第11話 葬儀という通過点

 ダニエルの話はこうだった。

 

 10年前に妻を亡くし、死ぬことを考えていた時にジョンに出会った。ジョンはダニエルの視る力を閉じにやってきたが、自ら命を絶とうとしていることを知ると、自死をしたところで妻には会えないが、自分達の仕事を手伝っていれば妻に会えるかもしれない、と囁いた。

 だが、ダニエルはそんな曖昧な未来を待つよりも、今この苦しみから解放される為に自ら命を絶つことを選択したいと伝えると、ジョンはちょっと考えてから、

 『では、二万人分の撮影が出来たら、君の妻に迎えに来させるよ。それでどうだい?』

 ジョンの目論見はダニエルにも分かった。二万人なんて途方もない人数をこなしているうちに、哀しみが癒えて前に進めるのではないか、という希望的観測による単純な時間の引き延ばしだった。

 ジョンが何故自分の自死を止めようとするのかは分からなかったが、妻にまた会えることが確約されるのであれば自分にメリットしかないことを理解し、その場でジョンの提案を受け入れた。

 ただ、1つ盲点だったのは、守護という監督がつき、自分の好き勝手に任務を組めないことだった。睡眠を惜しんで任務をいれようとすれば、世話焼きの守護ヴェロニカが真っ先に却下した。食事をおろそかにすれば、文字通り首根っこを掴まれ定食屋に連れていかれて、食事が終わるまでは仕事に出かけることができなかった。

 ただ、ヴェロニカが去った後は守護がつかないように上手く立ち回った。計画通り守護達はダニエルを敬遠し、単独行動が増えたダニエルは、寝食を忘れてひたすら任務を積み上げた。


 「ちなみに、何でわざわざここなんだ?」


 ああ、とダニエルは少し恥ずかしそうに言い淀んだが、


 「ここは、僕と妻が出会ったところなんです。あの人も意外とロマンチストですね。」


 何がロマンチストだ。あの狸じじい、クソじじい。いつもこうやって人を振り回す。思わず天を仰いだ。既に頭上は深い青に染まっていて、宵の明星が見えた。


「もういいぞ、写真師。始めてくれ」


 え、僕がやるの?という顔をしているから、

 

「お前、死人に自撮りさせる気か?とっととやれ。時間ないんだから」


畳みかけるように言った。考える時間を与えるとまたうだうだ言い出しそうだったので、ダメ押しで尻を蹴った。


 こわばった表情を浮かべながらカメラを構えたイザヤとダニエルが向かい合った。程なくして、イザヤが視線を通してゆっくりとダニエルを取り込んでいるのが分かる。ああ、やっぱりこいつは素質があるんだな、とイザヤの横顔を見ながら思った。自分の間合いの中で消えゆく存在の気配を、俺は静かに祝福した。


 全てを取り込むと、イザヤは小さく息をついた。

 

「僕の仕事は命を取ることじゃなかったんだな」

 

こちらを振り返って少し困ったような笑顔を浮かべた。涙が一筋、イザヤの頬を伝っているのが見えたが、彼は取り乱すようなことはなかった。


 「ダニエルは、一生懸命生きたよ。良かったなって思ったのに、何故か涙が止まらないんだ。」

 

俺はその涙を親指でぐいっと拭い、ぺろりと舐めてみた。

 

「何やってんだよ!」

 

ああ、すまん、と呟きながら俺は腹の底から湧き上がるものを必死に抑えた。

苦い、ちゃんと苦い。やがて堪えられなくて、それは高笑いになった。


 「でかしたぞ、イザヤ!赤飯炊くようにピーターに連絡するぞ!」

 

 「は?人の涙舐めて高笑いとか意味分からないんだが?これから葬式なんじゃないの?!」


 写真師の仕事、それは魂に残った悔や怒り、悲しみといった心の澱を取り去ることだ。そういう感情は、そのまま残っているとこれから眠りにつく魂を腐らせかねない。それらの感情に質量を与えてこの世にとどめることで眠る魂と分離するフィルター、それが写真師の本当の仕事だ。あるものは自分の五臓六腑で消化するし、あるものは涙や嘔吐といった形で排出する。

