第15話 幸せの記憶
今回の救済対象である椎名マヤの生前の様子は知らない。死亡後まんまと身体から抜け出し、この都立公園のクリスマスマーケットに現れた。
仕事の発信は葬儀社からの『遺影作成にいくらトライしても彼女が写らない』だったので、そもそも彼女が救済を望んでいるかは正直分からなかった。
クリスマスオーナメントを販売しているレーンで、マヤはいくつかオーナメントを買ったようだ。赤と金で彩られたオーナメントボールをトマスに、僕に小さい天使をくれた。今日は付き合ってくれてありがとう、そう言って微笑んだ。この流れで写真を撮るのだろうか、と思ったが、ふとマヤの手にもう一つかわいらしいトナカイの置物があるのが目に入った。
「マヤちゃん、それは?」
彼女はちょっと躊躇した後に、僕にそれを突き出し、
「お母さんに渡してくれない?」
今日出会った僕たちにプレゼントを渡すような優しい子が、母親にお土産を購入することに不思議はなく、ただ、ずっと病床に繋がれていたというだけで、彼女が普通の子供のように母親を想っているということが僕の頭の中からすっかり抜けていたことに気が付いた。
この子は母親に会いたがっている、きっとここにも母親と来たかったに違いない。
「私の病気のせいでお父さんと離婚して、お母さんは一人なの。私がいなくて寂しいだろうから、私の代わりに見守ってほしいなって。」
最後は消え入りそうな声だった。
チラリとトマスを見ると、トマスは
「悪いな、それは俺たちの仕事じゃないんでね」
そう言って彼女の手を下げさせた。マヤはしょんぼりと足元に視線を落としてしまった。僕はたまらず、
「今生最後なんだから、いい気分で送ってやれっていつも言ってるのは君だろう?君が出来ないなら、僕がやる」
僕はトマスの傍によると、声を落として詰め寄った。するとトマスはぐっと僕の首に手を廻し乱暴に自分に引き寄せると、
「お前、さてはバカだな?それがマヤの望みだとでも思ってるのか?」
至近距離で見るトマスの瞳は明るい鳶色だと思っていたが、緑色にも見えた。白く薄い皮膚の下の血管が透けているかのように、目元がほんのり赤くなっていた。
答えない僕を、ポイっと音がしそうな動作で横にやると、
「マヤ、渡したかったら自分で渡せ。俺たちが付き合ってやる」
呆気にとられた僕はさぞかし間抜けな顔をしていただろう。マヤは喜悦が『弾ける』ことがあるならば、きっとこういうことか、というくらい跳び上がってトマスに抱き着いた。トマスは澄ました顔でチラリとこちらを見ると、口元だけ笑って見せた。
でもトマスも僕と同じくらい喜んでいて、それを必死に隠して格好つけていることは僕にはお見通しだった。
ほんとにええかっこしいだ。笑える。
***
電車を乗り継いで、ターミナル駅から3駅目で降りると、駅前には大きなクリスマスツリーのデコレーションが見えた。それはどこにでもありそうな駅前のインスタレーションではあったが、彼女はこんなに大きなツリーは見たことない、としばし立ち尽くした。
時計を見上げると既に22時を回っていて、すっかりおそくなってしまったな、と考えながら、僕はどうやって母親に渡すんだろうか、とふと我に返った。死んだ娘からどうやってプレゼントを受け取るんだ?
