第19話 歯車


  マヤから託されたトナカイの置物を母親に渡すべく、僕は葬儀社から連絡して訪問の約束を取りつけた。

  何と言って渡すのか考えたが、ありのまま伝えても不審に思われるだろうし、会場に置き忘れがあったと渡すのが妥当だろう、と考えて玄関のドアが開くのを待っていると、やがて中から彼女が出てきた。


 持たされている葬儀社の名刺を渡しながら名乗ったが、彼女は僕の名刺には目もくれず、僕の顔をじっと見つめている。何だかいやな予感がして、一刻も早くこの場から立ち去りたくなり、トナカイの置物を差し出した。


 「葬儀場の控室にありまして、椎名さんの忘れ物かと思いまして」

 

あの日、あの部屋を使用したのは椎名さんのみだったので、とダメ押しで付け加えた。

 彼女は僕の話しを聞いていないかのように、そのトナカイに手を伸ばしたかと思うと、そのままその場に崩れ落ちそうになり、慌てて彼女を抱きとめた。呼吸はしているものの、意識を失った彼女の顔色は真っ青で呼びかけにも応えなかった。外で(厳密には敷地内ではあるが)家の中ではないところで倒れられ、ドアは閉まってくるし、僕はとりあえず彼女を引きずるように家の中に運んだ。完全に力が抜けた人間はかくも重いものなのか、玄関の小上がりを僕の脚は小鹿のようにプルプルしていたような気がするが、何とか一階のリビングのソファに彼女を横たえた。先ほど渡したトナカイは玄関に転がったままだったので、拾い上げた時、靴箱の上の写真たちが目に入った。


 いっそこのままこれを置いて失礼してしまおうかと思った。あのクリスマスイブにマヤがどんなにはしゃいでいたか、マヤがこれを渡せることをどれだけ喜んでいたか、伝えたいのにどう伝えたものか僕には分からなかったし、ヘタすると彼女を傷つけるような気がしたからだ。


 恐らく彼女はあの晩の記憶が、ある。


 ただでさえ彼女は娘を亡くしたばかりで精神状態は不安定であると想像できたし、そこにお嬢さんの魂は幸せな記憶をたどってクリスマスマーケットに僕たちと行きました、なんて伝えた日には僕は刺されるかもしれないと思った。


 でも、もし自分が母親の立場だったら、亡くなった娘のどんな小さなことでも知りたいと思うだろう。子供なんていたことがないからあくまで想像の域をでないけれど。


 僕は思い直して居間に戻った。

彼女はソファに横たわり、眠っているように見えたが、わずかに眉間に皺が寄り、さっきとは変わって固く握られた手が目に入った。うなされているのだろうか。

 床に座り、彼女の頭に近いところに寄ると、できるだけ抑えた声で話しかけた。


 「マヤさんは、24日の夜に僕たちとY公園のクリスマスマーケットに行きました。」


 一度そこで言葉を切って、彼女の方を見る。彼女は目を閉じたままだったが、きっと僕の声は届いている、そんな気がしたので話をつづけた。

 人ごみの中、僕たちは飲み物を買ったり軽食を食べたり、買い物を楽しみ、彼女はお母さんへのお土産を購入した。小さいトナカイの置物を、お母さんが寂しくないように渡してほしいと、一度は預かった。

 彼女はとても楽しそうだったが、同時にとても寂しそうだった。それは決して自分が旅立つことが寂しいということではなく、どちらかというとそれは彼女がお母さんを一人にしてしまうと心配してのことであった、と僕は理解した。

 固く握られた彼女の手を取り、その指をほどいた。そして彼女にトナカイを握らせ、彼女の手を包んだ。


 「マヤちゃんからのプレゼントです」


 再び視線を彼女の手から顔に戻すと、彼女は僕を見つめていた。その瞳からは涙が零れるまま流れ落ちていた。彼女はゆっくりと無言で両腕をこちらへ伸ばした。僕はその腕の中に身体を預けた。彼女は苦しくなるぐらい強く僕を抱きしめ、僕も同じようにした。遠くでありがとう、と聞こえたような気がした。


***


 『私たちはいつ函館に行くの?』


ソファで昼寝をしていたジーナがふと目を覚まし、ダイニングテーブルで書き物をしているアガタに声をかけた。


 「あら、私たち函館に戻れるんですか?」


 聞き返しながら、アガタは筆を止めて顔を上げた。


 『本当は私はプレゼントだったのよ』

 

ジーナは少しだけ得意げな顔をして見せた。


 『私は』


 「ジナイーダ」


 ピーターが起きてきた。髪がセットされていない彼は、普段よりも若く見え、そんな姿を見ると、アガタはまだピーターを祐之進と呼び、祐之進もまたアガタをおきぬと呼んでいた頃を思い出した。


