便宜上、僕は彼を天使と呼ぶ

晴屋 セイ

第1話 引き継がれなかった仕事

 


 父は進行性の病を長く患っていた。

だから、最後の入院となった病院で息を引き取ったと連絡があった時には、悲しくもあったが言葉を選ばずに言うと少しホッとした。父はずっと痛みに耐える日を送っていて、痛みに耐えるか、酷い痛みに耐えるか、痛みを和らげるために別の痛みに耐えるかの、どれを選んだって痛いという罰ゲームのような選択を迫られる日々だった。

 回復の見込みがない中、何のために耐える日々を過ごすのかという誰も答えられない疑問を抱えながら痛みに耐えていた父が、最後まで正気を保っていたのは並大抵のことではなかったと思う。


 やせ細った父の遺体は棺桶の中では驚くほど穏やかな顔をしていて、いくら考えてみてもかける言葉は「よかったね」以外には見つからなかった。

 母も顔が思い出せないくらい前に亡くなっていて兄弟もいなかったので、父との約束だった人物写真の撮影は家族だけという決まりにを守れば、もう人を写真に収めることもないのだな、とわずかな参列者(と、言っても病院や葬儀社の職員の人々)たちが帰った後、最後に不謹慎を承知で父の写真を撮った。


 何かが写る予感はあった。だが、そこに写っていたのは想像を超えたものだった。


 「相変わらずよく撮れてますね。」


 耳元で聞きなれない男の声がした。驚いて振り向きざまにその男にぶつかり携帯を落としかけると、その男が手際よく携帯に手を伸ばした。

 そこには自分よりも少し年上の男が、髪はこれでもかときっちりと七三でセットされている眼鏡の男が立っていて、自分と目があうと眼だけ少し笑った。


 手元の携帯には遺影をバックに祭壇と棺が写っているのだが、棺の周りには、大人数の老若男女が写っていて、棺桶を悲しげに覗きこむ者、遺影を見上げる者、そして驚いた顔でこちらを見る者と、いちいち表情豊かな面々で、よく見ると、一昨年なくなった叔父さんであったり、既に鬼籍に入った父の友人によく似ていた人物達が写っていた。言うまでもなく、こんなに賑やかな写真なのに、生きている人間は一人も映っていなかった。いつもの心霊写真なのでそんなに驚くことではなかったが、彼らはお迎えに来たのだろうか?肝心の父の霊が見えなかったけれど。


 「お父さんは沢山の方に愛されていたようですね。」


 「えっと、失礼ですが…」


 ああ失礼、と男は半歩引きながら、


 「雀部ささべです。改めまして、宜しく。」


その名刺を見て驚いた。彼は他でもない、自分が高校時代から心霊写真を投稿していたオカルトサイト運営者だったからだ。


 雀部は父とは仕事の知り合いだったが、まさか『心霊写真界の大型新人』が知り合いの息子とは思わなかったと話した。メールだけとは言え、10年にも渡って細々とは言え、やりとりをしていると何となく初対面という感じではなく、向こうも自らの知り合いのように接してくれた。

 雀部は葬儀に最後まで参列してくれた。そもそも参列者が数えるほどしかおらず、顔を出してはすぐに帰っていったので、火葬場で最後の見送りは自分と雀部だけだった。棺桶が分厚いドアの向こうに消えた時に泣くつもりなんてなかったのに、不意に涙がこぼれた。


 目の前に白いハンカチを差し出され、断りながら自分のハンカチを探したが、ポケットの中で手は泳ぐばかりだった。自分の意志とは関係なくとめどなく流れる涙に、雀部は小さくため息をつきながら、僕の胸にそっとハンカチを押し付けた。


 火葬が終わるのを待つ間、二人並んでベンチに座り、窓の外の重苦しい梅雨空を見ていた。ぱらぱらと雨が降ったりやんだりして時折窓ガラスをうつ雨は、ゆっくり窓のガラスを伝っていくつもの筋を描いていった。


「僕の撮る写真はいつもあんな感じなんですけどね、父だけは喜んでくれました。」


 紙コップのぬるくてやたら酸っぱいコーヒーを飲みながら促されるまま父や自分の話しをした。雀部は眼鏡の奥から、じっと僕から視線を外さず、それは何かを検証するような同情でも憐憫でもない静かなまなざしだった。 


諫谷いさやさんの写真館は君が継ぐんですか?」


僕が首をすこしかしげると、


「諫谷君はお父さんの手伝いをしていたと聞きましたが」


「写真館は畳もうと思います。僕も会社勤めしていますし、父の入院後何となく引き継いだのですが、今時写真館の需要もそんなにあるとは思えないし」


すると雀部は視線を僕から外し、窓を見上げながら、


「諫谷さんはよく史郎君の自慢をしていましたよ。とても良い写真を撮るって」


ちらっと雀部の横顔をみた。


「心霊写真は得意ですけどね、それに写真館なんて今時はやりません・・・」


すると、雀部はその呟きを聞いて小さく笑うと、


「随分謙虚なことを言う。諫谷さんは多忙を極めてましたよ?」


「いや、本当に。昔から僕はあの写真館で人影をみたことがありません。父が僕をどうやって養っていたか不思議なくらいで」


 雀部は、一瞬眉を上げたが、すぐに考える風に床に目を落とした。雀部は小さく何かを呟いている自分の唇を人差し指で軽く叩きながら、手元の端末をいじると目を閉じた。

 すると、ほどなくして背後にあった待合室の扉が勢いよく開いた。


 「こちらもスケジュールがあるんです、あなたもご存知ですよね?」


 なかなか怒気をはらんだ声に、恐る恐る振り返ると、雀部とよく似た雰囲気の長身の女性が立っていた。


 「悪かったね、アガタ。ちょっと彼に用事があったことが判ってね。」


 イライラしている女性の後ろからそろりと顔を出したのは、まさかの父だった。


 「やあ、イザヤ。お疲れ様でした。引き留めてしまってすいませんね。ちょっと業務の引継ぎが終わってなかったみたいなのでご足労頂きました」


 雀部がイザヤと呼んで話しかけているのは父だった。ただ、棺桶の中の本人よりも、遺影の本人よりも、だいぶ若く見えた。なんなら雀部と同じくらいか、ともするとそれより若く見えた。


 父はこざっぱりしたスーツを着ていて、雀部と視線が合うとバツが悪そうに曖昧な笑顔を浮かべた。困ったように首の後ろをなでているその姿は、生前の泰然自若とした父とは似ても似つかなかった。


 さあ、と雀部に促され、女性が腕組みして父と雀部を見ている中、父は僕の前に立つと、


 「すまない、仕事のアポを放置してしまった!」


 目の前の父はそういって僕に向かってやおら手を合わせた。


 「イザヤ、そこじゃないでしょう」


 雀部が間髪入れずにツッコむと、あ、そうだった、てへっと音がしそうな父の声。


 普通に喋っているけれど。いや、この人、いま火葬されてるはずだが?さっき、ボタンを押したのは僕だから間違いない。そもそもこの人は父なのか?何か飲み物に混入された?いや、コーヒーサーバーから入れたのは自分だった、はずだ。

 何故か二人がこちらを向いてて何か言っているが聞こえない。妙に眩しいな、目を凝らしても明るくなるばかりで何も見えない。遠くで雀部と父が僕の名を呼ぶ声がする。返事をしたくても苦しくて声がでなかった。




 そして暗転。


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