第2話 せっかちを待たせたら
意識を取り戻すと、そこには心配そうにのぞき込む父と
「父さん??」
ニコニコしている父の顔に思わず手を触れると、目じりの皺がなくなっていた。
「どういうこと?若返ってるの?」
ああ、と雀部が時計を見ながら、
「時間がなくなってきましたので、説明は私の方から後ほど。取り急ぎ、史郎君、これを」
寝かされていたベンチから体を起こされ、携帯カメラを渡された。
「さ、イザヤここに立って。」
テキパキと雀部は父を壁際に立たせると、素早くシャツとネクタイを整え髪を手櫛で整え、パンパンとジャケットを払い、僕の背後に立った。そして、短く僕に向かって、どうぞ、と。見なくても分かる、雀部は多分、今とても姿勢よく立っている。質問を許さないような圧の強い「どうぞ」に僕は目の前にいる父であって父でない、いや父なのか?でも本人も父と言っていたが、だがどう見ても自分と年かさがかわらない頼りなさそうな男、いやいや、でもあの目元のホクロは僕と同じところにある父のものだ。で、今その父は絶賛火葬中な筈で?
「一応お伝えしますけど、待ってても照明係は来ませんよ。手配していませんから」
いつのまにか雀部の隣に立っていたアガタと呼ばれた女性のとげとげしい声が背中に刺さった。被せるように小さく雀部さんがたしなめているのも聞こえた。早くシャッターを押さないといけないのは分かっているが、押したら何が映るんだ?押していいのか?いや、押す以外今僕には選択肢はない。たぶん。
「史郎、せかすようで悪いんだが」
その瞬間、シャッターを切ってしまい、携帯に写った父は口が半開きな間抜けな顔になってしまった。それを見たアガタは口元を押さえて吹き出し、雀部の溜息も聞こえた。
「ちょっと、父さん動かないでくれる?!もう数枚いくから!」
半ばやけくそで何枚か撮った。雀部が覗き込み、ああ、これがいい、と最後にシャッターを切った笑い出す寸前の写真を雀部が選び、いつものサーバーにアップするように言った。
アガタは自分の端末で何かを確認すると、
「こちらに差し替えってことですね?」
雀部をちらっとみると、
「そっちのほうがイザヤっぽいだろう?」
そんな雀部にアガタは肩をすくめて、
「次があるのでもうよろしいですか?」
ああ、ご苦労さま、雀部はアガタを労うと父に向かって、
「イザヤ、せっかくだから、最後に史郎君に何かありますか?」
父は僕の目の前に近寄ると、
「今までありがとうな。元気でやれよ。」
そして踵を変えしたその時、父はふとその足を止め、
「史郎、あまり考えすぎるな。ピーターは信じていい、ちょっとアレだが、悪い奴じゃない」
そう言って一瞬雀部に視線をやってニヤリと笑いすぐに足早にアガタの後を追ってドアの向こうに消えていった。
***
「雀部さん、ちょっと理解が追い付きません」
雀部に背を向けたまま呟くと、雀部が背後に立った気配がした。
「お父さんは亡くなりました。そして今その扉から出て行ったのは、あなたの父親の魂で間違いありません。」
ただ、とそこで言葉を止め、僕を彼の方に向きなおさせると、
「魂が寿命に到達してから一定時間が経過したので、魂の持つ時間が逆再生をはじめました。だから急がざる得なかったんです。」
何も反応しない僕に雀部は、
「君たちは魂の時を留め捉えるという力を持っています。留めた時が彼らの次の生までの姿となります。」
「もし、それを捉えられなかったら?」
「回収の対象にならないので、上にも下にも連れて行くことができません。最悪のケースは逆再生が進み、消えてしまうか、運が悪いと樹木や岩石、山に取り込まれてしまい、養分にされてしまいます」
「養分?!」
「神木やご神体とされている自然物は、ただ、大きい、ただ古いだけではありません。特別な力が宿っていると聞いたことはありませんか?」
小さくうなずくと、
「あれは色んな霊や思念を糧に力を持ったものです。だから特別で人々の信仰の対象になっています。人身御供とかは直接的でわかりやすいでしょう?」
マジか・・・
なんかいきなり宗教っぽいんだが。心霊写真はとるけど、僕は神仏は基本信じていない。死人の魂の形をとどめてあの世に送るために写真が必要だと?
