何度も見直ししたはずなのに名前書き忘れるなんてあるのか?
あるんだなあ、これが。
……緊張しすぎだろ、情けない。
「私と話すのってそんなに緊張しますか?」
「家ならともかく学校で、しかもこんな場所に呼び出してともなればな。内容も内容だし、緊張するなって方が無理な話だと思うぞ」
告白の定番スポット、体育館裏。
下駄箱に手紙を忍ばせるなんて回りくどいやり方で放課後に呼び出したのだから、乃蒼も俺の用件はわかっているだろう。
「……まあ、なんだ。一応、乃蒼を呼びたてた用事はそういうことであってるんだけど――」
「そういうことではわかりませんよ」
にっこりと、揶揄うように笑いながら口にする乃蒼。
わかっていながら俺に言わせようとしているのが丸わかりだ。
誤魔化しは不要、という意思表示か。
理解が早くて助かる反面、俺の考えは筒抜けなのだと思うと素直に喜べない。
「…………ああ、そうだよ。俺は乃蒼に告白しに来た。これでいいか?」
「…………」
「乃蒼?」
「……すみません。そうだろうとわかっていたのに、改めて伝えられると胸がドキドキしてしまって」
急に黙り込んだ乃蒼だったが、ただ単に自爆しただけらしい。
でも、それは乃蒼が平常運転であることの証でもある。
「告白しに来たと言ったけど、その前に言っておきたいことがある」
「私もありますけれど、お先にどうぞ」
「じゃあ、遠慮なく」
話を意味なく長引かせたくはない。
ここは学校で、いつ他の誰がここを通りかからないとも限らないのだから。
息を浅く吸って、吐き出す。
冷静な思考を手繰り、緊張を遠ざけ、視線を正面へ。
銀髪青目、日本人離れした容姿をした美少女。
学園長の娘であり、人外の力を有する現代の吸血鬼。
血を与える代わりに自分の全てを俺へ委ねると告げてきた張本人であり、その通りに甲斐甲斐しく世話をやいてくれた。
そして、過去に幼馴染同然に仲の良かった相手で――乃蒼が初めて吸血したのは俺らしい。
乃蒼と再会したのは運命……なんて劇的なものではなく、色々な要素が重なった結果の必然と捉えることもできるだろう。
お互い覚えていなくて、関わりもなかった。
何事もなければ交わることなく高校生活を終えるはずだった。
けれど、偶然にも倒れていた乃蒼を目にし、吸血衝動によって血を吸われたあの日から自覚がないまま再び関わるようになり――今に至るわけなのだが。
「――まず、俺は乃蒼から与えられる対価の一切を放棄する」
開口一番に告げたそれを聞き、乃蒼の表情がさっと消える。
やや剣呑になった双眸が俺を映す。
「……つまり、灯里さんは私に血を与える気はないと、そう言いたいのでしょうか」
「違う。血は与える。でも、俺が対価を貰わないだけだ」
「っ! ……そうですか」
絞り出したかのような呟きは、吹き抜けたそよ風にすら掻き消されてしまいそうなほど弱々しい。
「――私には灯里さんが求めるほどの価値はない、と。流石に、ショックです。そればかりか与えられるだけで、恩返しの機械すら与えていただけないなんて」
「それも違う。乃蒼に作ってもらった料理がないと物足りなくなってしまったし、話せないだけで毎日に彩りがなくなった。乃蒼と出会って一か月くらい……それでこれなんだから、耐えられるわけがない」
「……だったら、どうして対価の一切を放棄するなんて言い出したんですか。灯里さんに求められたら何でもしますよ? むしろ求めてください。そうでないと、わたしの価値はないも同然です」
一歩。
乃蒼が近付いて、上目遣い気味に俺を見上げた。
手を伸ばせば容易に届く距離。
乃蒼ならば俺を強引に抱き寄せることもできるだろう。
しかし、その気持ちを堪えるかのように腰の傍で握られた手が震えている。
こうも献身的に求められることに、喜びを感じないわけではない。
しかも乃蒼がこんな風に迫るのは俺だけときた。
優越感が混じっているのも認めよう。
けれど。
|そんなものでは満足できないからここに立っているわけで《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》。
