第22話 穴があったら二度と日の目を見ないように埋めていただきたい気分です
とは言ったものの、だ。
吸血後のアレをどうするのか。
現実的には人目に付きにくいお手洗いなんかで済ませることになるんだろうけど……直接聞くのは憚られる。
とはいえ乃蒼が一番よくわかっているだろうし、心配には及ばないはず。
だから俺がするのは、乃蒼へ血を与えることだけ。
「いつも通りでお願いします。怪しまれるかもしれないので、長引かせないようにしますが……」
「焦らなくていい。二人には家庭環境のことで呼ばれたって言っておけば深入りされないと思う」
「……本当に助かります」
胸に手を当てほっと息をつく乃蒼だが、余裕がなさそうに見えた。
青い瞳がやや下、俺の手へと集中していて、吸血のために距離を縮めてくる。
「壁際の方でお願いします。窓際だと、どこかから見られるかもしれませんので」
乃蒼に押しやられるようにして壁を背にして向き合う。
間近に立つ乃蒼の息遣いが響いて、静かな教室へ溶けていく。
ただ、いつものように血を与えるだけ。
それに慣れたとは口が裂けても言えないけど……場所が変わるだけで変な緊張を感じてしまう。
学校。
勉学に励み、部活に汗を流し、青春を謳歌するための場所。
そんな場所で吸血をするのは、必要なこととわかっていても背徳感が拭えない。
格段に速く感じる心臓の鼓動。
二つの息遣いと、衣擦れの音の二重奏。
緊張のせいか、時間が間延びしている気さえする。
「手を、お借りします」
返事を待たずに乃蒼が俺の右手を攫い、口元へ持っていく。
結ばれた赤い唇。
妖しげな熱を帯びた眼差しが指先へ注がれていて落ち着かない。
本当にするんだな。
吸血衝動を起こした乃蒼に噛みつかれた時とは訳が違う。
あれは不慮の事故で、これは双方の同意によるもの。
「……灯里さん」
「なんだ?」
「こんな時に言うべきではないかもしれませんが、凄くドキドキしています」
照れくさそうに目を細めて微笑む乃蒼。
色白な頬は仄かに赤く染まっている。
学校では見せない、乃蒼の本当の表情。
それが俺にだけ向けられていることに僅かでも優越感を感じてしまうのは男の性なのだろうか。
「誰かにバレたらどうしようって話なら俺も同じだ」
「それもありますけど、秘め事って感じがするじゃないですか。空き教室で男女が人目を忍んでの逢瀬――少女漫画みたいなシチュエーションにちょっと憧れていたんです」
「相手が恋人じゃなくて悪いな。雰囲気がないだろ?」
「……そんなことありませんよ。灯里さんは、私の大切な人ですから」
俺の手が、乃蒼のひんやりとした両手で包まれる。
温かい俺と、冷たい乃蒼。
でも、心の温度は真逆な気がして、少しだけおかしく思えた。
乃蒼は俺を大切な人と言ったが、俺は乃蒼へそこまでの思いを抱けていないと思う。
良くも悪くも協力関係。
そう思い込んで自分を戒めないと、頼り切りになってしまいそうで怖い。
全てを委ねても、乃蒼は「いいですよ」と受け入れそうだから猶更だ。
まして、過去のことを知られたら――
「――いただきます」
慈しむかのように唱え、小さく開かれた乃蒼の口に人差し指が浅く咥えられた。
暖かく、ぬめる舌が指先を這う。
それから少しだけ深く咥え、八重歯の先が指の腹をつぷりと刺す。
瞬間、鋭く走る僅かな痛みで今日も始まったのだと思い知る。
またしても這う舌が求めるのは俺の血。
一滴も残さぬようざらりとした表面が押し付けられ、指の先まで舐め上げる。
「ふぁ……ん…………っ」
悩ましげな息継ぎの声に滲む艶やかさ。
一心不乱に指を舐る乃蒼のことはなるべく見ないように意識を遠ざけ――廊下から響く足音が耳に届いた。
誰かがいる?