「そこで相談なのですが、写真師であったお父さんの仕事を継いで、我々の仕事を手伝ってもらえませんか?」
僕が答えに窮していると、ちょうど葬儀社の職員が骨上げの案内にやってきた。僕の意識がそちらにいくと、幸い会話はそこで終わった。
葬儀はつつがなく終わり、丁重にお礼を言って葬儀場の玄関先で雀部を見送った。そういえばピーターって誰のことだったのか、聞くのを忘れた。父に外国人の知り合いがいたとは聞いたことなかったが、接触がなければそれはそれでよかった。
***
父の仕事を継がないかとオファーされてから3ヶ月、僕は雀部からの回答の催促を断らずにのらりくらりと躱していた。これまでの雀部との交流を考えると、きっぱり断って雀部とのやり取りが切れてしまうのが惜しかった。何だかんだ言って彼は僕の数少ない理解者であったからだ。
父が亡くなった後も、独り暮らしの自分の日常はさして変わることもなく、日々は淡々と過た。
盛夏は過ぎたとはいえ、まだまだ暑い日が続いていた。普段と変わらぬいつもの月曜のある朝、出社すると会社の玄関の鍵が開いておらず、ガラス戸の向こうに見える、いつもなら灯りがついているはずのオフィスも真っ暗だった。訳が分からず、上司に電話してみたが繋がらず、もう一度ガラスのドアに額をつけて中の様子をうかがったが先週の金曜日と何も変わった様子はなかった。
「あれ?ここの従業員の方?」
振り返ると掃除のおばさんが眼鏡の奥からこちらを見上げた。
「社長さん、逃げちゃったらしいわよ」
社長が逃げたってどういうことだろう。そんな話、ウワサでも聞いたことなかった。っていうか、明日給料日だけど今月の給料は振り込まれるんだろうか?これは無職になったということだよな?何で上司電話でないんだ?先週そんなそぶり誰も見せてなかったよな?何で後輩の電話つながらないんだ?何で僕だけ倒産を知らなかったんだ??
まとまらない考えが頭の中をぐるぐるしていたので、とりあえずどこかに入って落ち着こうと、会社の入っているビルの一階にある喫茶店に入った。ドアを開けて店内を見やると、何故かソファー席に雀部がいてこちらを見てひらりと手を上げた。一応背後を確認したが、誰もいなかった。朝の慌ただしい時間で人はいたけれど、自分以外に雀部に気づく者もいなかったので、あきらめて雀部の向いに座ることにした。古めかしい緑色のビロードのソファはやたら沈み込んだ。
改めて目のまえの男を観察した。雀部は父の友人であり仕事仲間と言った、本当かどうかは知らない。髪や肌つやを見る限り父より若く見えた。きれいに手入れされた頭髪や爪、高そうなスーツ(おそらくオーダーメイド)に身を包み、ゆっくりとした物言いと常に姿勢の良い姿は、どこか高貴な人のように見えたが、何故かとても不穏な雰囲気をまとっていた。目だけ笑うか、口元だけ笑うか。この目の前の男は決して目と口元が同時に笑みをたたえることがなかった。形のよい眉毛もめったに動くことはないし、どちらかというと表情は少ない、それは決して切れ長の一重のせいではない、筈なのに。何故かこの男が今、とても機嫌がいいことが手に取るように分かった。彼はアイスコーヒーでいいですか?と返事も待たずに注文した。
「私のオファー、なかなかお返事を頂けなかったので、私なりに考えてみました。」
まるで秘密を打ち明けるかのように少し前かがみになってこちらを見た。
「諫谷君が現職と我々の仕事で迷っていたようなので、君が迷う要素は私の方で潰すことにしました。」
そして、この後に迷うとすると住まいだろうか、などと呟いた。
は?
「迷うと進めなくなりますから、シンプルな方がいいでしょう?」
ちょっとまて、ちょっとまて。要素を潰した?確かに会社は潰れた。そして僕は無職になった。で、家がなんだって?
「雀部さん、まさか家を焼くとかそういうのないですよね?」
言外に会社を潰したという雀部に、僕の声は上擦った。雀部は愉快そうに笑うと、
「諫谷君は、私を何だと思っているんですか?」
と、言葉を切って僕の視線を捕まえると、
「でも、もし君が必要というのであれば、私に迷いはありません」
諫谷君はどう思いますか?と。どうもこうもない。
僕はガックリうなだれ、降参ですと告げた。雀部は、よろしいと小さく呟くとスマホを取り出し、
「では早速ですが、引っ越しのスケジュールを。早いほうがいいでしょうから、明日はどうですか?」
この人、こんなに強引な人だったのか。よく3ヶ月も待ってたものだとむしろ感心した。
気づけば、僕は学生時代から住んでいたアパートを後にし、小さいが日当たりの良い新しくもなければ古くもないマンションに落ち着いていた。
仕事は指定された霊の写真を撮ること。それが本当に生業になるのか疑問ではあるが、やるだけやって、だめだったらやめてやろう、それぐらいの心持ちだった。
そして僕はそれを早々に後悔することになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます