3 故郷よ、さようなら

 一人で旅支度を整えたマルツィアは、馬車に乗り、生まれ育ったヴィスアニ邸を後にする。見送りはほとんどなく、唯一ばあやだけが港町までへの馬車に同乗し、涙を拭きながら別れを惜しんでくれた。


 石畳に刻まれたわだちをがたごとと進む道中、マルツィアは勇気を出して訊いてみた。


「ばあや、お父様は?」

「旦那様は、お嬢様とお会いになれる状況ではないそうです」

「そう」


 半ば想像していたことではあった。魔術の名門ヴィスアニ家から、魔術師の出来損ないが出てしまったのだ。一族の面汚し。マルツィアのことが心底憎らしいのだろう。


 そもそも父は、マルツィアが生まれた瞬間から、娘のことなど愛してはいなかったのだ。父が愛を注いだのは、マルツィアの母ただ一人。その母は、マルツィアを産んだ代償に命を落としてしまった。


 ばあやの話や肖像画の情報によると、マルツィアは母の生き写しである。


 ゆるく波打つ亜麻色の髪、夏の盛りに煌めくオリーブの葉のように生き生きとした深緑の瞳。鼻や口といったパーツは小ぶりであり、目は特別大きくはないもののまろやかな曲線が印象的だ。昔から「美人じゃないけど愛らしい」と言われ続けてきた。褒められているのか貶されているのか微妙な線だが、母とそっくりらしいこの顔に、マルツィアは愛着を抱いていた。


 だが、父にとってはそうではないらしい。マルツィアの顔を見ると亡き妻を思い出して胸が苦しいのだと、以前から周囲に漏らしていたと聞く。マルツィアが成長して母に似ていくごとに、顔を合わせる頻度が減り、とうとう離別の日が訪れても見送りさえもしてくれなかった。


 けれどたった一人きりの娘。こんな日くらい、温かな言葉をかけてくれても良いはずなのに。


「お父様は私のことが嫌いなんだわ。メイドのアンナを勝手に辞めさせてしまったのも、出来損ないの私に対する当てつけだもの」

「お嬢様、それは」

「良いの。わかっているから」


 三歳年上のアンナは、少し淡白な性格と、薄らと頬に浮く愛らしいそばかすとのギャップがどこか親しみやすいメイドだった。マルツィアの友であり姉のような存在でもあったのだが、使い魔との契約に失敗した直後、マルツィアに一切の相談もなく解雇されてしまった。出来損ないに、仕える者など不要というわけだ。


 がごん、と馬車が揺れ、馬が軽くいなないた。窓から外を眺めれば、波の加減で鱗のように煌めく紺碧の海がある。とうとう港に到着したのだ。


 マルツィアは、生まれ育った魔術都市ハルーンを追放される。以降、戻ることはないだろう。本土でどんな暮らしが待っているのか、想像もつかない。けれど、こうなってしまったからにはうじうじと悩んでいても仕方がない。過去の痛みは全て捨て去って、心機一転、明るく過ごすのが一番だ。


 マルツィアは、馬車を降り、船に乗って故郷に別れを告げた。

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