16 私の前世

「シノ!」


 切羽詰まった声が私を呼んでいる。呼ぶ声が何度も遠のいては近づいて、私は自分の意識が消え去りかけたり引き戻されたりを繰り返していることに気づいた。


「シノ、何と無謀なことをしたのだ。私はそなたの自己犠牲など、望んではいなかった」


 私を抱いているのは、彼だ。ああ、では彼は。私の仕える黒竜こくりゅう様は、白竜はくりゅうとの戦いに敗れることなく無事に切り抜けたのだ。


 ——良かった。


 囁こうとしたけれど、言葉が出ない。身体が動かないのとは少し違う。私は確かにここにいるのに、肉体がないのだ。


 それはひどく奇妙であり、けれど慣れ親しんだ、違和感のない現象だった。


「シノ、もう少し辛抱するのだ。まだ輪廻りんねの輪には向かうな。良いか、私はそなたを遥か遠方へと送り出す。怒り狂う白竜の手が及ばぬ遠い国だ。異郷なれど心配は必要ない。どこへ行こうと、どのような姿になろうと、私は必ずやそなたを見つけ出し、生涯を共に過ごすと誓おう。さあ、シノ」


 ぐん、と視界が高くなり、彼と共に空を舞っているのだと気づく。私たちは、空気を切り裂き、今まさに日が沈もうとする西の海原うなばらへ向けて、森の上を光の速さで翔けた。人の身では到底ありえないこと。私は今や、魂だけの存在となっていた。


 やがて、大地の西端へたどり着くと、彼は悲し気に別れを告げた。


「しばしの別れだ。また会いに行く」


 その言葉を合図に私はひとりでに浮遊して、東から迫る夜に乗り、西へと飛んだ。何度も生まれては死んだ故郷の大地を去り、異郷へと向かって行く。身体がないので振り返ることすら許されない。けれど、何の不安もない。だって、彼が必ず迎えに来てくれる。私は決して独りではない。


 そうだ、これは私の前世の記憶。仕える神であり愛する夫でもあった黒竜のため、白竜の至宝を奪った愚かな巫女。私の肉体は白竜に食われたが、辛うじて魂だけを朝日に同化させて逃げ出した後、黒竜に助けられ、遥か西方の魔術師都市ハルーンへと飛んで行ったのだ。


 これまで、数えきれないほど繰り返し生まれて死んだ。朝と夜が交互に訪れるのと同じように。


 そしてその果てに今、私は再び生を受けた。幾度繰り返しても同じものは一つとしてない人生。大切な、ただ一つの命。

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