鍵も閉めているから入ってこないけど、バレたら一大事だ。
「乃蒼、廊下に誰かいる」
軽く肩を叩いて伝えると、蕩けた双眸に理性の色が若干だけ戻る。
……が、指を舐めての吸血は止まらず、隠れるかのように身を寄せてきた。
「――――っ!!」
ほぼ抱き着く体勢に声を上げそうになるも、喉の奥で押し殺す。
押し付けられる制服越しの体温と、柔らかな胸。
脚の間に挟まる乃蒼の一回り細い脚。
絹糸にも似た銀髪が流れ、甘い匂いが鼻先を掠めた。
上目遣いで見上げられる様は庇護欲をかきたてるいじらしさがあって。
離れろと告げるのも憚られる状況に、俺の気持ちが飲まれつつあるのを感じた。
声は上げない。
身じろぎもしない。
息を殺し、感情を理性で押さえつけ、飲み下す。
俺の葛藤など関係ないと言わんばかりに乃蒼の吸血は続き――永遠にも等しい体感時間の後にリップ音を響かせながら指が解放された。
しかし、乃蒼は一向に俺から離れようとせず身体……特に頭と腰を擦りつけてくる。
頭は、まあいいとしよう。
問題は腰の方だ。
吸血後ということは、乃蒼は現在進行形で発情している訳で。
……下手なことを考えるな。
色んなものを押しのけて浮かんでくる妄想に蓋をしようと試みる。
その傍ら、またしても乃蒼の肩を軽く叩いて顔を上げてもらう。
この状況はお互いに色々とまずい。
今は良くても後で死ぬほど恥ずかしくなるに決まっている。
後から感じることになるやるせなさを少しでも軽くするため、顔を上げた乃蒼へ視線だけで訴えかける。
交わったのは恍惚と羞恥、罪悪感や背徳感が宿っている潤んだ瞳。
数秒だけ見つめ合い、逃げるように頭を振って再び顔を俺の胸に埋めた。
……本当に、誰にも見られるわけにはいかなくなった。
俺に出来るのは声を潜めて乃蒼の思うがままにされることだけ。
耳を澄ませても廊下からそれらしい足音は聞こえない。
誰もいないことを祈りながら、悶々とした時間を共有する。
背中や額に滲む汗。
まともな思考がままならない眩暈に似た感覚。
茹った思考が真っ先に導き出すのはピンク色の結論ばかりで、そんな自分が嫌になる。
「乃蒼――ッ」
それでも突き放したくなくて壊れ物みたいに華奢な身体をそっと抱きしめ、どうしようもない衝動を宥めるように背中を手で摩る。
すると唐突に乃蒼の身体が震え、腰に回されていた手にぎゅっと掴まれた。
それが何を意味していたのかなんて考えるまでもなく、考えるべきではないことで。
自分の気持ちを落ち着ける意味も込めてしばらくそうしていると、不規則に乱れていた乃蒼の呼吸が段々と落ち着きを取り戻す。
冷静になり、自分がどんなことになっているのかも理解したのだろう。
「っ! ごめんなさい……っ!?」
弾かれるように乃蒼が俺から一歩離れたが、勢い余って転びかけてしまったため乃蒼の身体を支えなおす。
乃蒼の顔は羞恥のあまり真っ赤に染まっていた。
「……焦らなくていいし、声も控えてくれると助かる。誰かに聞かれたらまずい」
「…………そう、ですね。ごめんなさい。本当に、その……私、なんてこと。穴があったら二度と日の目を見ないように埋めていただきたい気分です」
相当の後悔と罪悪感が込められた言葉を吐き出し、しゃがんで顔を覆いながら呻く乃蒼を慰める言葉を俺は持ち合わせていなかった。
―――
背徳感は最高のスパイスってね(?)
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