第3話

 バーのドアに本日貸切、と書いた札がかかっている。

 ……だけど無視をして、ドアを開ける。


 そして中に……アリサがいた。


 「…………アリサ…………」


思わず、小さく名前を呼んでしまう。


 雑誌の写真で見たばかりだけど、実際に顔を見ると、不思議な感覚に襲われた。

 懐かしくて、泣きたくなるような……。


 アリサは、カウンターで一人、グラスに入ったお酒を飲んでいる。


 向こうはまだ、私に気がついていないようだ。


 他に客はいない。一人で貸切、とは贅沢な話だけど、私にはちょうどいい。


 よし、入ろ……



「待ちな、嬢ちゃん」


……え?


 突然、上から聞こえる声。


 見上げると、筋肉むっきむきのコワモテの眼帯女がいた。

 身長も私より頭二つ分は高い。


 服装からして……、も、もしかして、このバーのマスター……?


「札が見えないのか?今日は貸切だ。帰んな嬢ちゃん」


「あわわわわわわ……」


こ、怖い!!

ひ、引き返そうかな……。

 い、いや!

 材料かみのけはもうないんだ、今日行かないと、全部が無駄になる!


 「そ、その、ゆ、勇者様がここに入るのを見かけて……」


 「やっぱりその口か。帰った帰った。勇者にもプライベートな時間くらい、許してやんな」


 「ひ、一目会うだけでも!」


 「あ?しつこいな。いい加減にしないと……」


 ぼきぼき、と手を鳴らすマスター。

 ひぃぃぃ、ど、どどどうしよ……!?


 「…………いいよ。中に入れて」

 

 バーのカウンターから聞こえる声。

 5年ぶりに聞く、アリサの声だ。


 「え?ま、まあアンタがいいなら、いいけどよ……」


 ……よし!思い通り!


 マスターは困惑しているけど、実はこの展開は読んでいた。

 マスターには普段の私が見えているけど、アリサにとっては、理想の、逃したくない、と思えるような姿に変わっている。

 一目だけでも私を見れば中に入れてくれるはずだと確信していた。


 ……まあ、アリサがこっちを見てくれるかが不確定で、結構焦っちゃったんだけど……。


 私は堂々と中に入り、アリサの隣の席に座った。


 アリサは、夢でも見るような、ぽーっとした熱っぽい目で私を見ている。

  第一印象はばっちりだ。


 さて、難しいのはここから。


 問題は次だ。アリサを誘惑しないといけない。

 大丈夫、昨日、小説を読んで勉強してきたんだ。なんとかなる。


 「ご注文は?」


 マスターが聞いてくる。

 

 ええっと確かこういう時は……、


「あなたのおすすめはあるかしら?」


 それっぽい口調で、アリサに尋ねる。

 ……ちょっと恥ずかしいなこれ……。


「…………」


 無言で、アリサが今飲んでいるお酒を指さす。

琥珀色のそれは……ウイスキーというお酒だったはず。


「そう。なら同じのをいただくわ」


マスターが、瓶を傾けウイスキーを注ぐ。


 それを受け取って、一杯煽る。


 ……何気に、お酒飲むのってこれが初めてかも。

 魔法薬を作る時に使ったりはするんだけど……。


 …………、に、苦っ!?な、なにこれ!?お酒ってこんな味なの??


うう、苦手だよぉ……。


 うぇっと吐き出したい気持ちを抑え飲み込む。

 の、喉が熱い。


 マスターとアリサがじっとこっちを見つめる中、


 「い、いいお酒ね。気に入ったわ」


 と言いつつグラスを置く。

 これからは飲んだふりをしよう。もう2度と飲まない。


 「…………」


アリサは何も言わずに自分のお酒を飲み干し、新しいのをもらっていた。

 ……よく、そんなに飲めるな……。


 それから、しばらく時間が経った。


 「…………」


 「…………」


 「…………」

 

 ……なぜか、誰も喋らない。


バーって、マスターと話すイメージがあったんだけど、アリサはそんなことはせず、無言で私を穴が開くほど見ながら、5分に一回くらいのペースでお酒をおかわりしまくっている。


 お酒には詳しくないけど、絶対そういう飲み方をするお酒じゃないと断言できる。


 マスターが口出ししてこないのは都合がいいんだけど、アリサが無言なのは困る。


 アリサが口説いてくるなら、それに調子を合わせればいいだけだったのに……、なんで何も言わないんだ?