 写真師本人の感情の発露の涙ならば生理現象なのでしょっぱいが、魂の変換作業で出る涙は、その感情の通り苦い涙となる。つまり、苦い涙を流したイザヤはフィルターとしての役割をきちんと果たせたということになる。

 そして、あの穏やかな涙をみると、ダニエルには与えられた時間を生ききったという実感があったということだろう。イザヤの感想の通り、あいつは一生懸命生きたのだ。

 

 「良い写真師だって言われたよ。あっちで撮影した人に会ったら謝るってさ。僕ももっと頑張らないといけないな」

 

 どうやら、この仕事に背を向けてしまっていたイザヤの心を、ダニエルが取り戻してくれたようだった。あの男、最後は自分の目的の為に、数をこなすことにが目的になってしまっていたけれど、同時に写真師としての良心の呵責に耐えなければならなくてあんなに苦しそうだったのだ。結局、あの男は立派な写真師で、自分の仕事をちゃんと理解し愛していたのだろう。照れくさそうに話すイザヤに、俺はよかったな、そう言うのが精一杯だった。


 ジョンが判断したダニエルの寿命、それを成就させる為に任務を組み立てたピーター。二人の判断は他の誰でもなく、ダニエルにとっての最良の判断だった。そして認めるのは悔しいが、蹲って動けなくなってしまった新米写真師も再び前を向くことが出来たわけだから、これに関わった全員が幸せになった。

 

 俺が幸せかどうか?

こんな任務を見届けられる守護はそうそういない。ダニエルやイザヤが幸せそうな顔をしているのを見ると、それを今日守ったのは自分なのだとふれてまわりたいぐらいだ、しないけど。

 

 つまり、それくらい俺も幸せで浮かれているということだった。


***


「明日の午後の便で東京に戻ります。」

 俺はいつもの通り、任務終了の報告にピーターの執務室を訪れた。ピーターはしたり顔で素晴らしい任務だったな、と頷いた。

「そういうの自画自賛っていうんですよ。」

 そもそも策案者は函館教区長、ピーター本人だった。


「守護は策案者と同じ権限を持って現場を取り仕切るのが仕事だ。だからこの件で称賛を受けるのが私であれば、お前も等しく称賛されるべきだ。それとも私の称賛は受け取ってもらえないかな?」


 こちらを覗き込むような仕草に、


 「引っ張り出せなんて、よく言ったもんですね、自分が先に動いていたのに」

 口をとがらせると、ピーターはすまないね、待つのが苦手なんだと笑いながら俺の前に立ち、デスクにもたれると俺の髪を梳いた。俺を宥める時、昔からピーターはこうした。


 「ダニエルは妻に会えた。イザヤも戻ってきた。ジョンに託された願いを成就させた。でも一番うれしいのは・・・」

 続きを耳元で囁かれ、俺は思わず噴き出した。そんな俺をみてピーターも笑いながら、そうそう、とデスクの引き出しに手を伸ばし、紙袋を取り出した。


 「ほら、ウダーチクッキー。お前とイザヤの分だ。うだちが上がりますように」

 「それはうだつですよ、ここ100年まったく上がってないけど」


 ピーターが焼いたクッキーは相変わらずふざけた名前だが、食べると必ずいいことがあり、何より美味しかった。この焼き目のついていない白く柔らかいクッキーを、初めて口にして美味しいと呟いて以来、ピーターは帰りに必ずこれを俺に持たせるようになった。最初のそれは100年以上前の函館の話ではあるけれど。

 

 「夏休みにでも長期でこっちに遊びにくるといい。たくさん食べさせて太らせる栄誉にあずかりたいものだ。最近なんだかお前は痩せてしまった。お前はもう少し丸いくらいが丁度いい」


