第2話「閉店後のひととき」
夕方の六時、『アトリエ月光』は店じまいをする。
私は入り口のドアにかけてあるプレートを『CLOSED』にした。
一応コーヒーや軽食を出すようなカフェなので、夜の営業はしていない。朝も十時からと、わりとのんびりだ。カフェの店員であると同時に、『芸術家』でもある私と父なので、創作の時間も大事にしている。
基本的にカフェの方は私がメインで接客をしている。父もコーヒーを淹れたり、お客さんが多くなってきた時は手伝ってくれるが、どちらかというと日中は創作をしている時間の方が多いかもしれない。私はそれでいいと思っている。父には自由に楽しいことをしてもらいたい。
カフェの奥に、アトリエはある。カフェの席からもアトリエは見えて、父が絵を描いている姿を見ることができる。ここを建てるとき、カフェからアトリエが見えるようにしようと言ったのは父だ。今日来てくれた田所さんは「すごいわねぇ」と、いつも父を見ながらそうつぶやいている。
カフェには、主に父が描いた絵を飾っていた。わりと大きめの絵が多い。そちらもじっと眺めるお客さんもいたりして、私は嬉しかった。
「光、お疲れさん。夕飯は作ってあるぞ」
父が二階から降りて来て言った。一階はカフェとアトリエと奥の物置、二階は居住スペースとなっている。夕飯は私が作ったり、父が作ったり、その日によって違う。父も昔は台所に立たない人だったが、母がいなくなってから自ら率先して台所に立つようになった。
「ああ、ありがとう。このテーブル拭いたら上がるね」
私はテーブルを拭いて、ふきんを綺麗に洗った後、カフェの明かりを消した。エプロンは……まだそのままでもいいか。トントンと足音を立てて階段を上って、二階に行く。ダイニングにあるテーブルに夕飯が置かれていた。今日はクリームシチューか、父が好きな一品だ。
「いただきます」
私はそう言って夕飯をいただく。父はプシュッと音を立ててビールの缶を開けた。私もお酒が呑めないことはないが、今日はいいかなと思った。
あたたかいクリームシチューをスプーンですくって、一口食べる。じゃがいもがほくほくしていて美味しい。このじゃがいもはたしか田所さんからいただいたものだ。一つ一つが大きくて、スーパーではなかなか見られないサイズだった。
「……光は、この後描くか?」
ビールをくいっと呑みながら、父が訊いてきた。
「あ、うん、ちょっとイメージしているのがあるから、下描きだけでもやっておこうかなって」
「そうか、人間は忘れやすいからな、早めに描いておく方がいい」
父とはたまに創作の話もする。お互いの絵を見てここがいいとか、ここはもう少しこうした方がいいとか、感想やアドバイスを送り合っている。そういう時間も大事にしたいと思っている私だ。
「そういえば田所さんが、ポストカードを気に入って何枚か買ってくれたよ。あれお店に置いておくのもいいかもね」
「そうか、それもいいかもな。俺はポストカードのことはあまり分からないから、光に任せることになってしまうが」
「大丈夫、任せておいて。あれなら気軽に絵を飾れるなと思うからね」
レジの横にポストカードをそっと飾っておくのもありかもしれないな、そんなことを思う私だった。
夕飯を食べ終わって、私は片付けをする。夕飯を作らなかった方が片付けをするというのが暗黙のルールだった。父はのんびりとテレビを観ていた後、「お風呂に入ってくる」と言って浴室の方へ行った。
私は片付けが終わり、一階に降りてアトリエの方の電気をつけた。テーブルに置いてあったスケッチブックを手に取り、椅子に腰かけた。
「街と夕陽……」
独り言をぶつぶつとつぶやきながら、鉛筆でスケッチブックにさらさらと描いていく。今日の夕方に見た夕陽から、街と夕陽を頭の中でイメージしていた。
「うーん、イメージとちょっと違うな……建物の配置かな」
また独り言をつぶやきながら、私は鉛筆を走らせる。このままだとなんだか平坦で、立体感がいまひとつだと感じたので、建物の奥行きをもう少し出すことにした。
「……イメージ的にはこんな感じかなぁ、あ、実際のこの街をスケッチするのもいいのかも」
だいたいの構図はイメージできたので、この街にある建物を描くというのもいいなと思った。今度お店がお休みの日に出かけてスケッチしてみようかな。
この街でよかったと、私は思っている。人々もあたたかいし、街も落ち着いた雰囲気で居心地がいい。今思うと都会はなんだか慌ただしい。移住したいと言った父の気持ちがよく分かった。
絵を描いていると時間を忘れそうになるので、私は早めに切り上げることにした。
続きはまた明日。静かな空間に私の足音だけが響いていた。
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