第二章 この世とあの世の間の人
第12話 羽根
僕は今でも仕事で泣くこともあったりなかったり、嘔吐したことは1回だけ、あれは二日酔いがあったからかなとも思うが、苦いから僕は機能したのだろうかと呟くと、胃液はそもそも苦いんだとトマスに鼻で笑われた。
撮影をしていると、人の人生は思ったよりもドラマチックなものなのだと感じる。
視覚に入る絵面だけみれば、何の変哲もない日々の連続なはずなのに、心の襞はこうもさまざまな反応をして魂を揺らし、そして揺れるほど輝きを増している。それに生前に気づけないのは、その光は決して目に見える外側のものではないからなのだろう。現に僕のような第三者には、その輝きが見えるのに、僕自身は自分の中には何も見つけられないのだから。でも他の写真師が僕を捉えてくれたら、きっと僕の人生もそこそこドラマチックであり、魂もそれなりに輝いているのだろう。
例えそこに死が大きな口を開けて僕を待ち受けていたとしても、僕の人生を最後には誰かが受け止めてくれるという確信に近い想いは『安心』であり、恐らく人はこれを救いと呼ぶのだろう。
そしてこの受け止めてくれる誰かは、自分のような写真師ではなく、それを背後で見守っている守護の面々なのだと、仕事を始めて2年ほどして気づいた。(そう、しくじりデビューからもう2年も経った)
僕たち写真師は、その腕の良し悪しはあれど、あくまで『装置』であり、一連の流れを滞りなく進め様々な『装置』を使い、つつがなく魂を行くべき場所へ導くのは守護達だからだ。
僕を担当しているトマス、かつて僕と同じような人間(生きた時代は100年以上違っていることはさておき)だったであろう戸桝作之介は、恐らく優秀な守護だ。ともすれば深刻に暗くなりがちなこの仕事において、いつだってそれが今日の昼に何を食べるかぐらい気楽に話し、何かあっても『ま、いいか』で片付けようとする上、収拾がつかない事態になったら『後は上が何とかするだろ』とか『たまには上にも仕事させてやろう』なんてうそぶいている。彼が言うところの上が何を指すかは僕は知らないが、それでも彼の言う通り事は為る訳だからその実力は推してはかるべきだろう。
クリスマスを控えたある夕方、今年最後の定例会議が都内のN堂で行われた。こんなにも守護がいたんだなと毎度思うし、チラホラいる写真師の年齢の幅には驚かされる。下は制服を着た高校生、上は小さいおばあさんまで、自分と同じ、ごくごく普通の人々だった。
基本的には守護(彼らはスーツ姿が多い)らへの教区長からの業務連絡や守護からの報告など、救済活動に関わる情報共有の場であった。僕たちのようなただの写真師は後方の席で静かに見守っていた。東京の教区長のポールは教区に所属している守護の葬儀が行われたことについて話していた。その守護を僕は知らなかったが、遠巻きに見えたトマスの横顔は少し寂しそうだった。
「あの守護と親しかったのか?」
会議棟から出ると、外は雨冷たい雨が降っていた。傘を開くと、無言でトマスは傘に入ってきた。
「守護の葬儀ってのもあるんだな」
門を出ると、車道の水たまりがヘッドライトに照らされて眩しかった。トマスは、そうだな、とぼんやり呟くだけだった。
気づいたら傘に入り込む雨で手が濡れて冷たくなった。滑る手で傘の柄を握り直しながら、なんとなくしおれてしまっているトマスを促し、帰り途中のターミナル駅で降りた。怪訝そうな顔をするトマスに、晩飯だと声をかけると、ああ、とまたうわの空だった。
こんな天気であんな話だ。そんな時は温かいものを誰かと食べながら、他愛のない話しでもすれば少しは気分が上向くものだ。あくまで僕の場合だが。
***
週末のおでん屋は、いい具合に混んでいた。カウンターに並んで二人で座って今日の定例会の話しを何となくしていたら、背後のテーブルから誕生日の話しが聞こえてきた。
「そういえば、君の誕生日はいつなんだ?」
何の意図もなく話しをトマスに振ると、トマスはちょっと顎のあたりをさすりながら、
「それはつまり生前に俺が死んだ日のことか?」
僕が固まると、うーんと唸りながら、
「生前の誕生日は知らんが、今の俺は12月26日に爆誕した。ピーターが俺を手元に置くと決めた日だ」
