第18話 ジナイーダ

 アガタとトマスのやり取りを見ていると、家族ってこんな感じだったな、と思い出した。親はいくつになっても子供扱いするし、親はいくつになってもただの親なのだ。

 なぜアガタの外見とトマスの外見が10も離れていないように見えるかは、また機会があったら聞いてみたいと思うが、目を閉じて聞いていると、40代の女性と15,6歳の少年のようだった。


「イザヤ寝てるのか?」


 ローストチキンを食べ、オリビエサラダに、サーモンとクリームチーズを食べてグレービーのかかったマッシュポテトも食べて、ワインを飲んで(いや、途中からウォッカ?)クリスマスらしい音楽も聞こえて、いつの間にかアガタの笑い声すら聞こえてくるこの食卓が、とても愛おしいと思った。そしてその瞬間、昨日見たマヤの母親が一人で過ごしていることがたまらなく気の毒になった。


 「マヤのお母さんを幸せにできてない」

 僕の口から零れた言葉に、

 

「案ずることはない、それは君の仕事ではないよ」


そう答えたのはリビングに入ってきたピーターだった。冷たい外気を纏ったピーターはゆったり笑いながら、ただいま、と言った。


アガタは弾かれたようにに立ち上がると、

 「お疲れさまでした。寒かったでしょう?」


ピーターがコートを脱ぐのを手伝いながらアガタがかいがいしく世話を焼く。トマスはピーターからブリーフケースを受け取り函館の様子を聞いていた。この絵面は、なんというか家族のようだった。極めつけは、トマスの部屋から出てきた猫をみつけると、ピーターが


 「ジナイーダじゃないか!」


そう言って抱き上げると、横からトマスがそいつはジーナですよ、と口を挟んだ。


 「イザヤも久しぶりだが、変わりないかな?」


 とっさに立ち上がりお邪魔してます、と返すと、ピーターは笑いながら、君が来てくれて嬉しいよ、と言って洗面所に消えた。完全に友達の家に来て父親が帰ってきたところに出くわしたパターンだった。


 「私は知りませんからね」

 アガタがトマスにヒソヒソと囁いた。トマスも先ほどとは打って変わって強張った顔をしている。よほどピーターが怖いらしい。ジーナはそんな2人を見てから僕を見て、そしてあくびをした。


※※※


 ピーターの食事が終わり、昨日から仕込んでいたハチミツのケーキが供された。


 「クリスマスのケーキというわけではないのですが」


 ケーキのデコレーションがクリスマス感が全く無かったので、おそらく僕がちょっとガッカリしたような表情を浮かべてしまったのか。ちょっと申し訳ない気持ちになると、

 

 「昔からピーターが好きで、特別な日にはこれを作っているんです。まずは騙されたと思って食べてみてください。」


 お前が食べないなら、それ俺がもらうぞ、と紅茶をいれながらトマスが言えは、ピーターがだったらその半分は私が食べると言い出した。そんな2人を見ながらアガタはクスクス笑っていた。きっとこの三人はずっとこうしてきたのだ。血を分けた家族ではなくても、きっと長い年月をこうしてお互いの心を温めてきたのだろう。絆を感じた。そして父が亡き今、それを僕は持っていないことに気づき、猛烈に羨ましく思った。

 

 そのはちみつケーキは、幾重にも層が重なり、酸味と甘みが程よくて、あとを引く美味しさだった。見た目は茶色く、スポンジのかけらのようなものが全体を覆っているだけの高さが少々あるケーキだが、今まで食べた生クリームのケーキとは全く違う食べ物で衝撃的だった。


 「これは一晩置いたほうがおいしいんです」


 いつも澄ましているアガタが珍しく自分から口を開いている。


 「すごく美味しいです」


 何故かピーターとトマスがドヤ顔をしているのがおかしかった。ジーナはいつの間にかトマスの足元のラグに横になっていた。


 「さて」


 皆の皿が空いたところでピーターが口火を切った。


 「トマスはジーナをどうするつもりなんだ?」


 「椎名マヤをジーナの身体に取り込んで母親の側にいさせてやりたい」


 トマスが今度はうろたえることなく言った。きっと心のなかで何度も練習したのだろう。妙に棒読みだったのは気のせいではないだろう。トマスの緊張が伝わってきた。実際、トマスの手は固く拳を握りしめていた。

 トマスの言っていることは、僕の写真師デビューの初日にピーターから言われた命の進むスケジュールに関して、決して侵してはならないというルールに著しく反していた。だが、昨夜の一連の中で、僕の中で引っかかっていたマヤの母親が救われてないことをトマスも気にかけて、昨日から動いていたことが分かり、僕はとても心強く思ったのも事実だった。僕と共感してくれる人がいる、というのはこれまで父を除いていなかったのだ。だから、もし僕が何か助けになることができるなら、何か言えるのであれば、すぐにでも口を開きたいとドキドキしながらその機会を伺っていた。だが、ピーターは怒るでもなく、静かにトマスの話に耳を傾けていた。


