第三章 罪のない者を探せ

第22話  失敗


 今日の仕事は、関東近郊の自然豊かな町の病院だった。


「茨城なんてほとんど来たことないなぁ」

ぼんやり呟きながら助手席から外を見る。冬の空は高く青くそして目の前には乾いた田んぼが穏やかに眠っていた。遠くには山が見える。


「この近くにも我々の教会はあるようですが、管区が違うので私もあまりこちらにくることはありません。そもそも見るものもなさそうですし。」


 アガタが彼女は決して口数が多くはないが、どちらかと言うと少ない言葉に思いを込める人だった。そしてしれっとヒドイ事を言っている。僕は茨城県民でもないけどなんとなくスルーする。

 冬の光線は鋭い、空気が澄んでいるからだろうか。アガタはよくサングラスをかけている。今日もそうだ。鼻梁が高いとかそんなことはないのに、この人はサングラスが良く似合っていた。


「トマスは元気にしてるかな」


函館に行ってもう一ヶ月になるが、全然連絡を寄越してこない。たまに思い出したように写真を送ってくるぐらいだ。どれも雪景色でつまらない。


「あれは元気にしてますよ、心配いりません。」

 そう言うアガタ口元が笑っている。


「前から気になってたんですけど、トマスとはどういう関係なんですか?」


 あら、そんなことに興味が?といいながら、


「私が養育しました。もっとも連れてきたのはピーターですが。昔からあの子は可愛くなかった」


 ちょっとコメントに困ったが、

「じゃあ、育ての親なんですね」


と、返すと、うーんとちょっと唸り、そしてまた少し考えて、


 「私は彼が勝手に育つのを見守るぐらいしかしていません。育てるだなんておこがましい。」


 そしてチラリとナビに視線をやりながら、

 

 「…多分彼もそう思っていることでしょう」


 聞こえるか聞こえないかの小さな声だった。だがどうだろう、マンションでの様子はトマスはアガタに全幅の信頼を置くどころか甘えてさえいたように見えたけれど。


 「ほら、あそこです。着きましたよ」


 ほどなくして目的地に着いた。車を停めるとアガタは懐中時計を確認した。アンティークのものだろうか。年季の入った鈍く光る金色の懐中時計。一度チラリと見えた文字は僕の知っているアルファベットではなかった、鏡文字のような不思議な文字だった。彼女が仕事の前にそれを確認するのがルーティンになっていることに気づいたのは最近のことだ。


 穏やかな晴天、いつもの冬の晴れた朝。手続きを済ませて僕達は病棟に入った。何も問題はない、全てはいつも通りだった。


※※※


 アガタがドアを開けると、初老の女性が眠っていた。換気のためだろう、窓が開け放たれている。


 「いくら天気が良いからってこんなに全開にしなくてもいいのに。この人風邪ひいちゃうよ」


 僕がぼやくと、アガタは何の感情も乗せずに窓辺に近づいた。


 「匂い、気づきませんでした?彼女は既に亡くなっています。」


アガタは窓の外の中庭を見ながら静かに窓を閉めた。でも確かに、こんなに寒い日は換気よりも香りの濃い花の方がいいかもしれませんね、例えば百合とか、と独り言ちた。


 「さて、始めましょうか」


 アガタが女性の額に手をあてて何か詠唱すると、いつものように小さく風が巻き、彼女の魂が現れた。小柄な若い和装の女性がベッドの横に立ちこちらを見て、


 『写真師の方ね、どうぞよろしくお願いします』

 

 そう言って頭を下げた。そして顔を上げ、まっすぐアガタを見上げた。その顔を見てアガタが息を呑んでいるのがわかった。彼女が腕力に訴える直前の緊張感にも似てるが、彼女から戦意は感じられない。


 「アガタ?大丈夫ですか?」

 

 アガタのただならぬ気配に、女性から目を離さないまま声をかけた。いつもならすぐにでも本人確認を始める彼女が微動だにしない、いや、むしろ動けないという感じだ。

 そんなアガタとは対照的に、女性はふんわり笑ってに近づくと、アガタをそっと抱きしめ嬉しそうに言った。


 『おきぬ』


 アガタの表情は、やはりいつもとほとんど変わらなかったが、それでも恐る恐る彼女を腕の中に収めると、確かめるように力をこめて抱きしめた。


「…小夜子さん」


おきぬは相変わらず力持ちね、と笑いながらいう彼女の声が聞こえた。

 

 僕の頭がついていかない。

 

