第14話「一つの失敗」

 人は、誰しも失敗をする。

 私もそうだった。前職の会社で新人の頃、大きなミスをしてしまって、注意をされた記憶がある。


 失敗をしない人間というのを見つけるのが難しいと思う。

 そして、そんな失敗をしてしまった人間が、ここにも一人。


「……はぁ」


 カウンターの奥に来て、ため息をついたのは、山倉さんだ。

 先ほど、お客さんの注文を聞き間違えたようで、違うコーヒーをお出ししてしまったのだ。

 これが常連さんなら笑って許してくれたのかもしれないが、お客さんは初めて来られた方らしく、ちょっと怒ってしまったようで、「もういいです」と言ってそのままお店を後にした。


 山倉さんはまだバイトを始めたばかり。毎回うまくいくとは私も思っていない。たまにはミスもあるだろう。ただ、こういうときどう声をかけたらいいのか、私はぐるぐると考えてしまった。


「……大丈夫だよ、あまり気にしないでね」


 私から出てきた言葉は、ありふれた言葉で。これだけでは足りないというのも私は感じ取っていた。


「……でも、あのお客さん、もう来てくれないのでは……」

「……うん、そうかもしれないけど、それも仕方ないことなんだよ。私たちが決めることはできない。それでもいいと私は思ってるよ」

「……そうですか、でも……」

「それとね、失敗をしない人間なんていないの。私もね、会社で働いていた頃に失敗もしてきた。ここでもそうだよ。でも、ずっとくよくよしてたらその後にも影響するって気づいてね。すぐに忘れるのは難しいと思うけど、気にしすぎないでね」


 私がそう言うと、山倉さんは悲しそうな顔のまま「……はい」と、ぽつりと言ってくれた。


 カランコロン。


 そのとき、いつものドアが開く音がした。見ると田所さんが入ってきていた。


「こんにちはぁ、今日は暖かいというより暑いくらいあるわねぇ」

「いらっしゃいませ。ほんとですね、これからどんどん暑くなるんでしょうね」

「そうねー、嫌な季節だわぁ。あ、光ちゃん、にんじん少しもらってくれる? うちもこんなにはいらないからねぇ」


 田所さんがにんじんの袋を差し出してきた。


「え、あ、ありがとうございます。すみません、いつももらってしまって……」

「いいのいいの~、うちも獲れすぎても仕方ないからねぇ。あれ? 山倉くん、なんかしょんぼりしてないかしら? 私の見間違い?」

「ああ、それが……」


 私は先ほどの出来事を田所さんに小声で話した。


「……そっかぁ、そのお客さんも意地悪よね、ちょっと間違えたくらいで怒って出て行っちゃうなんて。私ならいいのいいの~と言ってそのままいただいちゃいそうだわぁ」

「あはは、そう言っていただけるとありがたいです」

「うんうん、あ、注文がまだだったわね。ブレンドコーヒーもらえるかしら? それと、山倉くんをちょっとお借りしてもいい?」

「え? あ、はい、少々お待ちくださいね」


 私は山倉さんに田所さんのところに行くように言った。山倉さんは「あ、はい……」と言って、田所さんの席に行く。


「光ちゃん、ごめんねぇ、山倉くんにもブレンドコーヒーをお願いできるかしら」

「……え!? そ、それは……」

「いいのいいの、おばちゃんのおごりで、一杯飲みなさい。働いているときにこんなことさせるのもアレだけど」


 山倉さんが困ったような様子で私の方を見た。今はお客さんも他にいないし、私はコクリとうなずいた。山倉さんは「……あ、は、はい……」と言って、おそるおそる田所さんの前に座った。


「いい? 山倉くん、人は誰でも失敗をするの。おばちゃんもね、嫁いできて最初の頃は右も左も分からなくて、そりゃあミスだらけだったわよ。でも、ちょっとずつ覚えていって、自信がついてきたの。今回のことはいい経験だったと思うようにね」


 田所さんが語りかけるように山倉さんに話した。山倉さんは「……は、はい」と、ちょっと緊張しているようだ。


「うんうん、でもそのお客さんも意地悪よ。そんな人はこのお店にはふさわしくないわ。山倉くんが追い払ってくれたとも言えるわね」

「お待たせしました、ブレンドコーヒーになります」


 私はそう言って二人にコーヒーを差し出した。山倉さんは本当にいいのかという顔をしていたが、私はまたコクリとうなずいた。山倉さんも私の気持ちを読み取ったのか、コーヒーをじっと見て、一口いただく。


「……美味しいです。あの、ありがとうございます」


 山倉さんがぽつりと口にした。表情が少し柔らかくなったようだ。私と田所さんは目を合わせて、ニコッと微笑んだ。


 田所さんが言ったように、これも一つの経験である。あまり引きずることなく、前を向いて進んでほしいなと思う私だった。

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