 ピーターは確かめるように俺をぎゅうぎゅう抱きしめた。

 「痩せてません。あなたいつからデブ専になったんですか。っていうか苦しい!離して!」


 「トマス、そんな言葉を覚えたのか?感心しないね!ははは」


 もがくと調子に乗るのはいつものこと


 「勉強熱心なんですよ。勤勉であれ、って言ったのあなたでしょ!」


 ピーターは気が済んだのか、俺を解放すると、それは結構と呟いてピーターは立ち上がった。


 おいで、と再び自分の間合いに俺を呼んだ。

 その声音に、今日の時間が終わることを理解し、俺は吸い寄せられるようにピーターの前に立った。

 彼は俺の顔を両手で包み引き寄せると、俺はいつものように目を閉じた。


 額に感じるピーターの囁くような祈りに、俺は小さくアーメンと呟いた。

 


***


 段田秀の葬儀は市内の寺で行われた。

 

「作之介さん、こういうものなのか?」

 

 焼香が終わり、出棺を見送るとイザヤがヒソヒソと話しかけてきた。外部の人間がいる時は、お互い下の名前で呼び合う、これも取り決めの一つだ。俺の実年齢を知ってしまっているイザヤは律儀にも俺をさん付けで呼ぶ。そういう律儀なところはこいつのいいところだ。イザヤは何となく居心地悪そうに周囲を伺っていたが、別にやましいことはなにもないので、見ないふりをした。


 寺の門を出ると、俺は数珠をポケットにしまい、窮屈なネクタイを緩めて歩き出した。

 

「段田は俺たちと働いていただけで、彼には彼の信じる神仏がある。もっというと、彼の周囲が信じる神仏だ。葬儀は彼らの為のものなんだから、彼らのやりたいように見送ればいいんだよ。」

 

 教会職場での葬儀サービスはあったのに、ここに来てしまったのは、仕事ではなく彼らのやり方でも段田を送ってやりたいと思ったからだ。そして、俺たちより段田の死を悲しんでいる奴らがいて安心した。自分の仲間がちゃんと悼まれていることに安心を覚えたということは、俺もこの会に参加した意味があったということだろう。

  

 「史郎、お前腹減ってないか?」


そろそろ昼時だった。函館は今日も天気がいい。午後の羽田便は定刻通りだろう。


 「帰る前にラーメンでも食って帰るか」

 

 こないだ美味しいところに連れていってもらったから案内するよ!と、興奮気味に言うイザヤの携帯に示された店の名前を見て溜息が出た。


 「ここ、いつ行ったんだ?」


 「4日前だけど?ピーターが函館観光に誘ってくれて…」


 4日も前からここに呼んでたのか、あの人は。せっかちにも程があるだろう。


 「もう、完全復帰ってことでいいよな?」

 ラーメンを隣ですする男に声をかけた。やっぱり函館ラーメン最高だな、と一人呟いていたが、なあ、と声を掛けると、そうだな、うん、と言ってまたラーメンに注意が行ってしまった。ここのラーメンは函館に来訪者があると必ずと言っていいほどピーターが連れて来る店だった。


 一足先に食べ終わり、店の外にでてポールに電話をした。報告が遅くなったことを詫びると、ポールは既にピーターから連絡をもらっていたから、と笑っていた。


 『いい任務だったらしいな、ピーターがしきりに自慢してたよ』

 「あの人恥ずかしくないんですかね、自分の策案自慢するなんて」

 『いや、君のことだよ。彼にとったら君のことは自分のことだからねぇ』

 「父親ヅラも大概にしてほしいですね、こっちはもう成人してるんだから」

 『本人に言ったら泣くから言うなよ。あの人の機嫌が良ければ面倒事は減るんだから』

 ポールも伊達にピーターの下で働いていたわけではなかったようだ。

 では明日からよろしくお願いします、と電話を切ると既に背後にイザヤが立っていた。

 「聞こえたんだけど、ピーターってトマスの父さんなの?」

 「ふざけるな、一ミリも似てないだろ」

 ふうん、となにやらよこしまな表情を浮かべたので

 

 「俺は昔あの人の家の使用人だったんだよ。物乞いしてたのを拾われたんだ。世話になったが親子じゃない。親子なんて勘弁してくれ」

 物乞い?!と、イザヤは目を剥いたが、そんなつまらない話はしたくなかったので俺は奴をおいて歩き出した。


 とにかくこれでまた日常に戻れる。ホッとしつつ、また変わり映えのない日々が続くと思うと少しだけうんざりした。

 


 


 




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