第8話 貧乏くじ

 

 見るからにイザヤは落ち込んでしまった。


 ピーターに頼まれて面倒をみることになった新米写真師イザヤの初仕事を見届けて、俺はピーターの元に報告に来ていた。

 北の大地にある教会のバックヤードが彼の執務室となっており、ステンドグラスから入る光を背に、ピーターはデスクに向かっていた。

 

 「この仕事に向いている人間です、親譲りなんですかね。もっと早くリクルートしておけばよかったのに」

 「優秀だろう?私も指導したからね、高校に上がるくらいからだったかな」

 自慢気に言うピーターに、なに自慢だよ、と呟くと、彼はくすりと笑い端末からちらりと視線をよこして、

 「あの子は特別でね。だから君にお願いしたんだ」


この人は平気でこういう言い方をする。


 「それで、その後彼はどんな様子なの?」

 それが、と口を開きかけて、それっきり俺は言葉がでてこなかった。


 松岡の魂を回収したところまでは順調だった。何なら、彼の魂を引き渡した送還担当のアガタからも、松岡本人が満足していたとその後報告も受けている。だが、あの日イザヤを家まで送り届けた後から、連絡がとれなくなってしまった。確かに初日は精神的に負荷がかかるし、体力も消耗するだろう。だが、大体は早ければ2,3日、かかっても1週間もすれば復活するものなのだが。

 

 あの日パニックを起こしかけていたイザヤにカウントダウンの為に背中に触れたが、ひどく身体が熱く、呼吸が浅かった。そのくせ、送り届けた玄関先でこちらを見た時の顔色は酷いもので、真っ青になっていた。ああいう瞳を見たことがある。


 「僕は、松岡さんの命を奪ったんだよな?」


その一言が全てだった。


 生真面目な男は自分が老人を殺したと認識してショックを受けていた。

初日は大体やり遂げたことでいっぱいいっぱいになる者が殆どだった。ましてや自分が最後に魂をこの世から引き取ることにまで考えが及ぶものは、担当した中にはいなかったな、と過去に守護した写真師たちの顔を思い浮かべた。


 「奪っちゃいない。ただ、次に引き渡しただけだ」

 「でも僕がシャッターを押すまでは松岡さんは生きていた」

 

 間髪入れずに返してきた彼の瞳には怒りが揺らめいて見えた。


 「僕は人殺しじゃない」


 揺らめいたと思ったのは涙がこぼれたからだった。彼は答えない俺の目の前で静かにドアを閉めた。


 魂を抜いた時点で肉体の器としての役割は終了、すなわち機能停止となる。ただ、魂にも肉体と同じように寿命という期限があるのだから、期限が来たら次へ進めないと魂は逆再生を始めてしまい、肉体とバランスがとれなくなっていく。

 

 昨今、無駄に器の耐用年数が延ばされてしまったから、魂の寿命と乖離していく。童帰りした魂が肉体を動かすものだから本人も含めて混乱をきたして関わる人々が悲しい思いをする。世の中あれだけ心身のバランスが大事というのに、どうして人間はそこを理解しないのか、俺にはわからない。

 

 ただ、人間は魂というものが概念でしか捉えられないから、機能停止が人間の死としたほうが受け入れやすいのだろう。器の機能停止が人間の死なのか、魂の寿命が終わることが人間の死なのか。魂が見えない彼らを責められないし、理解しろというのも酷な話なのだ。


 一通り説明すると、ピーターも特に驚くこともなくまあ想定内だろうね、と呟いた。確かに、人の鼓動を止める撮影という行為に嫌悪感をもった写真師はいたけれど、彼らも結局場数を踏んでそれを受け入れていった。


 「考え方やものの見方を変えるというのは、容易ではないけれど、できないことじゃない。丁寧な説明と寄り添うことだよ。」

 どこかの政治家みたいなセリフですね、と言えばお前はいちいち言い方が意地悪だなぁ、とピーターはぼやいた。


 「ただ、まあ、これもお前の経験になる。誓ってもいい、彼を指導したことを後悔しない」

 「そんなに素晴らしいなら、教区長のあなたが指導すればいいじゃないですか。」

 「生憎、私は君の世話で手一杯でね。」

 「お言葉ですけど、スマホの使い方をあなたに教えたのは俺ですよ?」

ピーターはムッとした顔をして、

 「人を老人扱いするのはやめなさい、鼻垂れの君に読み書きそろばんの手習いをしたのはこの私だぞ?」


 そう言われて、ふと懐かしくなった。初めてピーターに会った時、自分はまだ幼子と言ってもいいくらいの子供だった。親がいなかった自分に着物と寝床と食べ物を与えてくれた。

