第14話 伝播する感情


  その日、仕事の為にトマスに呼ばれ、送られてきた集合場所というマンションを訪ねると、僕を迎えてくれたのはアガタだった。

 最後に見たのはあの雨の夜だったが、そう言われてみれば僕のマンションのエントランスで会った後、トマスと連れ立って帰っていったな、と思い出した。

 「いらっしゃい、イザヤ」


 そういうと、部屋の奥にむかって、


 「トマス!イザヤが来ましたよ。早く起きていらっしゃい」


 だいぶ印象が違う。化粧をしているとかしていないとかそういうことでもなく、ベリーショートにしている髪をセットしているとかそういうことでもなく。まあ、割烹着を着ていたのは控えめに言って衝撃的だったけれど。


 僕が若干困惑していると、奥から寝起きのトマスが出てきた。


 「よう、早かったな。ま、入ってくれ」


 約束の時間通りに来たのだけど、と思いながら部屋に上がると、アガタはキッチンで何やら忙しそうだった。鍋が火にかかっていて、傍らのまな板からする包丁の音が祖母の家の台所から聞こえるような音だった。


 「ごはんある?」


 その甘えるような声も母にまとわりつくような子供のそれにも聞こえて、キッチンに目をやると、アガタの背後から彼女の手元を覗き込むように立つトマスをアガタの距離感はどう見積もっても親密で、思わず見ないフリをした。


 「テーブルにおにぎりを置いていますから、それを食べなさい。イザヤ、何か飲みますか?」

 急に話を振られどぎまぎしていると、俺煎茶がいい、とトマスが言うので同じものをもらうことにした。なんだか友達の家を訪ね、お母さんに対応されているような感覚を思い出した。


 明後日にクリスマスを控え、世間のクリスマス色は最高潮になっていた。クリスチャンでもなんでもなく、ましてや恋人がいるでもない自分にはあまり関係のないイベントではあるものの、華やぐ街に出れば何となく気分も高揚した。


 「皆さん、クリスマスはどう過ごすんですか?やっぱり教会に集まるんですか?」


 お茶を入れてくれたアガタにお礼を言いつつ尋ねると、クリスマスミサは表の方のイベントだから参加は任意な上、自分たちは洗礼を受けた信者ではないから家でケーキとご馳走を食べるだけだと言った。朝からアガタがキッチンで忙しそうだったのはそのせいだったようだ。手書きのレシピノートにいくつも付箋がついていて、使い古されたそのノートは、きっと彼女たちのクリスマスを何度も彩ったに違いない。

 この習慣も冬の暗く長い夜には賑やかしで楽しくて気に入っているとアガタは言った。この口ぶりだと、アガタも100歳オーバーなんだろう。

 

 「お前はどうするんだ?恋人とかと過ごすのか?」

 

 「こんな仕事してたら彼女なんてできるわけないだろ。ほっといてくれ。それよりそろそろ時間だろ?」


 まずい、と、トマスはバタバタと部屋に戻っていった。


 「私たちにはクリスマスにはそんなに楽しい思い出はないんですが、そんな時は余計に一緒に食卓を囲みたいと思うのです。だって美味しいものは人を笑顔にするでしょう?」


 トマスの部屋の方を見ながら、ちょっと悲しそうに眉毛を下げてアガタは笑った。僕はそんなアガタとはウマが合うような気がした。


※※※


 トマスによると、今日の依頼は葬儀社からで、遺影の作成を試みても出力されず困っているということだった。他の故人の写真は問題なく出力されるのに、だ。故人のデータを見ると、16歳女性とあった。死因は病死。

 

「写真に出てこないってどういうことかな?」

 

 僕が首を傾げると、

 

「まあ、どっかほっつき歩いてんだろう。ようやく動かない体とおさらばできたんだ。クリスマスだし、街に繰り出してるんじゃないか?」

 

 手元の端末を見ながらトマスはのんびりと言った。


 12月の日没は早い。5時も過ぎれば暗くなり、乾燥した冷たい風が吹きつけて思わず首をすくめた。行先はトマスが分かっているようで、黙って後ろについていく。今日は珍しく車ではなく地下鉄で移動した。

 

「今日は車じゃないのか」

 ああ、今日は飲むからな、とトマスはスキップでもしそうな軽い足取りだった。電車を乗り継ぎ、目的地の公園の入り口に向かう込み合う橋を渡り、しばらく行くとそこではクリスマスマーケットが開かれていた。

 

 西の空のへりにわずかにいオレンジ色を残す濃紺の澄んだ夜空の下に、温かな白熱灯のライトが幾重にも連なっていた。ログハウス風の店が軒を並べ、クリスマスオーナメントや輸入菓子、軽食などが道行人の目を楽しませている。もともと人込みが得意ではなかったから近寄りもしなかったイベントは、確かにきらきら光って魅力的に見えた。

 

 このあたりかな、とトマスがキョロキョロしながら今いるレーンのエンドに来ると、一人の少女が立っているのが目に入った。少女から僕が目を離せなかったのは、彼女がほの明るく瞬いているように見えたからだった。

 

 「どうも」

 

 トマスが親し気に近づくと、少女はちょっと恥ずかしそうに視線を落とした。

 

 「椎名マヤさん、だよね?」

 

 トマスが何だかチャラいナンパ師に見えた。少女がどうしようもなく緊張して固まってしまったのは、トマスの顔が近いから、顔が良いからか、それともその両方か。

 

 「俺たちは君の写真を撮りに来た。意味わかるか?」

ちらりとトマスを見上げると、あからさまに赤面した。トマスはそんな彼女の様子を気にすることもなく、

 

 「君は長い間頑張ってきたが、三日前に亡くなった。もうこの世での役目は終了しているから、君を次の場所に案内したいんだ」

 そう言ってこちらに視線をやると、

 

 「そのおじさんが君の姿を写真に収めて担当の部署に連絡すればお迎えが来る。なので写真、撮らせてくれないか?」

 少女はこちらに警戒のまなざしを寄越して、再びトマスを見上げると、首を横に振って拒否した。

 

 「それって行かなかったらどうなるんですか?」

 うーんそうだな、君の魂はどんどん逆再生が進み、最後は消えてしまうか、善からぬものに食われてなくなってしまうかな。さらりと言うトマスにたじろいだ様子を見せたが、ちょっと考えると、

 

 「すぐに行かないとだめですか?」


 自分が死んだということを意外と冷静に捉えている少女に違和感を感じたが、考えてみれば16年の生涯の内ほとんどを病院で過ごしたということだから、恐らく常に死が近いところにあったのだろう。必要以上に死を怖がることもなく、怒りを覚えるでもなく、そしてまんまと自分の身体を抜け出し、このクリスマスマーケットに来ている。次に行くことを渋るくらいにはこの世に未練があるようだった。


 「マヤちゃん、どこか回りたいところあるのかな?」

そう声をかけると急に目を輝かせ、


 「あっちのレーンにたくさん美味しそうなものがあって…」

この子は病院でずっと管理された食事をとっていたのだろう。ましてや、こんなに人でごった返すようなところでの買い食いなんて経験したことがないはずだ。

 人づてに聞いたり携帯で見たりした『病室の外』であればきっとどこでも良かったのだろう。たまたま賑わいを聞きつけここにやってきたということかもしれない。

 僕はトマスに近づくと、

 

「逆再生が始まるまでまだ時間があるだろう?もう少しここでブラブラしてもいいんじゃないか?何しろ守護の君だっているわけだし」

 

 おだてるようにそう耳打ちすると、トマスは自分の顎のあたりを触りながら会場の奥にある鬱蒼とした神社の森の方をみて、あそこに近づかなければ問題ないだろうと呟き、


 「マヤ、お前何食いたいんだ?おごりだ。」

 このおじさんの、と僕の方を指さした。ええ~と思わず嫌な顔をしてしまったが、マヤはやった!と急に元気になり、トマスの腕をとって歩き出した。おサイフ担当の僕は二人の後ろ姿を眺めながら歩いたが、早々にマヤはエッグノックが飲みたいと言い、トマスは数量限定のいちごのグリューワインを注文し、僕も同じものを頼んだ。スパイスが効いたグリューワインは大層甘くて、トマスと二人で甘すぎる!とか、飲んでる際から冷めていく!と文句を言いながら飲んだ。マヤはプリンを飲んでるみたい、と微妙なコメントをし、次はシュトーレンが食べたいとキョロキョロしていた。彼女の好奇心に輝く顔はまるで小さい子供のようで、彼女がこの一瞬毎に余白だらけだった、つまり同世代の子供が経験して埋めている人生の彩りという名の枠を埋めていく作業に夢中になっているようだった。


 「これ見て!かわいい!!」

マヤのはしゃぐ声が心地よかった。こんなにも人が喜んでいるのを間近で見たのは久しぶりな気がした。

 自分も含めて大方足りた生活を送っていると渇望するということがなく、その分の大きな喜びもまた身近ではなかった。足るを知った生活には望外の喜びというものは存在しないのか?人から少し距離をおいて生活する自分には、凪いだ心持というものは存外心地よく、それを今更どうこうしたいとは思わないが、目の前の感情が弾けるようにくるくる変わる表情を見ていると、それはそれで良いものだな、と思ったりもした。


 「口直しにビール飲もうぜ」

こちらもはしゃいだ空気を振りまきながら僕にまとわりついてくる。


 「マヤちゃんがはしゃぐのは分かるけど、何で君までそんなにはしゃいでるの?」

 

 するとトマスは、カウンターでドイツビールを受け取りながら、


 「何言ってんだ、こんなに子供が喜んでるんだ。嬉しくないわけないだろう?」

 

 意外にも自分と同じ理由でこんなにも嬉しそうにしている彼を見て、僕もとても嬉しかった。喜びは伝播する、きっとこの会場には喜びが反響しあっていて、もし感情が可視化されたら、さぞかし賑やかなんだろうなと思った。


 


 



 







 

 



 


 


 

 




 

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