19 「まあ、良いか」と言うしかありません①

 温かい。全身が、ぽかぽかとしていて、まるで木漏れ日の中にいるようだ。


 身体を襲う痛みも苦しみもない。ただし、胸がきゅっと締め付けられたかのような切なさがマルツィアを満たしている。


 薄っすらと瞼を上げると、見慣れた琥珀色の瞳がマルツィアの顔を覗き込んでいるのが見えた。


「ミネさん。白竜はくりゅうと……アンナは」


 マルツィアが問いかけると、ミネはほっと息を吐き、頬を緩めた。


「夜と共に去った。ひとまず安心だ」

「そうですか、良かった。でもひとまずって?」

「奴らは必ずまたやって来る。朝の宝玉を取り返すために。そして同時に、朝の宝玉と同化した夜の宝玉をも奪おうとするだろう」

「あ、そのことですか」


 マルツィアは、びっくりするほど軽やかになった上体を持ち上げて、ミネと視線の位置を近づけ、胸を張った。


「少なくとも朝の宝玉の件は解決です。良く見てください。無くなっているのがわかりませんか?」

「うん、胸……? ああ、ないな」

「そうなんです。朝の宝玉は」

「しかし、安心しろ。小ぶりでも別に気にしないぞ。それにそのうち育って……いいや、神になったというならば、乳が成長することもないのか⁉ くっ、なんてことだ。ならばそのうち変化の方法を教えてやらねば」


 悔しいかな、失礼極まりない勘違い。


「ミネさん」


 マルツィアはにっこりと微笑んだ。


「違います。良く見てください。もっと奥の方です」

「目が笑っていないぞ、愛しいマルツィア」

「良いから早く」


 再度促せば、ミネは目を凝らしてマルツィアの胸の奥、魂が宿る辺りをじっくり眺める。それからマルツィアの言葉の意味に気づいたようで、驚きに目をみはって言った。


「……ない。朝の宝玉が。あるのは夜の宝玉だけだ」

「はい。その通りです」

「なぜだ。朝の宝玉はどこへ行った」

「白竜にお返ししました」

「なんだって?」

「だってあれ、白竜のものなんでしょう? 前世の私が盗んだのは確かだし、返してあげないとだめですよ。それに、ミネさんが言った通り、あれを持っていたら白竜はまたハルーンにやって来ます。白いにょろにょろにはもう二度と会いたくないんです」


 白竜とアンナの間に朝の宝玉が発する光を集め、彼らを朝の力で満たして空へと溶かした。最終的に、白い光が凝縮して宝玉が生まれたのはきっと、白竜たちが天を舞い夜にさらわれて故郷へと帰り着く頃だろう。


 返すべきものを返したのだから、これ以上マルツィアを追いかける理由もない。


 もうそろそろアンナと二人、突然現れた朝の宝玉に驚き目を丸くしていることと思う。


 ……アンナ。姉のように慕っていたメイドのアンナ。彼女のことを思えば、胸がつきんと疼く。


「そういえば、アンナはどうして私に刃を向けたんでしょう。やっぱりあの人は」

「ああ、そのようだ」


 ミネが神妙に言葉を引き取った。


「あの娘は、前の世で白竜の巫女をしていた。事件の日、シノ――前世のマルツィアが岩屋に入るのに気づけず侵入を阻止できなかったという罪の意識から、自ら川に身を捧げたのだ」


 やっぱりそうか。ずっと前から、アンナのそばかすが散る愛嬌のある顔には、どこか見覚えがある気がしていた。シノが岩屋に忍び込んだ時に聖水の入ったかめを抱いていた幼い巫女が、アンナなのだ。だからアンナは、一目見た時からマルツィアのことが嫌いだと感じたのだろう。


「これはただの想像だが」


 前置いてから、ミネは言う。


「朝の宝玉を連れたままシノの魂が西に消えたことを知った白竜は、自らの巫女の魂を西に投げたのだろう。生まれ変わった巫女の魂をり代に、シノの魂の近くに己の拠点を作るために。おそらく白竜は、結界に阻まれて都市に入れなかったものの、船上などでアンナと密会を重ねていた。そして、聖ソリーチェ寺院に生じたゆがみを使い、アンナに導かれてハルーンに招き入れられた」

「アンナ、白竜に利用されていたのね」


 だが、神を慕う巫女ならばそれも本望だろう。


 落とされた呟きに陰を感じたのか、ミネは元気づけるようにマルツィアの肩を軽く叩いた。


「友が敵だったと知り、たいそう心が痛むだろう。しかし、永劫の時を生きる神になったからには、そのような悲しみは、風に削られてすぐに風化するはずだ」

「ああ、神……。あのう、そういえばさっき夜の宝玉を呑んじゃったんですが、私ってミネさんたちと同じ存在になったんです? つまり、その、東方の神様に。でもどうして」


 多数の神が存在するなど、一神教の世界で暮らしてきたマルツィアの常識では認めがたい。けれど、おぼろげに蘇った前世の記憶は、ミネや白竜、そのほかの八百万やおよろずの神々の存在を当然のものとして受け入れている。なんだか複雑だ。


 マルツィアの質問に、ミネは長い指で顎を撫で、ううんと唸る。


「恐らくそうだろう。そなたの肉体という器には今や、神の宝玉だけが宿っている。魂は去り、楽園へ行ってしまったようなのだ。魂なしに動く人間はいない」

「ええっ! じゃあ私、死体なんですか? ゾンビ⁉︎」

「端的に言えば死体だ。しかし、神はそのようにして生じるもの。つまり神は、器に魂ではなく神力が宿ることによって発生するのだ」

「はあ、ゾンビ神。じゃあミネさんも死体? いや、そんな馬鹿な。いや……ちょっとやっぱり頭がついていかないんですが。でも」


 まあ、良いか。


 頭をフル回転させて考えた結果、ぷしゅーと音がしそうなほど熱が上がり脳が溶けかけて、マルツィアは思考を放棄した。


 その時、測ったかのようなタイミングで、男性の声が割り込んだ。


「マルツィア、無事だったか」

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