第10話 全員集合
目的地の神威岬に着いたのは17時頃だった。今日は強風で岬の先までは行けないと表示が出ていて、門は既に閉ざされていた。だが、ダニエルは、この先です、と迷いなく塀を乗り越えて歩き出した。
道はだんだん細くなり、風はどんどん強くなる。手すりにつかまらないと吹き飛ばされるレベルだ。日中であれば積丹ブルーと呼ばれる美しい青が眼下に広がるはずだが、既に陽も傾いて、空も海も薄紫を溶かしたような色をしていた。
強風にまぎれて何か気配を感じる。他社でもない、『善からぬもの』でもなく、ダニエルでも自分でもない第三者の気配だ。
「ダニエル、気を付けろ!」
だが、強風でダニエルには聞こえていないようだった。彼はこんな強風にも関わらず、慣れた足取りでアップダウンをものともせずにかなり速いペースで岬の先端まで向かっていた。まるで何かに導かれているように。
何だか嫌な予感がする。背後から夜の帳が下りてくるのを感じながら、すっかり声の届かない距離に行ってしまったダニエルを追いかける。最後の上り坂を登りきると、岬の先端にダニエルがこちらに背を向けて立っていた。
「ダニエル!」
その時、それまでとは違う暖かな一陣の風が吹き付け、ダニエルは柵へ叩きつけられた。よろめいたダニエルが捕まった柵は音もなくはずれ、彼はそのまま崖の向こうへ吸い込まれるように転落した。
「ダニエル!」
崖の下を覗き込むと、途中の岩場に倒れているダニエルの姿が見えた。首が不自然な方向に曲がっているのが見えた。
思わずその場に座り込んだ。管理している写真師の魂を奪われてしまったことはあったけれど、死なせてしまったことはなかった。目の前で起きた一瞬の出来事に、悔しくて思わず地面を殴った。
沈みかけた夕日を見ながら、段取りに思いを巡らす。早く遺体回収チームを呼んで最寄の写真師を手配しないといけない、だが、その前にピーターへの報告がある。ダニエルの家族への通知は?家族は健在なのか?
…いや、ちょっと待て。
そもそもこいつが撮影するはずだった魂はどこにいるんだ?ふと、我に返りもう一度確認しようと端末を開こうとしたその時、
「トマス」
背後から突然声をかけられ、ぎょっとした。
ゆっくり振り返ると、俺の目の前には見たことない女とダニエルが並んで立っていた。何ならダニエルはまるで別人のように柔和に微笑んでいた。
「今回のターゲットは私です。お手間取らせてすいません」
絶句してしまった。
自分の魂は撮影できないし、それに横に立ってる女は誰だ?
「紹介します、妻です。約束通り迎えに来てもらいました。」
俺の視線に気付いたようで、ダニエルがうれしそうに横の女の肩を抱いた。ダニエルの妻、10年前に病死した妻か。
幸せそうなダニエルの顔は、さっきまでとは別人のようだった。
「あー、あれ、あれは」
何か頭の中で質問が飛び交ってしまい、うまく口に出てこない。だめだ、聞くより指示書を見た方が早い。
先ほどのダニエルの指示書にあったプロフィールページから戻り、指示書の表書きにある写真師欄を見ると調整中となっている。通常ここは写真師の自分の名前が入るところだ。逆にここに自分の名前がなければこの端末には表示されないはずだ。
その瞬間、すべてが腑に落ちた。
ここに自分が派遣された理由、写真師が調整中な理由、そしてイザヤに新たに任務が入った理由。口を開きかけたその時、
「すいません、遅くなりました!」
振り返れば、今度は息を切らしたイザヤがそこに立っていた。あれ?トマス?とあたふたと端末をとりだすイザヤを後目に、自分の端末で確認すると、先ほど調整中ばかりだったイザヤの任務内容は、すべて記載がされていた。
ターゲットはダニエル、守護はトマス、承認者は函館教区長となっていた。
「え、これ任務だったの?」
斜め上をいくイザヤの呑気な発言にそれ以外に何があるんだ、と睨むと、
「ピーターから親族に不幸があったから積丹町にいる親戚を迎えに行ってほしいと言われて…」
ピーターもピーターだが、騙される方も騙される方だろう、そんな陳腐な口実。喪服まで着てるし。なんか頭痛がしてきた。
「承認済みの指示書がある。いいか写真師、始めるぞ」
ニコニコしているダニエルとダニエル妻を前に怒ることも不毛だし、こんなバカを真面目に相手にするのもばかばかしくなった。
水平線の向こうに落ちそうな夕日を目の端に捉えながら、端末のプロフィールを見ながら本人確認を始める。
ダニエル、こと段田秀は今年40才の元会社員。妻を10年前に病気で亡くし、ピーターの前任者であるジョンに見出されて写真師となったのもほぼ同じ時期だ。守護は5年前までヴェロニカが担当していたが、彼女の異動後は特定の守護がつくことはなかった。函館教区内で一番多くの仕事をこなしている男で、ヴェロニカ曰く寂しがり屋のシャイボーイ、他の守護に言わせると陰鬱とした不愛想な男、だそうだ。ヴェロニカは肝っ玉母ちゃんだから、彼女にかかれば口数少ない男はみんなシャイボーイなんだろう。
ジョンのメモによると、もともと視える体質で、救済の対象としてその過分な視力は我々によって閉じられる予定だったが、記録によるとジョンは接触して即日で函館教区の写真師として迎えている。
どういう経緯でそうなったかは、どこにも記載はなかった。
「OKだ。ダニエル、最後に1つだけ質問してもいいか?」
ダニエルが頷くと、
「10年前に、ジョンとどんな取引をした?」
ダニエルの顔から表情が消えた。横で空気の異変を感じたイザヤも固まっている。俺は慌てて、今日を妨害するつもりはないことを伝えると、では少しだけ、と訥々と話し始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます