第3話 初仕事


 雨が降りそうな怪しい雲行きだった。 


 僕の写真師としての初仕事の日、雀部ささべの運転する車の助手席の窓から空を見ると、暗い雲が立ち込めていた。


 「どこに向かってるんですか?」

 

 エアコンが効いた車内は寒いくらいだった。雀部はまだしばらくかかるので、寝てていいと言うばかりで行先を教える気はなさそうだった。

 

 「充電だけはちゃんとしておいてください」


 前を見据えたまま雀部は言った。USBに繋がれた携帯を見せると、僕はシートに沈み込んで目を閉じた。

 


 三カ月前のあの日、父の葬儀で初めて雀部に会った。雀部の口からきいた父の仕事はにわかには信じられなかったが、不思議と驚くこともなかった。それはあまりにも自分に身近なことだったからだ。

 とは言え、それを自分が継ぐかどうか問われた時はさすがに言葉が出てこなかった。自分は普通に会社勤めをしていたし、そんなことが仕事になると言われてもピンとこなかったのだ。ただ、しびれを切らした雀部はどういう手段かしらないが、会社を潰して僕の目の前に現れた。笑顔で仕事を斡旋しますという彼の前で、僕はノーと言えない日本人になった。

  


***


 某山麓のビジターセンターの駐車場に車を停めると、僕たちは散策路に入った。

 「山登りならそう言ってくれればよかったのに」

 オフシーズンの平日の昼間ということもあって、散策路を歩く人はまばらだった。三十分も歩くと、雀部は手元の端末を見ながら、迷うことなく散策路から外れ、森の中を進み始めた。


 「雀部さん、ちょっとこういうのまずいんじゃないですか?環境保全的に?」

 

 きれいに磨き上げられた革靴が汚れるだろうに、雀部は躊躇することなくどんどん進んでいく。樹の根やらがボコボコした苔むした地面にも速度を緩めることなく。歩きなれない悪路とその速度に、僕の額にはうっすら汗がにじみ始めた。

 

 「雀部さん、ちょっと!」

 

 すると、急にに雀部は立ち止まった。そして周囲を見回し、何かを探すそぶりを見せた。そしてその視線の先に大きな岩を認めると、僕の腕をとって大木の陰に身を隠した。急に風が吹き始め、地面に積もった木の葉が濡れているにも関わらず、地面から舞い上がるのが見えた。

 

「雀部さん?」

 

 自分を背後に隠しているその背中の気配が変わったのが分かった。

 

 「諫谷いさや君、カメラの用意を」

 

 言われるがままにアプリを立ち上げ、雀部の背後から前方を覗くと、怯えた表情の子供がどこからか駆けてくるのが見えた。こんなところに子供?!

 何故だか、大きな違和感があった。子供なのに、恐ろしく速かった。遠巻きにしているはずなのに、その荒い呼吸は何故か耳元によく聞こえた。よく見ると、脚は大人の脚だった。

 

 「諫谷君!彼です!」

 

 その鋭い声に、子供もこちらを見た。見開いているその目は、瞬きもせず墨で塗りつぶしたように光を映さず、むしろ全てを吸い込んでしまいそうで気味が悪かった。やがて、何かが身体の中から引っ張られるような感覚は、子供と目が合った瞬間に強烈に僕の喉が詰まるような締められるような感覚に変わった。


 「諫谷君!早くシャッタ―を!」


 息が出来ず、手が震え始めカメラのシャッターボタンを押すのが一瞬遅れた。その瞬間、子供は岩と地面の間から伸びた何かに足をつかまれ、岩の下に引きずり込まれた。子供の顔は恐怖にゆがみ、とても子供の声とは思えない野太くそれでいて、何か引き裂くような不快な音が周囲に響いたが、痛みにだろうか、のたうち回りながらズルズルと岩に引き込まれ、完全に飲み込まれるとそれっきり風も止みあたりは静寂に包まれた。

 遅れて駆けてきたのは大きなイノシシだった。岩の前まで来ると、僕たちの気配に気づいたが、次の瞬間弾かれたように半歩下がるとふいっと鼻先をもと来た方向にむけて去っていった。

 

 子供が消えた瞬間に力が抜けた僕は、呼吸を取り戻そうとして激しくむせてうずくまった。

 「大丈夫ですか?」

 雀部は背中をさすりながら、僕を気遣った。

うずくまった拍子に泥がついた画面を袖で拭いカメラロールを確認したが、僕のカメラは見事に何も捉えていなかった。

 

  絶句する僕に、携帯を覗き込んだ雀部は小さくため息をついた。

 「…あの子はどうなったんですか?」

 恐る恐る聞くと、雀部は僕の腕を取り立たせながら、

 「諫谷君は、以前お話しした御神体とよばれる自然物の話を覚えていますか?」

 小さくうなずくと、

 「あれらは魂を糧に力を増やすのです。獣しかり、人間しかり、周囲に彷徨う魂はそれに喰らわれてしまう」

 だから、と言葉をつづけ

 「その御神体の周りには邪気も何もなく、清逸な空間が出来上がるのです。」

そして先ほど子供を飲み込んだ岩に手をあてると、

 「この岩もそうです。たくさんの魂を喰ってる。ここが国定公園の中で散策路から外れているから静かなものですが、これが外にあったらパワースポットと呼ばれているでしょう。」

 再び周囲に不穏な風が巻き始めた。ああ、失礼…と雀部は手を離し、

 「自然界にある御神体は、あちらのものなので破壊は厳禁です。一応先方との不可侵条約があるのでね。」

 それにしても、紙垂でも巻いてくれないとわかりにくいですよねぇ、なんて呟きながら、雀部は端末に視線を落とした。

 「あの、さっきの人は…」

 「残念ですが、彼の魂はここで形がなくなるまで縛られます。もっともそれがいいか悪いかなんて、我々のあずかり知らぬところではありますが」

 初仕事で失敗してしまったショックと、何よりあの苦しみに歪んだ顔が頭から離れず、僕はその岩から目を離すことが出来なかった。


 「今日はもう終了です。撤収します。」

 雀部は端末を胸ポケットにしまいながら告げた。わざわざここまで連れてきてもらったのに、と思わずすいませんと口にした。すると前を歩いていた雀部はピタリと立ち止まり、こちらを振り返ると

 

 「この仕事は、次がないことを覚えておいてください。あなたが2,3回生きられるくらいの時間をかけてあの魂は喰われて消滅します。じわじわと自我が蝕まれ自分と他者との境界が曖昧になっていくのが悲劇か、それとも成仏も転生も昇天もかなわないことが悲劇か。いずれにしたってここで喰われることは予定にはありませんでした。

 せめてもの救いはあの魂はそもそも地獄行きだったので、我々が送還する手間が省けたことでしょうか」

 あの男は強盗致死罪で逃亡していた男だったと雀部が告げると、ほんの少しだけホッとした。だがそんな僕のあからさまな安堵の表情を見て、雀部はわずかに眉をひそめ、


 「もし、彼が無辜な子供で転生の段取りが出来ていたとしたら、悲しむ魂が大勢いたかもしれないということを理解してください。魂は1つであっても、その存在意義は決して1人分という意味ではないのです。」


 くれぐれも忘れないように、そう言いながら雀部は再び踵を返して歩き始めた。

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