第13話 再生の花



 5日前に眠りに入った彼は棺の中にいた。

葬儀の案内は守護達全員に告知があるものの、日々忙しくしている守護達は集まっても10人がせいぜいであった。今日も集まったのは6人だったが、内2人は棺で眠る彼に白いバラを置くと足早に礼拝堂を後にして仕事に向かった。平日の午後ということもあって、敷地内には人けはなく閑散としていた。2時とは言え冬の日は低く、既に夕暮れのように陽光には力がなかった。


 自分が最後に葬儀に参列したのはいつだったか思い出せないくらい、久しくこういったイベントに顔をだしていなかった。自分はどちらかというと人間とつるんで行動することが多かったから、そもそも守護の知り合いがそんなにいなかったのだと思い至った。

 棺の中を覗きこみ、次の瞬間にも目を開きそうな彼に短く別れを告げた。最後に会ったのは先月の定例会だったような気がする、いや、先月はこいつがいなくて、その前の月は俺が外地に出ていたから、しばらく会っていなかった。彼の存在の有無が自分の日々に何の支障もないことは知っていても、それでもそこに在った存在がいなくなるというものは、やはり寂しいものだった。白いバラを棺に入れると参列者席に戻った。

 棺は閉められ、教区長の短い祈祷が終わると葬儀は終わった。教区長が脇においた振り香炉から立ち上る白い煙を見つめた。場所は教会の表を借りているが、宗教的な要素が限りなく省かれているセレモニーだったので、あっさりし過ぎて拍子抜けした。人間の葬儀ならもっと手順を踏んでお別れをするのだろうが、既に一度死んでいる俺たちにはそれはあまり必要なかった。

 

 そこに残った守護は4人しかいなかったので、教区長のポールが俺たちに葬儀に使用した備品を片付けさせ、ひと段落したところで温かい紅茶をふるまってくれた。ポールは数年前にピーターから東京の教区長を引き継いだ男だ。中肉中背で人当たりはいいのだが、言葉の端々に事なかれ主義であることが垣間見える男で、真意が見えにくく、正直あまり得意なタイプではなかった。そんな男が何故ピーターと懇意にしているかは分からなかったが、ピーターはよくこの男と話しているようで、ちょくちょく俺に話しかけてきた。


 「そろそろかな」


 そう言ってポールは立ち上がると、さあ、と俺たちを促し祭壇の前まで来た。既に夕焼けが礼拝堂に差し込んでいた。薄暗い室内に灯っている蝋燭がいつのまにかゆらゆらと瞬いている。

 揃ったところで、では、とポールはおもむろに棺を開けた。

 

 そこには先ほどまで横たわっていた彼の姿はなく、その代わりに溢れんばかりの白い百合の花があった。


 「福音だな」


 ポールが呟いた。アーメンと他の守護達が口々に言った。守護達は次々にその白百合を一つかみずつポールから受け取ると礼拝堂を後にした。

 

 「トマス?」

 目の前に、最後の一つかみの白百合の束を差し出されたが、こわばった俺の顔を見て、ああ、君は初めてだったか、と呟き、


 「これは彼の一部だ。持ち帰ってしばし彼を偲んでくれ。悲しいことはない、きっとまた会えるさ、何しろこの花があるんだから」

 

 彼の魂が復活の道に戻ったこと、つまり再生を告げる白百合の花。それは喜ばしい印であり俺達との別れを意味する花だった。ポールは俺にそれを渡すと、さあこれで仕事はおしまい、とばかりに棺を閉めた。


 彼の魂は新たな身体を手に入れ、そこに新たな記憶を一から刻み始める。俺達のことなど忘れているのだから、会ったところで昔話をすることもできない訳で、新たに出会う意味がない限り、再び会うことはないだろう。人との出会いとはそういうものだ。出会うのは意味があるからであって、意味がなければ出会うことすらないのだ。何しろ地球上にはこれだけ人間がいるのだから。


 帰り道、何となくピーターの声が聞きたくて電話をかけた。ピーターは1コールで出た。なんだ、あの人携帯でもいじってたのか?


 『やあ、トマス。どうした?』


 あの人が勝手にペラペラ喋るんだとばかり思っていたから、言葉を何も用意してなかった。電話の向こうでこちらの様子を伺っているのが分かる。

 

「…何か喋ってください」


自分から電話しておいて、ようやく出てきた言葉はそんな言葉だった。恥ずかしくてそのまま言葉がでなかった。だがピーターは、嬉しそうにお安い御用だよ作之介、と言って、雪道で野良猫が滑っていたのを見た、とか観光客が雪道を転んで心配だ、ついでに表をやってる司祭も一緒に滑ってたとか喋りだした。

 

「転んでることしか目に入らなかったんですか?」

 

 そうだねぇ、何だか気になってしまって。実は私も転んでしまったんだ、司祭が転んだのを笑っていたら。

 想像したらちょっとおかしくて少し笑ってしまった。その時、ふいに自分が息を吐くことを忘れていたことに気づいた。

 電話口でおかしな呼吸をしている俺に気づいてピーターは転んでもいない話をして俺に息を吐き出させようとしたのだろう。わずかにしびれて冷たくなっていた指先がもとに戻っていくのが分かった。

 

 「…今日、百合の花束をもらったんだ」


 一瞬の沈黙の後、そうか、それはよかった、とピーターが穏やかに言った。


 「あんたも死ぬのか?」


 『死んだらちゃんと百合の花をもらって帰ってくれよ』


 そう言ってピーターは笑った。そしてピーターの背後から食事の支度ができましたよ、と呼びかける女の声が電話越しに聞こえた。


 「教区長が女なんて引っ張り込んでいいんですか」


 『別に教区長に禁欲は課せられてないよ。心配してくれてありがとう』


なんならもう一人くらいはおける余裕はある、とふざけたことを言うのでそのまま通話を終了してやった。


***

 

 「ピーター、どうしました?」


キッチンからアガタが顔を出した。


 「お仕事が終わったら、早くカーテンを閉めてこちらに来てください。冷めますよ」

 

 アガタは生前と同じように、函館に来た時には世話をしてくれる。さすがに坊ちゃんと呼ばれるのは恥ずかしいのでそれだけは勘弁してくれと伝えているが。

 

 「うーん、ポールの仕事が速くて驚いた」

 

 「ああ見えて好き嫌いが激しい方ですからね、あなたの仕事は最優先なんでしょう」


 「せっかくだから、この際こき使おうか」


 「祐之進様」


 アガタに睨まれ慌ててちょっとふざけただけだ、と言うと

 

 「人の好意をおもちゃにするのは感心しません」


 アガタと向かい合って座り、いただきますと手を合わせた。

 

 「ねえ、おきぬ」


 突然昔の名前で呼ばれてアガタの箸が止まった。


 「私がいなくなったら、作之介を頼んだよ」


 するとアガタは溜息をつきながら、


 「実の息子よりも長くいたんです。今更よそ様の手を煩わせません」


 そうだね、と頷くと私は香の物を口に放り込んだ。うまいね、といえば、スーパーで安かったきゅうりの◯ゅうちゃんですと言われた。


 




 


 

 


 

 



 

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