自宅の最寄り駅にも関わらず、物珍しそうに周囲を見ているマヤに、トマスは何を言うでもなく一緒に歩いて回っていた。何かしら方法があるのだろうか?しばらく見守っていたが、そろそろ気が済んだのか、マヤがトマスに何かを告げた。彼は小さくうなずき、こちらに手を上げると、僕たちはマヤに家に向かって歩き始めた。
夜道を歩くマヤの足取りはしっかりしていて、迷いがなかった。夜空は晴れていて、冷たい月が道を静かに照らしていた。閑静な住宅街で、通り過ぎる家の窓辺にはクリスマス飾りが見え、家族で食卓を囲んだ家の明かりが漏れていた。あの温かな光の下で家族がごちそうに姿を変えた幸せを分け合っているかと思うと、そうではないマヤの家にはひどく不公平に思えた。
ここだ、とマヤが立ち止まった家は真っ暗だった。せっかくここまで来たのに不在なんて、とショックを受けていると、マヤがドアを開けてくれた。
僕がいぶかし気な顔をしてトマスを見ると、彼は黙って入れ、と顎で僕を促した。
玄関には、女性の靴が揃えてあり、靴箱の上には母親とマヤの写真が飾ってあった。いくつかあったものの、どの年代のマヤも一様に病室で病院着を着て管に繋がれていて、ひどくやつれていたり浮腫んでいたりして痛々しかった。誕生日やクリスマスのイベントで撮影したもののようだった。
こっちこっち、とマヤに言われるまま、僕たちは2階に上がった。暗いはずの階段が明るかったのは、踊り場の窓のせいではなく、前を歩くマヤのおかげだった。人の気配がない家は静寂に支配されていた。
「ここ、お母さんの部屋」
どんな魔法か知らないが、マヤは音を一切立てずにドアを開けた。
ベッドには、小柄な中年女性が規則正しい寝息をたてていた。枕元にはマヤが発病する前であろう、小学生の少女と彼女が屈託なく笑っている写真が飾ってあった。それは恐らく離婚した父親が撮影したものだろう。彼女が一番身近に置いている、一番大切にしていた瞬間に違いない。
「マヤ、これから、お母さんと話せるようにする。あんまり長い時間はだめだぞ。一言、二言くらいはいいが、お母さんが言葉を発した分だけお母さんの寿命を年単位で短くなると思えよ。イザヤ、マヤが話し終わったらすぐに写真を撮影だ。質問あるやついるか?」
僕もマヤも首を横に振る。よし、じゃ始めるぞ、といい、トマスは静かに眠る母親の額を鷲掴みにし、何やら唱えると、小さく風が巻き光を纏った母親が何が起きたのか分からない、といった様子でベッドに腰かけていた。
この男、生きてる人から魂抜きやがった。今、この人は心肺停止状態になったはずだ。
「お母さん」
マヤが声をかけると、母親は信じられない、という表情で両腕をマヤに向かって伸ばし、マヤがそばに寄ると、思いっきり抱きしめた。
「マヤ!」
母親は嗚咽で言葉が上手く出てこないことに焦れたように、叫ぶように言った。
「元気な身体に産んであげられなくてごめ」
マヤはトマスに言われたことを思い出し、母親の唇に指をあてた。戸惑う母親にマヤはしーっと言って微笑むと、
「お母さん、産んでくれてありがとう」
そう言って彼女の手に木彫りの小さいトナカイを握らせた。
「今日、クリスマスマーケットに行ったの、昔連れて行ってくれたところ。これ、お土産、かわいいでしょう?」
僕は思わず息を呑んだ。賑やかだから、行ったことがなかったから、きらきらしているからなんてそんな理由ではなかった。彼女は確かに幼い頃あの場所に両親につれられて幸せなひと時を過ごしたのだ。現に枕元の写真の背景をよく見ると立ち並ぶマーケットが写っていた。マヤもあの瞬間の幸せな記憶を、この世を去る前にそれをもう一度なぞってみたかったのだろう。
トマスがこちらを見ている。僕が小さくうなずくと、
「マヤ、そろそろ時間だ。始めるぞ。」
トマスの本人確認が始まり、マヤは淡々と答え傍らで母親がその様子を涙があふれるがままに見つめている。トマスはいつも通りに事務的に粛々と進め、そして僕にキュー出しする。
「イザヤ、出番だ」
僕はカメラを構えながら、母親に声をかけた。今この時点でこれ以外の正解はないと妙な確信があった。
「お母さん、マヤちゃんの隣に立ってください」
トマスは一瞬眉を上げたが、すぐににこやかに、さも当たり前のように立ち位置まで母親をエスコートする。
「それでは、マヤちゃん今生最後に今日一の笑顔をお願いします、お母さんもご一緒に」
何それ、とマヤも母親も噴き出したその瞬間を僕はカメラに収めた。画面越しにマヤが僕に入ってくる。そしてゆっくりトマスに腕を引かれフレームアウトした母親に、トマスがおやすみなさい、いい夢でしたね、と囁き彼女の額に手をやると、母親の姿は見えなくなり、目の前には静かに寝息をたてる彼女しかみえなかった。
マヤは静かに取り込まれた。端末に出た写真を見てトマスが、お前最高だな、と呟いた。僕もそう思う、と返すとトマスは珍しく軽口にのった僕にちょっと驚いた顔をしたが、不敵な笑みを浮かべると、
「ここからは俺の出番だ。アガタには言うなよ、あいつ怒ると怖いんだ」
僕はトマスが何を考えているか検討もつかなかったが、彼の手の中にトナカイの置物があるのを見て、まだ何かが起きる予感がした。
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