18 因縁の戦い②

「おお、朝の宝玉!」


 白竜が歓喜の声を上げた。


「そうか、朝と夜は相容れぬがついとなる存在。魂が肉体を離れる瞬間、黒竜こくりゅうの持つ宝玉に誘発されて、朝の宝玉が姿を現したのか。ならばこれぞ好機」


 闇のほむらで形作られた殻が、じゅうっ、と音を立てて震えた。外部で白竜はくりゅうが雨雲を呼んだらしく、大雨が降り注いでいる。朝と水を司る深谷流天那大神ふかたにながれあまなのおおかみが、マルツィアたちを守る火を消そうとしているのだ。


「させるものか」


 白黒の宝玉には目もくれず、ミネは宙に浮き今にも去ろうとするマルツィアの魂を掴んだ。もう一方の手から炎を生み出しつつ呻く。歯を食いしばるミネのこめかみから、汗が滴る。マルツィアの魂を繋ぎ留めつつ闇の焔を維持するために全神経を研ぎ澄まし、神としての力を振るっているのだ。その負荷は相当なものだろう。


 雨が炎に熱されて蒸発する一方、火は水に打たれて勢いを削がれる。このままでは埒があかない。ミネが寺院前の広場で言った通り、黒竜と白竜は色こそ違うけれど対となる存在だ。力の量が同じならば、戦いは永遠に終わらない。この均衡を崩すにはどうしたら良いのだろうか。


 一進一退しながら拮抗する様子をぼんやりと眺め、マルツィアはおもむろに腕を伸ばした。


 それは、無意識だった。けれどきっと、本能のような部分で知っていたのだ。夜は朝に溶け、朝もいずれ夜に溶ける。目の前に朝の宝玉があるのならば、同時に夜の宝玉を手に入れることができる。


 震える指先が滑らかな白に触れる。それは水中を漂う魚のように逃げようとしたけれど、突かれた拍子に近くに浮遊していた黒にぶつかって混ざり合う。二色の染料が溶け合うようなマーブル模様を浮かべた球体を、マルツィアは鷲掴んで口元に運び呑み込んだ。


 拳ほどもある珠。普通ならば喉を通ることなどできないだろう。マルツィアは前世でそうしたのと同じように、口を閉じてひたすら苦痛に耐えた。


 やがてどういう理屈か宝玉が胃に落ち着くと、マルツィアの胸部から白と黒の光が溢れた。そこでやっと事態に気づいたらしい白竜が攻撃の手を緩め、裏返った声を上げる。


「なっ……この、愚かな悪食あくじきめ! また宝玉を呑んだのか? しかも、朝と夜が溶け合い一つに。待て待て、この強大な神力しんりきは」


 相反するものが融合して一つとなれば、力はいっそう強大になる。神の至宝を二つ宿した、マルツィアという器。それはもはや。


「神ではないか……」


 マルツィアは、突然身体が軽くなった心地がして、ゆらりと立ち上がる。ミネが驚きと不安の入り混じった表情でマルツィアの名を呼んだが、笑みを返しただけで、マルツィアは自ら焔の殻を出た。


 胸に短剣を刺したまま痛がりもせずに歩く血まみれ女の姿に、アンナはひっと息を呑む。マルツィアは自分の胸部を見下ろして剣を引っこ抜くと、その場にぽいっと捨てた。


「お、おおおおお嬢様」


 そばかすの浮いた顔が、恐怖で真っ青だ。そしてその頬に、天から影が落ちる。


 不意に天が翳り、夜が訪れたのだ。不吉な日蝕か、と皆が空を見上げるが、蝕の影も金環きんかんもない。かと思いきや、尋常でない速さで太陽が昇り始め、再び朝が訪れ昼が過ぎ、また夜になった。


 異常な空に目を奪われていた青年姿の白竜が、突然頭を抱えて呻き始めた。先ほど白竜が呼び出した分厚い雨雲の間から陽光が差し、白竜とアンナだけに降り注いでいる。白竜は叫ぶ。


「な、やめろ。やめるのだ! 我が宝玉がもたらした力で、我を焼き尽くして朝と同化させようというのか? 破戒の巫女め。神罰が下ろうぞ!」

「ですが今や、私も夜と朝を司る者。あなたたちと同じ存在です。私があなたに神罰を下します」


 マルツィアはどこか達観した心地で言い放つ。白竜が、光に焼かれる全身を両腕で抱き締めながら半ばすすり泣いている。


「苦し……」

「マルツィア!」


 役目を終えた闇の焔を消し、ミネが駆け寄って来る。


「これはいったいどういう……いいや、今はどうでも良いか。よし、マルツィア。ここからは二対一だ」


 マルツィアは頷いて、ミネと肩を並べた。


「畳みかけましょう、ミネさん」


 マルツィアが両手を軽く捻ると、白竜たちに降り注いでいた陽光が消え、再び夜が訪れた。


 咳き込みながら前傾姿勢を解こうとした白竜。次の瞬間、白銀の長髪が天へ吸い寄せられたように逆立った。美麗な青年が目を白黒させながら、縄に吊るされて逆さになったかのように髪を乱す姿は滑稽だ。


「な、何が起こっている」

深谷流天那大神ふかたにながれあまなのおおかみは朝と水の神。神器である宝玉を失っても、あなたの中には朝を司り朝と共にあるべき力がしっかりと残っているのでしょう。あなたを本来あるべき場所にお送りします。夜に押された朝と一緒に、お国に帰ってください。そして、二度とハルーンに来ないで。アンナもよ」


 急に名を呼ばれ、真っ青な顔をしたアンナが白竜にしがみつく。白竜は逆立ち中のような間抜けな様子で声を荒げた。


「ありえぬ。つい先ほどまで死にかけの小娘だった者が、我に逆らうなど認めん。集え水霊すいれい!」

「愚か者め!」


 すかさずミネが叫び、炎の縄を生み出して白竜とアンナの全身を拘束した。集まりかけていた水蒸気が一気に焼かれて消えていく。


「うわあ、さすがの援護です、ミネさん!」

「当然だ、そなたと私はかれこれ二千年の付き合いだからな」


 マルツィアは再び手首を回す。これまで、魔術師の卵としてささやかな子ども魔術を使って暮らしてきた。それとは比べものにならないほど強大な朝と夜の力を扱うことは、困難かと思いきや、案外肌に馴染むので不思議だ。


「朝が来ますよ、白竜」


 東の空が白む。レンガ造りの建物群を照らし、尖塔の向こう側から白光が差した。太陽の動きに合わせ、拘束された白竜とアンナの輪郭がぼやけ始める。


 マルツィアは身を寄せ合う二人の間に、朝の宝玉が発する白光を集めた。


「黒竜の巫女よ、おぬし、いったい何を」

「見ての通りです。あなた方は朝。最後は宵闇に溶けてさようなら」

「待て、待つのだ。……くっ、覚えておれ。必ずおぬしらに天誅てんちゅうを!」


 前世のマルツィアが白竜の岩屋から逃げ出した時と同じように、神は朝に溶けて天へと昇る。その腕にしがみついていたアンナも共に、光の一部となった。そのうち、やがて訪れる夜と共に地平線へ沈んで行くだろう。


 再び戻って来てももう遅い。魔術都市ハルーンには、外からの侵入を防ぐ結界が張られているのだ。寺院の歪みにも封印を施そう。


 彼らが消え去った細い水路には、白竜の捨て台詞だけがこだましていた。

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