第3話「春の陽気と一つの絵」
暖かくなった春の陽気につられて、私の気分も高まる気がした。
こんな日は外に出てスケッチ……なんてことを想像するが、今はお店が開いている時間。いかんいかんと首を振る。
今日は田所さんがお友達を連れてここに来てくれていた。それと老夫婦が一組。老夫婦の奥様は私を見て、「あら、綺麗な方ね」と言ってくれた。なんだか優しそうで上品そうな、そんな感じがした。
カランコロン。
店のドアが開いた音がした。見ると男性が一人入って来ていた。
「いらっしゃいませ、お一人様でしょうか?」
私がそう言うと、男性は「あ、は、はい……」と、私の目を見ずに答えてくれた。
「お席、カウンターでもよろしければ、こちらにどうぞ」
一人で来られたことから、田所さんたちや老夫婦は話し声もあるだろうと思って、私はカウンターを勧めた。男性はコクリとうなずき、カウンターの椅子にゆっくりと座った。
私がお水を出す。男性は見た感じ、私より若そうな気がした。濃い茶色の髪は、真ん中分けをしている。男性はちょっと下を向いていて、私の方をあまり見てくれない。人見知りする感じなのかな、そんなことを思っていた。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
「あ、は、はい……」
男性はメニューをじっと眺めている。私はカップなどの準備をしていると、
「あ、あの、ブレンドコーヒーと、チーズケーキを……お願いします」
と、男性が少し小さな声で言った。
「かしこまりました、少々お待ちくださいね」
私はそう言ってコーヒーとチーズケーキの準備をする。チーズケーキは私の手作りだ。元々お菓子作りがそれなりに好きだった私は、ケーキの作り方も一から独学で学びなおした。私が作るチーズケーキには、ビスケットを使用している。ちょっとしたアクセントのつもりだ。
コーヒーを淹れて、その後チーズケーキを切ってお皿に乗せて……と。最初は慣れない仕事に戸惑ったこともあった。しかし最近は自分で言うのもなんだが、だいぶ手慣れてきた。経験すれば誰でも覚えて成長する。そんなものだろうと思う。
「お待たせしました。ブレンドコーヒーと、チーズケーキです」
私がコーヒーとチーズケーキを出すと、男性は顔を上げて私と目が合った。その後すぐに「あ、ありがとうございます……」と小さな声で言った後、またちょっと下を向いた。
「ゆっくりしていってくださいね」
「あ、はい、ありがとうございます……」
男性は小さな声でそう言った後、コーヒーを丁寧に一口飲む。なんだかいい人そうなイメージを勝手に持つ私だった。
「……美味しいです」
男性がぽつりと口にした。やはり「美味しい」と言ってもらえるのは嬉しい。
「ありがとうございます。そう言われると嬉しくなりますね」
私がそう言うと、男性は私の目を見た後、すぐにまた下を向いた。そしてチーズケーキをフォークで切って、一口食べる。男性はじっとチーズケーキを見ながら、
「……ケーキも、美味しいです」
と、小さな声で言った。
「ありがとうございます。私の手作りで、ちょっと自信があるんです」
「そ、そうだったんですね……すごいです。あ、そういえば、その、あの……」
男性が何か言いたそうにしている。何かあったのかなと思ったが、私は男性が次の言葉を言うまで待つことにした。
「……お店の入口に飾ってある、犬の絵、あれは売り物ですか?」
男性がお店の入口の方を見ながら言った。たしかにあそこには犬の絵を飾っている。あれは父が描いたものではなく、私が描いたものだ。鉛筆画で、大型犬のゴールデンレトリバーをイメージして描いたもの。売り物のつもりではあるが、値札はつけていない。
「あ、はい、一応売り物のつもりなのですが、値段をまだ決めていなくて」
「……そうでしたか、僕の実家にいた犬に似ていて、いいなと思って」
「まぁ、そうだったんですね、値段を決めたら、お譲りしてもいいですよ」
「……あ、で、でも、僕まだ大学生なので、今すぐはそんなにお金がないというか……すみません」
男性がちょっと下を向いた。なるほど、大学生だったか。若そうだと思ったのは間違いではなかった。たしかにお菓子を買うような安い買い物ではないので、気になるのも仕方ない。
「そうなんですね、じゃあ、お客様が購入できるようになるまで、とっておきましょうか。私もまだ値段を決めていませんし」
「えっ」
男性はびっくりしたような顔で、私を見た。その後慌ててコーヒーを一口飲んでから、
「……ありがとうございます。いつか、必ず」
と、小さな声で言った。
「いえいえ、その時を楽しみにしていますね」
そこまで話して、「光ちゃーん、コーヒーもう一杯もらえる? ごめんねぇ」と田所さんが言ったので、私は「あ、はーい、少々お待ちください」と言ってコーヒーの準備をする。
ちらっと男性の方を見ると、ほっとしたような表情でチーズケーキを食べていた。私は嬉しい気持ちになった。
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