4 そのために、僕は強くなる
次の瞬間。突然思考が明瞭になり、多くのことが理解できるようになった。己がどのような存在なのか。
「
発した声は、以前よりも太く低くなっている。首を持ち上げれば、視界も高い。身体が大きく成長して、エイの全身をすっぽり包み込んでいる。胸の辺りには鋭い爪の生えた手があり、エイを抱き締めることができる。
「我が名は
僕は
「え、竜? いいや、見間違いか。黒い煙が竜のように……い、いやいやいや! 本物だ!」
「竜神様の腕にいるのはエイか!? なんと、ありがたや。もしや、この地の守護神が現れたのではあるまいか?」
大袈裟なことになってしまったようだけれど、それに構っている時間はない。僕はエイをヒネの腕に抱かせると、身を翻して、
僕は大きく息を吸い込んで、声を張った。
「我が命令を聞けないというのか。ならば、より強大な炎で覆い尽くし消し去ってやろう。それが嫌ならば、去れ。即刻去れ!」
僕の口から飛び出した咆哮は、雷鳴となって
……もう安心だ。ほう、と息を吐き、僕は振り返る。
辺りは水を打ったかのように静まり返っている。人間たちが息を呑み、状況理解に努めようとしていることが察せられた。僕は彼らの顔を見回して、後の行動を思案する。
そして、ふと気づく。視線を向けた先、群衆の中に一人だけ、顔面を蒼白にし全身を小刻みに震わせている大柄な男がいる。頭部からだらだらと汗を垂れ流し、尋常ではない様子。さらに、衣から露出した肌が薄らと赤く発光している。見間違えるはずはない。あれは
僕は瞬時に全てを理解した。もしや、火穂にヒネの家を焼かせたのはこの男か。
僕が睨みつけたと同時に、ひっと息を詰まらせた男の、角張った顔と鷲鼻には覚えがある。何の因果だろうか。奴は、蛇の子であった頃の僕を燃やしたガキ大将だ。
「おまえ」
僕が唸ると同時に、彼は
「待て!」
林に分け入る男の背中を追う。人間の足の速さなど大したことはない。
「おまえ、赤い竜神に祈り、あの家に火をつけたな」
「ひっ、こ、
「許すものか」
僕は彼を引きずり里へ戻ると、燃えて半壊したヒネの家の前に、奴の大柄な身体を投げた。背中をしたたかに打ったらしく悶絶する男の前に降り立ち僕は、呆気に取られる人間たちに向けて言った。
「この者が、あの家に火を放った不届き者だ」
「ち、ちちちち違う!」
「いいや、違わない。言い逃れようとしても無駄だ。おまえの肌には、赤い神力の残滓が煌めいている。火穂という火の神の残り香だ。我は神ぞ。愚か者の所業など、全てお見通し。人間らよ、里の掟に従い、この者を裁くのだ」
僕が断言するや否や、里人たちは男を取り囲み、縄にかけてどこかへと連れて行く。
「待て。許せ、許してくれ、黒竜神様!」
僕の身体を焼いたこと、愚かな妬みからヒネの家に火を放ったこと。非道の数々を決して許しはすまい。奴にどのような裁きが下るかは人間の掟次第だけれど、僕はひとまず
大男の情けない姿を見送って、僕は一つ大きな息を吐く。強張っていた身体を緩めて振り返り、皆の様子を見に行こうとした。その時だ。川の辺りから、弱々しい、けれどはっきりとした幼い泣き声が響いた。エイの声だ。
「ああ、エイ。ごめんね、熱かったね」
声をたどるとそこには、エイを抱いたヒネと近所の女性たちがいて、川原に膝を突いていた。どうやら、エイは一命を取り留めたようであり、川水で火傷を冷やしてもらっているらしい。
ああ、良かった。僕が安堵の息を吐くと、竜の呼気を浴びた裸の木々が揺れて枝を擦らせた。
気配を察したのか、ヒネがふと顔を上げて、僕の方を真っ直ぐに見上げた。
ヒネの頬に、涙が光っている。年を重ねても相変わらず美しい。
ずっと、彼女の側にいたい。僕は思わず腕を伸ばした。けれどその爪は、ヒネに届く寸前でぴくりと震えて止まる。
「竜神様、本当にありがとうございます」
ヒネが、膝を突いて
ヒネの周りにいた女たちも同様に、僕の前に平伏する。やめてくれ、そんなたいそうな存在ではない。少し前まで、ただの幼い蛇神だったのだ。
「竜神様、私たちをお守りくださり感謝申し上げます。私や、このエイ、そして里人全員が、末代まであなた様を崇め奉ります。里を見下ろす峰の上に
竜神。そうか、僕は人間にとっては遠い存在で、高い場所から見下ろし庇護してくれる守り神なのだ。社に住めば、ヒネの側にはいられない。いいや、そもそも人と神は共に暮らすことなどできないか。
ならば、ヒネの言う通りあの山に留まり、彼女と彼女の大切な人たちに害意を持つ者らが現れないよう、目を光らせよう。
僕は伸ばしかけた手を引っ込めて、首を軽く傾け火霊に呼びかけた。その途端、周囲にぼんやりとした火の玉が浮かび、明滅し、そして消えた。
「ああ、あなたは火の神様なのですね。そして、黒い竜のお姿で……。そう、あの時の子ね」
全てを理解したようにヒネが呟きを落としたけれど、僕は答えずに地を蹴り天へと舞う。長い
これから僕は、大切なものを守る神となる。ヒネが、憎悪に溺れかけた幼い蛇の子の心を救ってくれたように、今度は僕が君を守るのだ。
そうしてヒネの子孫を、この地に再び生まれ変わる彼女自身を、ずっとずっと、見守り続けるのだ。どんな鬼神がやってきても、必ずや打ち倒してみせよう。
そのために、僕は強くなる。今はまだ、生まれたての火の神だけれど、さらに強大な力を手に入れる。そして
だから、待っていて。
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