自分で爆誕って言う神経が知れないが、その前に死んだ日が生まれた日って、なかなかシュールだな。ピーターが、というくだりにトマスの思い入れが強くあるのを感じて、もしピーターが決めなかったらどうなったのかと尋ねると、
「俺は次の生まで眠ってたはずだ」
「君は一度死んで守護になったんだよな?さっきの亡くなった守護は、死んで守護になってまた死んだってこと?」
ま、そうだなとめんどくさそうに言うトマスに、
「人は2度も死ねるのか?」
言いながら、函館でピーターに言われたことを思い出した。恐らく彼らの『死』と僕達の『死』は意味合いが違うのだ。だから2度も『死』を迎えることは可能なのだろう。
「守護は、死んだらどうなるんだ?」
トマスはビールを飲みながら、消えるか本来の道に戻るだけだ、と言った。考え込む僕の肩を叩きながら、
「守護はボーナスタイムを過ごしてるだけだ。うまくやれば戻れるし、だめなら終了、そんな感じだ」
「うまく何をするんだ?」
「さあね、それが分かれば苦労しないさ」
皮肉めいた言い回しだったが、なぜかそれがとても本心のように聞こえた。
「君もいつか死ぬのか?」
努めて事実確認以上でも以下でもない調子で聞くと、うーん、とちょっと首をひねると、
「多分、死なない」
明日の天気を話すような気軽さで答えるトマスを見て、何故か僕の心は少し軽くなった。
「…なら良かった」
思わずこぼれた言葉に、何がとは言ってる自分も分からなかったし、トマスも何が?と聞いてくることもなかった。
ただ、自分が未だ恐れている死という枠の中に彼がいないことに何故か僕はこの上なく安心した。
それも何故かは僕には分からなかった。
***
おでんを食べた後、なんとなく二軒目に行くことになり、ダーツをした。トマスは勝負にならないくらい強く、リベンジで挑んだビリヤードもあっさり負けた。別に自分が上手いつもりはなかったが、目の前の若造風が一ミリも若造ではないことを思い知らされた。そういえば、こないだ時間潰しにやった携帯ゲームの花札だって、将棋だって一度も勝てなかった。だが、勝負に勝つ度にこちらを向いて得意げに笑う顔は、やっぱりただの若者なのだ。
僕達は同じ町内に住んでいる。団体の借り上げ社宅がいくつかあるからだ。深夜にもなると人通りのない住宅街だから、とトマスはわざわざマンションのエントランスまで送ってくれた。絵面的には僕が送ったほうがいいのでは?とも思ったが、どちらかと言うと武闘派の彼のことなので、余計なお世話か、と黙って送られた。
「聞きたいことがある、でも答えたくなかったら答えなくてもいいんだが」
アルコールでうっすら靄がかかった頭が、口元の制御を失いうっかり口から零れた。答えが予測できない質問はするなと昔見た法廷ドラマのセリフが頭をよぎったが、怪訝そうにこちらを見るトマスに、僕はかねてからの質問をぶつけた。
「君達は天使なんだろう?」
するとトマスは一瞬目を見開いたが、ちょっと考えると、いいぜ、特別に触らせてやるよ、とおもむろにコートを脱ぎ、僕に背を向けた。
「天使と言ったら羽根だろ?」
僕は否定されることを期待していたはずなのに、肯定されて手が震えた。セーター越しのトマスの背中は暖かかった。
「もう少し上だ、違うもう少し左」
恐る恐る服の上から言われるまま触れていくと、硬いものに触れた。
「トマス、これって…」
「ああ、肩甲骨だ。立派だろ?」
ガックリうなだれる僕に、トマスはゲラゲラ笑いながら、
「お前、バカだな。俺はともかく、ピーターみたいなおっさんの天使なんて聞いたことないだろ」
確かに、絵画に描かれている天使たちは眉目秀麗な若者や子供だ。
人ではなさそうだけど、天使でもないのか…何となく残念だったが、まあ、害はないのでいいか、とそこで思考を切り上げようとした時、あら、と声をかけられた。
僕達がふり返ると、駅の方から見覚えのある長身の女性が現れた。
「こんばんは、愉しそうですね。」
よおアガタ、とトマスがコートを着ながら応えた。僕の訝しげな顔に微笑むと、
「イザヤ、改めまして送還を担当しているアガタです。あなたのお父様や松岡さんをご案内した守護です。よろしくお願いします」
傘から覗く端正な顔立ちに口元だけ微笑んだ女性は、火葬場でピーターに怒っていたあの人だった。
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