「ああ。だから自分の欲と正直に向き合って、自分の意思で決めた。これは他人の事情なんて一切鑑みない身勝手極まる願望だ」
乃蒼も何かを感じ取ったのか、押し黙る。
一瞬の静寂が、緊張と共にのしかかって。
喉が重い。
出かかっていた言葉が沈んでいきそうだ。
途方もない閉塞感と、伝えなければという使命感がせめぎ合い、思考が渋滞して余計なことを考えられなくなってしまう。
いや、俺が今考えるべきは目の前の少女――乃蒼のことだけ。
なけなしの勇気を振り絞り、口をこじ開ける。
「初めは異性として全然興味なかった。隣の席の完璧美少女……誰もが羨む存在と俺とでは全く釣り合いが取れないし、乃蒼も興味がなさそうだったから」
「――――っ」
「でも、乃蒼に血を吸われて色々話すようになってから、完璧でもなんでもないんだってわかった。学校での完璧な姿は他人を傷つけないための予防策。本当の乃蒼はよく笑って、冗談も言って、時々突飛なこともするむっつりさんだった」
「……むっつりさんは余計です」
すかさずむっと口先を尖らせながらの否定の声が挟まるも、本気で怒っている雰囲気はない。
喜色半分、困惑半分だろうか。
「毎日作ってくれる料理も弁当も美味いし、色々身の回りのことを世話してくれた。おかげでこの数日は大変だった。自分で作ると物足りなくて、乃蒼の料理が一層恋しくなるんだからな」
「…………そんな、こと」
「けど、一番感じたのは、乃蒼と話せないことの寂しさだった。いつもいた存在が隣にいないだけで、全然落ち着かなかったし楽しくなかった。気づけば乃蒼のことばかり考えていて、そんな自分に呆れ果ててた。乃蒼が離れた原因は俺なのにさ」
「違いますっ! それは私が、考える時間が欲しかったからで――ッ」
「ちゃんと二人で話せていたらこうはならなかったかもしれないだろ? だから俺も悪い。乃蒼だけの責任じゃない」
対話で互いの意思を擦り合わせられていれば、もっといい着地点を探せていたはず。
俺は乃蒼とならそれが出来ると信じていた。
あんな想いを伝えあったなら、なおさらだ。
「俺も考えたんだ。どうしたら俺と乃蒼の要望を満たせるかなって。で、思いついた。というか答えは目の前に転がっていたんだ。必要なのはそれを拾い上げる勇気と覚悟だけ。その結論を、伝えさせてくれ」
伝えるべきことは決まっている。
余計な装飾も、前置きも要らない。
ただ一つを、素直に伝えるだけでいい。
……なんて簡単に事が済むわけもなくて。
途轍もない緊張が腹の底から湧いてくる。
平衡感覚を失ったかのようにゆっくりと回り始める視界。
いつの間にか強く握っていた手には汗が滲んでいた。
浅くなった呼吸。
精一杯に息を吸い込み、吐き出して気持ちを静める。
ほんの僅かだけ緊張が和らいだものの、胸の動悸が収まらない。
ああ。
本当に。
ままならない。
「――灯里さん」
声がした。
透き通るような呼びかけが、緊張に凝り固まった意識に染み渡る。
ぱちり。
瞬きの後に明瞭さを取り戻した世界で、乃蒼の微笑みが咲いていた。
最後の最後までお膳立てされてしまったことへの申し訳なさも、自分への悔しさも、今だけは捨て置く。
そんな後悔は後でいい。
「乃蒼」
「はい」
「――俺は乃蒼が好きだ。一生傍にいて欲しい」
手を差し出す。
自覚するほどぎこちないそれが、乃蒼の前で止まる。
呼吸が止まる。
返答は、まだない。
たった数秒が幾重にも引き伸ばされた感覚に、自分を見失いそうになる。
それを引き戻したのは、手をそっと包んだほのかな冷たさ。
何度か感じたことのあるそれは、乃蒼の手の温度に他ならない。
「私こそ、一生傍にいさせてください」
繋がれた手。
辿った先で月のような微笑みを浮かべていた乃蒼と見合い、俺も笑った。
―――
ちょっとあっさりかなと思いつつも、まだやり残したことあるからね
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