 「あの母親はあんなに献身的に娘を支えたのに。旦那は逃げていなくなるし、娘は自分より先に亡くなるし、今日だってあの人は一人だ。そんなの不公平じゃないか」

 ピーターが目で続きを促した。


 「だから、ババロアさんのところに行ったらジーナが来てくれることになって」


 「それでクリスマスプレゼントに娘の魂が入ったジーナを渡そうと考えた、と」


 ふむ、とピーターはちょっと考えるように顎を撫でると、視線だけ床に寝そべるジーナにやり、


 「ジナイーダ」


 と呼びかけ、


 「お前はどこに行くつもりなんだ?」


 すると、ジーナは何故そんな事をきかれるのかとでも言いたげに、


 『この家よ。トマスを守る為に来たの』


 ピーターはまた視線だけトマスに戻し、


 「…だそうだ」


 やれやれとでも言うようにフンと鼻を鳴らすと、ジーナは再び前足に頭を乗せて目を閉じた。


 誰も何も言えず気まずい沈黙が流れた。

 せっかくトマスは小樽まで行ったのに、まさかの神獣の縁の先はトマス自身だったとは。そして当の本人もそれに今の今まで気づかなかったというのも、言い方が悪いがちょっと滑稽だった。恐らくアガタも同じことを考えていたのだろう、わずかに口元が緩んでいて、僕と目が合うと咳払いをして下を向いた。トマスは、とちらりと見るとガックリと肩を落として両手で顔を覆っていた。


 「私に一声かけてくれれば良かったのに」

 ほんの少し意地悪い調子でピーターが言うと、


 「あんた、知ってて今の今まで黙ってたのか」


 「いや、あまりにも君が必死に隠そうとしていたから乗らないと悪いかなと思って」


 トマスにクッションを投げられピーターは嬉しそうに笑った。僕とアガタが心配したトマスの行いにお咎めはないようだった。僕達はこっそりホッとした。


 「トマスが預かったトナカイについてはイザヤに任せるよ。君もあの場にいたし、なんならトマスと同じくらいこれを彼女に持っていてほしいと思ってるはずだ」

 そう言って僕の手に小さなトナカイの置物を握らせた。

 

「明日の朝にでも訪ねるといい。ささやかなクリスマスプレゼントになるだろう」


 そう言って立ち上がると、そろそろお開きにしようと言ってアガタとお皿を片付け始めた。

 僕も手伝おうとしたが、もう遅いから気にするな、と追い立てられた。

 せっかくかったクリスマスプレゼントを渡しそびれたことを思い出したのは帰宅して布団に入った後だった。


※※※


 イザヤが帰り、片付けも終わると順番に風呂に入り寝支度を整えた。アガタが明日の予定をピーターに確認すると、それではおやすみなさいと言って自室に戻って行った。

 最後に玄関の戸締まりを確認し、戻ろうと振り返るとピーターがすぐ後ろに立っていた。そし俺を壁との間に閉じ込めると押し殺した声で、


 「あんまり私を困らせないでくれ」

 

 その声を聞いて、喉がはりついてしまったように声が出なかった。この声音は俺がまだ生きていた時に聞いたことがあった。怒りの中に怯えが透ける声だ。こんなにも正しく強くて美しい人が何に怯えるのだろう、と生前の最後に遠のく意識の中で不思議に思ったことを思い出した。


 ピーターは俺の肩に額を押し付けて呟いた。


 「お前を上級守護にしたいんだ」


上級守護はすなわち教区長クラスの守護のことだ。俺は中級の守護で下級守護達を管理している。教区長の席は限られているので、上級守護に昇格があるとすれば欠員が出た時と相場は決まっていた。実際、ピーターが昇格したのもジョンが「上がった」からだ。


「なんだ、またどこかの教区長が死ぬのか」


 この間の葬儀が頭をよぎってわざと軽口を叩くような言い方をした。だがピーターはそれには答えず、


「私たちはルールの中で損にも得にもならない時間を過ごしている。でもそのルールを侵害したら、私たちは即刻地獄行きだ。そもそも前科者なんだから。」


「あんた、一体何が言いたいんだ?」


嫌な予感がした。

無理やりピーターとの間に腕を入れて身体を引き離した。居間の方から漏れる光にピーターの顔が薄く照らされていた。俺より高い位置にあるピーターは想像していた表情とは全然違う顔をしていて、俺は言葉を失った。


いつも正しくて自分の行いに自信と確信を持っていて、飄々として掴みどころのないピーターが、





―――声を殺して泣いていたのだ。










 



 


 


 



 

 

 

 

 

 


 



 

 

 



 



 


 

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