 

 昔は明るく話しかけてくるタイプだったのに……。

 ……仕方ない!

 文字通り、私が一肌脱ぐしかない。

 

 昨日のスパイ小説を思い出しながら、私は胸を見せつけるように、服の首元の襟を持って扇いだ。


 「……ふ、ふう……お酒のせいかしら。あ、暑くなってきたわね……」

  

 ……うわぁぁ!!これ、めっちゃくちゃ恥ずかしい!!!

 マスターが、うわって顔でこっち見てるし!


 実際には、私に胸なんかない。が、多分アリサにはあるように見えているはずだ。

あの押し倒していた子はおっきかったし。


 誘惑と言えば定番中の定番って感じだけど……、あからさますぎたかな……?


 横目でちらりとアリサを確認する。


 ……まあ、とはいえ、成功してたとしてもそんなに明け透けには見てこないか……。



 ………………………………。


 

 ……め、めちゃくちゃガン見している。

 嘘でしょってくらい。


 よ、よしよし、効いてる効いてる……!


 ちょっと引くくらいには上手く行ったようだ。


 ……ていうか、こんなんで普段大丈夫なのかな。

 普段からこんなことしてたら、いくら英雄の勇者様とはいえ、みんなからドン引きだと思うんだけど。


 「…………」


 アリサは変わらず何も言わない。

 だけど、視線と、あと早飲み大会でもしてる?って思うくらい、1分に1回のペースでお酒を飲み干していることから、相当動揺していることが分かる。



 そのまま、アリサは何度目かわからないおかわりを繰り返し、瓶を10本ほど空にしたあたりで、マスターが、


 「もう終わりだ。帰んな。飲み過ぎだぜ」


 「…………まだあるでしょ」


 ……あ、ようやく喋った。


「あっ!勝手に瓶をとるな!飲み過ぎだって!」


す、すごい、あんなにムキムキなマスターの動きを片手で止めて、もう一方の手で、お酒をラッパ飲みしてる。


 勇者の徴が現れてから、身体能力が大幅に上がったとは聞いてたけど、こんなに凄かったんだ。


 水ですらこんなふうに飲めないだろうって勢いでお酒を全て飲み干すと、荒々しくカウンターに瓶を置き、次の瓶を取ろうとする。

 

 「あんたも見てないで止めてくれ!」


 マスターの悲痛な叫び。


 そ、そうだ。このままバカみたいに飲んでるのを傍観してたら、そのうち酔い潰れて寝ちゃうかも。

 そろそろ、トドメをささないと。

 

 かなり顔も赤い。お酒で酔っている証拠だ。


 ……今更だけど、実は、私の薬で変わるのは見た目とあと声だけ。

 だから、本来なら触ると見た目との違いでバレてしまう。

 だけど、今の酔っているアリサなら……ある程度の違和感なら誤魔化せるだろう。


 「ねえ、ちょっと待って」


ピタ、とアリサが動きを止める。あれだけマスターが止めようとしても止まらなかったのに。

 

 よし、今があのキラーフレーズを言うチャンス!


 私はアリサの手に自分の手を重ね、耳元で囁いた。


 「……二人きりになりたいわ」


 ……どうだ……?と、様子を伺うまでもなく、

 アリサの動きは早かった。


 触っていた瓶から手を放し、無言でカウンターにドン!と分厚い財布を置くと……、


 「……え?あ、ちょ、ちょっと……!?」


 私をお姫様抱っこで抱え、さっさとバーから出て行った。

 それはもう、ドアを壊す勢いで。


 「…………なんだったんだ、今夜のあいつは……」


 そうぼやくマスターの声は、私の耳に届かなかった。

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