 「せっかく習ったのに、もはや筆も硯も使うことがなくなりました。誂えてもらった着物も浴衣もずっと箪笥の中だ。」

 「ああ、せっかく色違いで帯を揃えたのに、あれはもったいなかったな」

 しみじみとピーターは呟き、

 「愛しい存在を近くに感じたいというのは、いつの時代も変わらないものなんだな。だから時代は変わっても人は同じことを繰り返すのだろうね」

 

 と、おもむろに立ち上がったピーターを俺は目で追う。ピーターが紅茶の支度をしようとしていたので、立ち上がり自分がやりますから、とピーターから紅茶缶を引き取った。だが彼は椅子の戻らず横に立ったまま、


 「目新しいものなんてない同じことの繰り返しだ。寿命を与えないなんて罰ゲーム、よく考えたものだと感心するよ。人のすることじゃない」

 

 俺の手元を見ながらピーターが低い声で毒づいた。

 

 「ピーター、言い方」

 

 俺に短くたしなめられて、ああ、人じゃなかったか、とわざとらしく天井を見上げた。そして一瞬だけ目を閉じたが、次の瞬間にはいつものピーターに戻ってこちらに向かって微笑んだ。

 

 「何はともあれ、出てこないなら引きずり出すまでだよ、トマス。仕事はしないと。」

 この人が意外と強引だったことを忘れてた。物腰柔らかいので皆騙される、俺も含めて。いつもしていたように紅茶とクッキーをピーターのデスクに置く。


 「彼は写真師にならなければならないんだから」

 それが何故だとかは勿論説明はない。これもいつも通りだ。


 「相変わらずですね」

 

 せめてもの嫌味もピーターには響かない。それが分かっているから俺は返事も待たずにそのまま出ようとした。だが一歩を踏み出す前に呼び止められた。


 「せっかく函館まで来たんだから、仕事を頼まれてくれないか?市内で稼働している写真師の守護がつかなくてね。道内の班で持ち回りで動いているんだが、今日に限って誰も都合がつかないんだ。お前も今日は特に仕事が入っていないようだし」

 

 そもそも写真師には固定した担当がつくのが本来のオペレーションだ。そして守護だって場合によっては一人で複数の写真師を担当するのもよくある話。つまり、その写真師はどの守護からも敬遠されている、いわくつきな人物ということだろう。

 

 ピーターの言うように自分の端末に東京ホームでの仕事が一切入っていない。報告に来いなんて建前でこっちが本題か。呼ばれてのこのこ顔を出す自分も自分だが、今更気づく自分に腹が立つ。何年この人に付き従ってきたんだか。いや、俺は悪くない、断じて。これはピーターが悪い。ピーターは、俺の逡巡を見透かしているように目を細めている。


 「これ、出張扱いでいいですよね?」

 「もとよりそのつもりだよ。」

 「最初から出張っていう選択肢はなかったんですか?」

 「言ったら来ないだろう?」

 「来ませんね。道内で賄えないなら、釜石の連中にでも頼むべきだ」

 うんうん、とピーターはしたり顔で頷いて、

 「でも、お前に頼みたかったんだ。」


 そう言うと、話しはここまで、と両手を合わせて視線で俺をドアへ促した。


 「高級寿司食べさせろ」

 「お安い御用だ」

 「経費じゃなくて、あんたのポケットマネーだぞ」

 「望むなら、私が手ずから食べさせてあげるよ。紅茶、ありがとう」

 

 そう言って大げさに、追い払うように手をひらひらさせた。いつだってこうだ。何を言っても結局この男の思うがままにことは運ぶ。

 涼しい顔をしているピーターに、これ見よがしに舌打ちをして見せ、俺はそのまま執務室を後にした。

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