 ただ、感動の再会であることだけはよくわかった。


***


 既に今日の未明に死亡宣告を受けていた小夜子だったので、遠方からの遺族が到着するまで時間があり、特に何かに急き立てられることもなく、小夜子とアガタは手を取り合って昔話をしていた。僕はすることがなく、そして横にいるのも憚るので、何となく窓辺に立って外を眺めていた。2人の話しが漏れ聞こえるが、何やらアガタが懺悔をしていて小夜子はそれを慰めているようで、そして小夜子もまた、何かを告白したようでアガタがハンカチで涙をぬぐっているのが見えた。

 あのアガタが泣いている。でも悲しいという感じでもない。小夜子は華奢でか弱い雰囲気だったが、今はどちらかというとアガタが大きな子供のようだった。決して空気を読んだわけではないが、僕は小夜子に軽く会釈すると部屋を後にした。


 病棟を出て、アガタ達の姿が何となく見える中庭のベンチに腰を下ろした。天気は良いものの日向ぼっこを楽しめるような気温でもなく、周囲に人影はなかった。時間としても公の面会時間前で病棟内は慌ただしくて誰も中庭にいる僕の存在に気づく者はいなかった。

 久しぶりに気が進まない仕事になった。

僕が彼女を撮影したら送還担当が来てまた転生の道を進むのだろう。あの口ぶりだと100年ぶりぐらいだろうか。遺族の到着が遅くなればいいのに。例えば…

 

 「お前、今悪いこと考えていたな?」


ベンチは中庭の金木犀の大木の下にあり、まさに頭上から声が降ってきた。

こんなところに人はいただろうか?

男は音もなく樹から降りると、僕の前に立った。背の高い亜麻色の髪の男。明るい茶色に鮮やかな緑が散る瞳は、どこか見覚えがあった。ただ、この男はどう見積もっても外国人だった。日本語喋っているけれど。


 「失礼ですけど、どちら様?」


ああ、そうかと呟きながら、

 

 「ニコラスだ、前橋教区の。別件があった帰りだ。この辺のものではない守護の気配を感じたので様子を見に来たんだ。」


 同業者と分かり、慌てて立ち上がると握手に応えた。確かに来る前に確認したらこの任務は前橋教区からの発信となっていた。


 あれ?なんかおかしくないか?


 なんで前橋の任務が僕たちのところに来ているんだ?実際アガタもこっちはエリア外だから来ることがないって言っていた。


 それに何よりニコラスと名乗るこの男、背中に真っ白く大きな翼がある。


 「ああ、お前これが見えるのか。」


 こともなげに言うと、折りたたまれたような翼は一瞬にして消えた。


 「イザヤ!」


 病棟の方からアガタの呼ぶ声が聞こえた。

 ニコラスはその声に聞き入るように目を閉じた。


 「ああ、彼女は全然変わってないね」


 嬉しそうに言いながら目を開くと、自分の口元に指を当てて、しーっと僕に向かってすると、小さな風を巻いて姿を消した。


※※※


 病室に戻るとアガタが殊の外優しい顔をしていた。

 『お待たせしてすいません。もう大丈夫です』

 小夜子が穏やかに言った。僕はさっきの男が、何かこの任務に関わるのか判断がつかずにいたが、アガタのことを知っているような口調だった。言うべきか言わないべきか一瞬悩んだが、小夜子を取り込んでからでも間に合うと思い、僕は一旦出かかった言葉を飲み込みカメラを構えた。

 

 彼女を映しながら視線を交わすと、既視感に襲われた。誰かに似ている、その少し釣り上がった目元、聡明そうな額、そしてうっすら口角が上がった唇を僕は知っている。


 「…ピーター」


 そしてその時僕はこの仕事を始めて初めて魂から視線を外してしまった。決して中断してはいけないと言われた行為。守護が写真師につく理由、それは魂をとりこむ途中に繋がりが外れるとこちらの魂を取られかねないからで、外部からの妨害行為を避ける為に僕達を『守護』してくれるのに。僕は動揺して咄嗟に画面ではなく本体に視線をやってしまった。


 「イザヤ!!」


 アガタの叫ぶ声がする。僕は何かを言おうとしたがものすごいスピードでどこかに引っ張られる感覚があり、あっという間に暗闇の中に飲み込まれてしまった。完全な闇に、耳の穴やら鼻の穴からも暗闇が入ってきそうな息苦しさを感じた。自分が目を開いているのか閉じているのかさえ怪しい。

 


ああ、僕はやらかした…




 

 


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