13 蛇、いやーーーっ!②

 このままではミネまでもが悪と見なされてしまう。そうなれば、彼と契約を交わしたと認識されているマルツィアも、ただでは済まない。マルツィアは今にも吐きそうな心地になりながらごくりと唾を呑み込み、周囲に向けて声を張った。


「皆さん、落ち着いて! 彼のこの姿は、私が使い魔を変化させた結果です。だってほら、あの白蛇とそっくりでしょう。あれに対抗するためには、同じくらい強くて悪そうな存在じゃないとだめだと思ったの!」


 再び騒めく魔術師たち。困惑げな若者や壮年たちをよそに、さすが長老は肝が据わっている。白髭を撫でながら、面白そうに言った。


「なんだそういうことか。しかしマルツィア嬢、君はもう少し美的センスを磨いておくべきじゃな。見るのじゃ。わしならばこうする!」


 よぼよぼ長老魔術師の肩に乗ったしおしおの真っ白フェレットが光を帯びる。ぐにゃりと姿が歪んだ後、縦に引き伸ばされて、やがて天を衝くほど大きな豊満美女の姿になった。


「わあ! 美的センス……?」

「ふぉっふぉっ。良い尻じゃ」

小賢こざかしい」


 呆れたマルツィアが二の句を継げずにいるうちに、白蛇……いいや、白竜とやらが地の底から響くような唸り声を上げ、胸を広げ大きく空気を吸い込んだ。白く陽光を照り返す胸部がぱんぱんに膨れ切った直後、白竜はくわっと口を開き、美女に向けて大量の水をものすごい勢いで吐き出した


「うお! 美女がどろどろに」


 誰かが叫んだ通り、豊満な巨大美女は、溶け始めた氷のように表面から形を崩して、やがて光に包まれながら小さなフェレット姿に戻ってしまった。


「無事か、わしのヴィットーリオ・エマヌエーレ!」

「名前長っ!」


 悲痛な叫びに対し思わず突っ込んだマルツィアだが、ミネと白竜は緊迫した睨み合いを続けている。白竜が牙を剥き出して言った。


「邪魔だ。小者らに用はない」

「用件があるのは私と我が巫女に対してということか」

「宝玉を返せばすぐにでもこの都市を出よう」

「渡すものか!」


 ミネも負けじと牙を剥き出しえる。一触即発の張りつめた空気にぞくりと悪寒を覚え、マルツィアはだいぶ高い場所にあるミネの顔に向けて声を張った。


「ミネさん! あの蛇は宝玉とやらが欲しいだけなんですよね。私が持っているんですか? それなら返します。あ、でもどこにあるかわからないけど」

「だめだ」


 ミネの琥珀色の瞳がぎょろりと動き、マルツィアを見下ろした。


「朝の宝玉はそなたの魂——いわば存在の核と同化している。つまり、宝玉を返すということは、そなたという存在は根源から白竜の糧となり消えていくということだ」


 それはつまり、死ぬ、ということなのだろうか。絶句するマルツィアから視線を逸らし、ミネはアンナに命じる。


「そこの娘。マルツィアから信頼されていると見える。彼女を安全な場所へと逃がすのだ」

「かしこまりました。マルツィアお嬢様、あちらへ」

「で、でも、ミネさんが」

「状況の詳細はわかりませんが、おそらく私たちが近くにいては、あのお方は存分にお力を発揮できないのでは」


 確かにアンナの言う通りかもしれない。ミネは自分のことを神だと称した。不届き者極まりないが、大それた名乗りをするくらいなのだから、人知を超えた力を持っていても不思議ではない。


 それに先ほどミネは、自分は白竜と黒竜は色違いなだけで、似たような存在であるのだと言っていた。白竜が吐き出した謎の水と同じような強烈な力を使い、敵と渡り合うことができるかもしれない。その時に、マルツィアを守りながら戦うのは不利だ。


 哀れなヴィットーリオ・エマヌエーレのように、にょろにょろの口から出た嘔吐物でどろどろに溶けるのもおぞましいことだし。


 マルツィアはぎゅっと拳を握り締め、ミネに向かって声をかけた。


「ミネさん、どうかご無事で」


 ミネは牙が並ぶ口元を少し綻ばせたけれど、言葉は返ってこない。


 ミネがもし白竜に負けてしまったら。そのことを想像すると、マルツィアの心の奥底で慟哭するものがいる。それが何なのか、マルツィアにはまだわからない。けれど、ミネが散々述べていたわけのわからない、蟻生ありせいだの巫女だのという話が本当ならば、マルツィアの魂が願い求めるのはきっと。


「さあ、参りましょう」


 巨大な蛇ようの魔物が対峙する広場から、我先にと人々が逃げ出している。その人波に向け、アンナはマルツィアの手を引き駆けだした。

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