2 悲しき三連敗

 干潟に作られた魔術都市ハルーンは数々の小島で構成されているのだが、その中央、聖広場と呼ばれる場所には、行政の中心である総督府と信仰のかなめである聖リソーチェ寺院がある。成人の折、ハルーンの住人は寺院の大聖堂で祈りを捧げ、自らの魔力の源となる使い魔と契約をするしきたりだ。


 魔術師の卵、つまり未成年の子どもたちも魔術を使うことができるけれど、例えばお爺さんのカツラを叩き落とすとか、女の子のスカートを風でめくるといった、ごく小さな魔術に限られる。それが、使い魔の力を得た途端、家の屋根を打ち崩したり、水面に浮かぶ船を滑らせたりすることができるようになる。


 魔術の原動力である魔力。それを魔術師に潤沢に供給してくれるのが使い魔だ。つまり彼らと契約ができなければ、魔術師の卵は永遠に卵のままなのだ。


 まあ、使い魔に拒絶される人なんてほとんどいないのだけれど。実際、聖職者のおじさんたちも、使い魔と契約できずに手ぶらで帰ったマルツィアに驚愕してあんぐりと口を開けていた。


 実はあの日、大聖堂の地下祈禱室で祈りを捧げたマルツィアは、三体の使い魔候補と対面した。


 最初に現れたのは賢そうな梟だった。


「わあ、あなたが私の使い魔になってくれるのね」


 感激の声を漏らし、ふわふわの頭を撫でようと手を伸ばす。梟も嬉しそうに目を細め……た直後、くわっ、とくちばしを開いてマルツィアの指先に噛みついた。あまりの心理的衝撃に石となるマルツィアの頭頂を蹴りつけ飛び立って、ギャーギャー鳴き喚きながら煌めく光の粒子となって消えた。


「ふえええ、何。何今の?」


 涙が出る間もなく、マルツィアの前に、優美な体躯の黒猫が現れた。


「うわー綺麗な毛並み。あなたが私の使い魔になってくれるのね」


 気を取り直して手を伸ばす。黒猫は、さあ撫でろ、と言わんばかりに頭を突き出し……た直後、フーッと牙を剥き出し跳びのいて、全身の毛を逆立て威嚇してから空気に溶けて消え去った。


「え、え? なんで?」


 そして。


『泣くな、娘よ』


 低い声が、低い場所から発せられている。


『そなたと共にあるべきはこの私。さあ、我が手を取るのだ』


 マルツィアは辺りを見回して、声の出どころを探す。けれど何の姿もない。


「どこ? 使い魔さん、どこなの?」

『さあ、マルツィア。遠慮するな。ほら。ほれほれ。……おーい、ここだここ』


 視界の端っこ、礼拝用の椅子の脚辺りに、もぞもぞと蠢く黒いものがある。


 マルツィアは目を凝らして恐る恐る身を屈めた。


 細長い。蝋燭の微かな灯に揺られてぬらぬらと光るそれは、椅子の脚に巻き付くようにしながら鎌首をもたげ……え、鎌首、鎌首?


「蛇っ! 蛇、蛇!」

『え、蛇? 待て、良く見るのだ。私は』

「来ないで! いやーーーっ!」


 我を失ったマルツィアは、にょろにょろと石床を這い目の前に迫った黒蛇を、大きく振り被った右手で叩いて吹っ飛ばした。


『ぐぇ〜〜〜』


 蛇は哀れな叫び声を上げ、星屑のような光を撒き散らしながら消え失せた。


 マルツィアは、目尻に涙を浮かべながら、しっとりひんやりとした蛇に触れた手のひらをハンカチで拭く。邪悪な蛇が使い魔だなんてことになれば、皆からどんな目で見られるだろう。いいや、たとえ奴らが聖なる使いであったとしても、蛇と生涯を共に過ごすだなんて、そんな運命。


「断固お断りしますっ!」


 その瞬間。きいん、と耳鳴りがして、思わず目を閉じる。次に瞼を上げた時、地上から人が階段を下って来る足音がした。


 振り向くと、口をあんぐりと開けた司祭と目が合う。彼は気遣いの欠片もなく言った。


「なんてことだ。使い魔を連れ帰れない人が本当にいるだなんて。都市伝説かと思ってた」


 こうして、晴れて生ける伝説となったマルツィアはそのまま処置室に連行されて、背中に蛇の刻印を背負うことになった。そして時は飛ぶように過ぎ、いよいよ今日、船に乗り本土へと向かう日が訪れたのだ。

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