第16話 北の神使


 昨晩、無事写真が葬儀社に納品され、今日の午後の葬儀には間に合わせることができた、つまり仕事は成功した。ただ、マヤを取り込んでいる時に、この世に残していかなければならない感情は全て僕が回収できたものの、彼女は次に持って行くには強すぎる願いを抱えたままだった。

 僕の身体が取り込めないものは、次の為に眠る間に魂を腐らせるでも変質させるものでもないはずだ。

 ただ、強い願いは一歩間違えると悔恨につながるので、取り扱いは気をつけなければならない。悔恨を持ったまま次に進むことはできないからだ。


 何となく気になったので、今日のマヤの葬式を覗きに行くことにした。トマスに声をかけたが、あっさり忙しいと断られた。まあ、彼らは昨日が仕事納めと言っていたから、きっとアガタの台所で今夜のご馳走作りでも手伝っているのだろう。何しろ今夜はクリスマスイブだ。


 クローゼットを開けるとぶら下がっている5着の喪服。この仕事を始めてから喪服を着る機会が増えた。いや、喪服が増えた、が正しい。当初、クリーニング店に頻繁に持ち込んでいたら『葬儀屋のおじさん』と認識されていしまい、ちょっと不本意だったのでクリーニング店への持ち込み回数を減らそうとしたら回らなくなり、仕方なく購入を重ねたら、結果クローゼットの半分はそれで埋まった。


 身支度して外に出ると、冬らしい澄んだ青空だった。こんな日は新しい門出にぴったりだな、と気持ちが上向き、先ほどまでの心配事を僕はすっかり忘れてしまった。写真を確認しに行って、母親がちゃんとしているかだけ確認できればいいか、帰りは駅の近くのお気に入りのラーメン屋に行きたいなどと考えながら、電車で3駅上ったところにある葬儀場にむかった。マヤの家の最寄駅だ。会場は駅から歩いて20分程だったので散歩がてら歩いた。小さい商店街を抜け、環状線に出て道なりに行ってしばらくすると看板が見えた。いよいよ今生最後のマヤとのお別れだ。


 ***


 未明にリビングから聞こえた物音に、アガタは目を覚ました。ベッドサイドにかけておいたショールをかけて様子をうかがうと、トマスがコートを着ながら開口一番、


 「おはようきぬさん、ちょっと聞きたいんだけど」


 トマスがそう切り出す時は大体よからぬことを企んでいると相場は決まっていた。

 半分眠ったアガタの頭にあったのは、昨晩のやたら時間のかかった案件のことだ。いつもなら写真と共に収容された魂は直ちにアガタのチームに送還依頼が飛んでくるはずなのに、今回アガタの知る限りどの守護にもそんな依頼は来ていなかった。まあ、クリスマスイブで承認する管理者達は表の方の手伝いで忙しいだろうから、休み明けに処理は回されたのかもしれないけれど。


 「ババロアさんと最近やりとりしてる?」


 ババロアさんとは、北海道の星置神社の神使、馬場さん通称ババロアさんのことだ。正体は高貴なキツネ(狐なのに、何で馬場?)なのだが、表向きは猫のブリーダーをしていて、せっせと子狐達に猫に変身する術を教えて人に癒しを与えるイロハを説く人物、もといキツネの親分だ。出自は神社であったはずだが、好奇心旺盛で開明的な思考と寛大な性格の持ち主で、神社庁を飛び出した後、フォトジェニックな港町に落ち着き、寺社仏閣以外の教会の一派であるアガタ達とも友好関係を築いていた。


 「最近生まれた仔猫のお世話で忙しそうですけど」


 そうなんだ、と嬉しそうに呟くと、ちょっと出てくると言ってコートを着込んで出ていってしまった。

 こんな早朝から何を考えているんだかとアガタは時計を見ると、まだ5時前だった。とりあえず昨日で仕事はおさまったし、今日は朝からひたすら料理の日だ。いつもの助手は出かけてしまったけど、まあ何とかなるだろう。ババロアに一言メッセージを送るとアガタは再び温かい布団に潜り込んだ。

ああ、二度寝最高…


 ***


 「トマス君、お久しぶり。元気だった?」

 

 真っ白に雪が積もる小樽についたのはお昼前だった。いつ来てもきれいだったが、特に青空の下だと雪に包まれた街は輝いて見えた。ババロアさんは当日の当日にも関わらず駅まで車で迎えに来てくれた。新千歳に着いたところで今日の予定を聞こうと連絡すると、アガタさんから連絡きてますよ、と電話口で笑われた。


 「ホワイトクリスマスなんて、もう何年も見てなかったから懐かしいです」

 「雪かきがなければ最高だけどね。まあ、うちでは子狐達がやってくれるからいいけど」

 車内、寒くないかな?と言いながら、ババロアさんの軽自動車は雪道や坂道を果敢に進んでいった。ババロアさんは神獣を私用で使役させているが、それは修行だからいいのです、としれっと言った。