 「そんな話は野暮だよ」


 たしなめるように言うとひょいとジーナを抱き上げた。

 ジーナは嬉しそうに目を細めてピーターに顔を擦り付けた。


 「随分懐かれているんですね」


 「何故か若い男と猫に好かれるんだ」


 「若いネコ…」


 「アガタ、言い方!」


 部屋の方からトマスの声が飛んできた。ああ失礼、と、さほど気にしてない様子でアガタは呟き、


 「昨夜のローストチキンの残りでサンドイッチ作っていますけど召し上がりますか?」


 うん、いただくよ、とピーターが応えるとアガタはノートを閉じて立ち上がった。ピーターはジーナを抱きながら窓の外を眺めている。外はいい天気だった。


 「イザヤは椎名さんのところに行ったかな」


 独り言のように言うと、アガタはダイニングに2人分のサンドイッチと紅茶を置きながら、


 「彼のことですから、もう出かけているでしょう。真面目な人ですからね、あなたの言いつけはちゃんと守っていますよ」


 うん、とピーターは頷いたものの、何か考えに沈んでいた。アガタがどうぞ、と声を掛けると、ああ、と言ってジーナを降ろした。ピーターはトマスが部屋から出てこないのを見ると、トレーに二人分を乗せた。

 

 「お優しいんですね」


 アガタが冷やかすように言うと、


 「もう、賽は投げられたんだ」


 ちょっと困ったような顔をして言うと


 「見苦しくてすまないね」


 まったくすまない顔してないですけど、とアガタは半分あきれつつ再びノートを広げ、自分の分の紅茶もセットした。


 ピーターが部屋に消えると、リビングは再びジーナとアガタだけになり、程なくするとジーナの規則正しいいびきが聞こえた。


※※※


 年が明けて早速元日から僕達はクリスマス休暇分仕事に駆り出された。なんなら世の中がカウントダウンパーティーで浮かれている時から遺体安置所呼ばれていた。


「前から不思議に思ってたんだけど」


 係官はとうに部屋を出ていってしまった。ゴム手袋をつけているトマスに、


「僕達が他社の管理する魂を送ってしまっていいのか?」 


 ああ、問題ねぇお前だって教会の信者じゃないだろ?俺も違うし。アガタに至っては実家は寺だ、トマスはそう言って僕にカメラを構えるよう促した。


 それが神社庁でも教会でも救済と回収があるのは変わらない。ただアプローチが違うだけなのだという。

 

 いつもの通り身元確認を済ませ、僕達は淡々と魂を取り込む。遺体安置所の明かりは寒々しい白昼色で、僕達がこういうところに来るのは警察からの連絡で身元不明の遺体で引き取り手がない時だ。厳密には警察組織ではないけれど、そこに繋がる団体からの依頼なので、そして僕達もその更に外郭団体に所属しているので準公務員のような身分だと最近聞かされて驚いた。


 生前身元不明でも、魂を取り出せば手遅れではない限り大体身元は判明する。それはつまり、身元不明な遺体は事件性が明らかでなければ僕たちに委ねられて答えからの逆算的なな捜査も行われていたようだった。だが、そもそも事件性がない遺体の魂は往々にしてさっぱりしたもので、未練もなければ無念もなく、ようやく終われたと言う者も少なくなかった。人は一生懸命生きても生きなくても、生きたくても生きたくなくても、生まれては死んでいくのは変わらないのだなと思った。


 「そんな暗い顔するなよ」


 お前、大丈夫か?トマスはこちらを覗き込んだ。そういうトマスの顔もひどいものだった。


 「何かあったのか?」


 クリスマスの後に会ったのは今日が初めてだった。トマスはやつれているようにも見えたし、どこか熱に浮かされたような眼差しをしていたり、かと思うと深い溜息をついていたりする。

 仕事はいつも通りに手際よく進めるが、それ以外の時は考え事をしているのか黙っていることが多かった。


 トマスは珍しく言葉を選ぶようにゆっくりと言った。


 「しばらく函館で仕事をすることになった。」


 何やら深刻な顔をしている。


 「出張か?」


 トマスは、どっちかと言うと異動の前の引き継ぎだ、と言った。


 「それ、異動の事を先に言うべきじゃないか?」


 ああ、そうか、そうだな、と気のない返事をしたトマスはやっぱりおかしかった。魂が抜かれてしまったようにふわふわしていた。だが、はっと我に返ったようにこちらを見ると、


 「俺がいない間はアガタと仕事してくれ。あいつは怖いけどいい奴だ」


 ポールの了解ももらってるから、と付け加えた。既に手配は完了していたようだ。別に僕達写真師は末端の人員だから事前に聞かされていないことに不満を言うのもお門違いではある、けどね。


 「何か変だな、いつもの君じゃない」


 ああ、そうだな、俺もそう思う。悪いな。


 トマスは困ったように眉を下げたが、異動がどうして彼をここまで困らせているのかは、やはりわからないままだった。



 


 

  




 

 


 

 

 



 


 

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