 「子供は雪の子ですからね、それにそんな小さいこと誰も気にしませんよ」

 

 30分ほど海岸線沿いに車を走らせ、ババロアさんの家に着いた。この家は来る度にババロアさんが自ら手掛けるリフォームで進化していて、猫たちが一様にのんびり暮らしている。どの猫もババロアさんと同じ眼を持っている神獣で、小さい猫は、その身体に似合わない大きなしっぽをしていた。思わず手を伸ばすと、

 「まだ、完全に猫に変身できない子なんです。しっぽはまだ狐のまま」

と、言ってふふふと笑った。


 あ、これつまらないものですが、と羽田空港で買った虎屋を渡すと、若いのに渋いね、と言われた。ババロアさんは洋菓子の方が好きだったようだ、いや、お稲荷さんのほうが良かったのかも…。

 

 こっちの方がストーブ近いよ、とソファを勧められ、コートをハンガーにかけてる際から子猫たちが足もとにじゃれついてきた。3か月前に生まれたという子猫たちは白くて毛足が長く、持ってきていたリュックのベルトを弾いてはかじってみたりと忙しそうだったが、しばらくすると飽きてしまったのか、他の部屋でかけっこを始めた。


 ババロアさんが台所で温かいお茶を用意してくれている間、静かにソファに座っていると、天井近くのアクリル板のキャットウォークから、こちらを見ている一匹の猫と目が合った。先程までの変身しきれていない子猫達とは違い、もう少し大きい完全な猫だった。顔にグレーの模様があり、青い目は丸くて愛嬌のある顔をしていて、やはりしっぽは狐というよりは狸のようにフワフワしていた。ひげが震えたかと思うと

 『遠くから来たのね』

と話しかけてきた。その猫は優雅にキャットウォークを伝い、別の部屋から姿を現した。

 『誰か困っている人がいるの?』

足元に座るとこちらを見上げた。

 「困ってない。悲しんでる」

と返すと、猫はふうん、と言って軽やかな足取りで台所に消えた。

 入れ替わりにババロアさんがお茶と羊羹を持って居間に入ってきた。あんなにかわいい羊羹初めて見た!と空港限定の夕焼け模様が入った羊羹を褒めてくれた。


 「ジーナ、君行くかい?」

 ババロアさんは先ほどの猫がいつの間にか俺の太腿にもたれるように横になっているのを見て優しく声をかけた。ジーナと呼ばれた猫は、

 『ちびっ子たちには無理よ』

 そう言ってため息をつくように、前足に顎をのせて目を細めた。

 「ツンデレかよ」

 そう言うと、

 『何それ、美味しいの?』

猫にしておくにはもったいない返しが来た。嬉しくなって頭を撫でると片目だけ開けてこちらを見て、また目をつぶった。ババロアさんは、そばに来ると一緒にジーナを撫でながら、

 「この子はいつも人が来ると気配を消してたんですよ。今回ようやく自分の行く番が来たと分かって出て来たんでしょうね。」

 鼻がこんなにピンクでしっとりしてるから、きっと嬉しくて興奮してるんだね、と声をかけた。

 

 「この子、差し上げますけどくれぐれも幸せになるように、トマス君、ちゃんと見守ってくださいね」

 ババロアさんに目論見を伝えると、ちょっと驚いたようだったが、ジーナならきっとうまくやれると思うと言って、ケージ持ってきますね、と言って部屋を出ていった。


 「ジーナ、お前はそれで平気か?ここにいたら、皆と一緒にいられるけど」


 するとジーナは起き上がり伸びをしながら、

 

 『皆が正しく命を使いに出ていくのを見送るのはもう十分。自分の命の使い方ぐらい自分が一番分かってるわ』

 そう言って、ジーナはくわっと欠伸をした。


 やがてババロアさんが支度を整えて部屋に戻ってきた。一緒に子猫たちもぞろぞろやってきた。ババロアさんの鼻の頭は赤く、何なら大きな尻尾も見えていた。ジーナは猫見習い達に顔を擦り付けて挨拶をすると、別れを惜しんでぼろぼろと涙をこぼすババロアさんにジーナは大人しく抱かれてババロアさんの好きなようにさせていた。


 空港まで車で送ってくれたババロアさんは別れ際に笑顔で言った。


 「メリークリスマス、あなたの計画で皆が幸せになりますように」

 そしてバイバイ、ジーナ、とケージに向かって声をかけると、早く僕達を中に入るように急き立てた。確かに出発の時間は差し迫っていた。


 ターミナルビルのに入ろうとガラスのドア越しに見えたババロアさんは、大きな白い狐の姿で泣いていた。


 『トマス、後ろは向かないで』

 ケージからジーナの声がした。それはまるで、ジーナが自分に言い聞かせているようだった。

 おう、と応えて俺達は保安検査場に急いだ。俺の鼻がぐずぐずしたのは、屋内と外気の気温の急激な変化によるものであって、決して泣いたわけではない。


断じて。




 

 

 




 

 



 


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