第44話「奥義」

(…… まだ、だ)


 地に頭を強打する寸前、ハクは再び純白の輝きを纏う。そして身を翻し、浮遊する形で静止した。


「なかなか、やるっすね」


 そんな彼の位置まで、ヌヴォが高度を下げる。隙だらけのハクに対し、彼が追撃を仕掛けることはなかった。


「三次元魔法陣…… 本来、平面で描くはずの魔法陣を立体的に構築することで、魔法の威力を数倍から数十倍に引き上げることが可能になります。比較的小さな規模でも、充分致命傷になり得る程に」


 荒い呼吸。未だに続く痛み。今にも途絶えそうになる意識。ハクは耳を傾けるのがやっとの状態だった。


「一族の奥義であるそれをくらってもまだ意識を保ってるとは、驚きっす…… でも、所詮その程度ってことっすよ」


 頭部からの出血が酷いようで、ハクの視界には赤色がちらついている。正面に立つ男がどのような表情をしているのかすら、今の彼には認識できなかった。


「ハクさんに、冥王の瘴気を祓えるとは思えません。一族に伝わる奥義を授ける気にもなれませんよ…… 元々、一族以外の人間に奥義を授けるのは反対だったっすけど」


 尚も、ヌヴォの言葉は続く。


「掟だから、じゃないっすよ? この体に流れる、王族の血。それに恥じないよう積み重ねてきた努力。そして、自分の存在そのもの。それら全てを踏み躙られるような気がして、我慢ならないんす…… 英雄の魔力を宿す貴方が相手であっても、この想いは変わりません」


 王族としての誇りがある、ということなのだろう。それを穢すのは、些か気が引ける。そんな思考ができる程度には、ハクの意識は鮮明になっていた。


「退いてくれませんか、ハクさん。自分は、これ以上貴方を傷つけたくないっす」


「できません」


 激痛に襲われるなかでも、ハクは即答する。

 諦める選択肢など、とうの昔に捨てているのだ。それを拾い直そうなどと、考えたことはない。これから先、考えることもない。


「…… 直接受けて、確信しました。この魔法は、僕が使命を果たすために、必要だと」


 ただ、とハクは続ける。


「確かに、一子相伝の奥義を授かろうなんて、考えが甘かったですね」


「何を言って……」


「…… 必要なものは、自らの力で掴み取ります」


 そう告げた直後、ハクは光の壁を球状に展開した。更に、光を伸ばすようにして分離させ、二つの塊を作り出す。

 自らを模した、分身だ。

 それらは、先程ヌヴォの人形がしてみせたように、光の軌道を空中に定着させながら凄まじい速度で飛行を始めた。


「『理想は光り輝いて』」


 そして、ハクもまた、同様に詠唱を開始する。


「まさか、見ただけで三次元魔法陣を構築するつもりっすか……?」


「『悪を滅する希望とならん』」


「舐めるのも大概にしてほしいっすよ!」


 ヌヴォは詠唱もなしに三本の槍を出現させると、突進しながら光の軌道を次々と分断していった。

 奥義を軽んじられているように感じたはずだ。苛立つのも当然だろう。そうわかっていたが故に、ハクは動揺せず魔力を高め続ける。

 対策は、既に用意していた。


「があっ!?」


 突然、ヌヴォが苦しみだす。その体は、僅かに痙攣していた。

 光の軌道に、雷属性の魔力が混入していたためだ。妨害されることを見越して、ハクが設置した罠だった。破壊した瞬間、内部から電撃が伝わる仕組みだ。


「『夢すら現に引き寄せて』」


「この、程度で…… 妨害できないと思ったら、大間違いっす!」


 尚も、ヌヴォは光の軌道を処理していく。電撃に襲われようとも、お構いなしだ。そして、二体の分身までもその槍捌きで消滅させた。


「『聖なる力に全てを溶かせ』」


 残るはハクと、彼を覆う光の壁のみ。それでも、彼は魔力を高め続ける。


「まさか……!」


「『エクレールジュディッジオ』」


 ハクの目論見に気づいたらしいヌヴォ。直後、地上と空中に展開された魔法陣から光が放出され、彼の体を呑み込んだ。


(上手く、いった……)


 ハクは光の壁を消滅させ、空高くへと飛行しながら距離を取る。

 三次元魔法陣を構築しようなどと、彼は初めから考えていなかった。奥義を模倣する素ぶりを見せ、相手の隙を誘い、そこに普通の魔法を叩き込む────それこそが、真の狙い。

 無事に作戦が成功したものの、まだ気を緩めることはできない。これだけで終わるはずがないと、わかっているからだ。


(…… 来る!)


 光が、内部から斬り裂かれていく。たった数回の攻撃で、容易く瓦解させられてしまった。

 そして、淡く散る光の粒子を突っ切るように、ヌヴォが距離を詰めてくる。輝きに包まれた彼は、巨大な剣を握りしめていた。


「『がさね:とうけん』」


 ただ、さすがに無傷ではいられなかったようだ。

 鎧が損壊したことで露わになった、彼の肉体。その負傷箇所から流れ出る血液が、ヌヴォ自身の輝きに照らされている。

 余裕がないのは、どちらも同じ。

 力を振り絞るようにして斬りかかってくる相手に対し、ハクもまた怯むことなく立ち向かった。


「『シャイニング=レイ』『モード:ヴィオーノ』」


 ハクは魔力を雷属性に変換させつつ、杖に纏わせる。それで剣を受け止め、瞬間的に電撃を流し込むことでヌヴォの動きを鈍らせようとしたのだ。

 実際、最初の数手は思いどおりの結果に繋げることができていた。ただ、相手もそう易々と倒されてはくれないらしい。


「『がさね:ちゃけん』」


 ヌヴォの剣が、茶色に染まる。直後、電撃の通りが明らかに悪くなった。一瞬だが、それに気を取られたことでハクは僅かに押される。

 剣の属性が、変化したのだ。先程は光で、恐らく今は、土。ならばと、ハクも再び指輪に意識を集中させた。

 灯す輝きの色は、緑。


「『オトギリソウ』」


 互いの武器が接触した瞬間、勢い良く魔力を流し込む。直後、ヌヴォの剣に黄色い花が次々と咲き始めた。

 養分として吸収された相手の魔力は、即座にハクへと流入する。それにより、心許なかった魔力の残量を僅かに回復させることができた。

 ただ、今度は三手も続かずに状況が変化することとなる。


「『がさね:せきけん』」


 赤く染まった剣。それが炎を纏ったことで、魔法の花々は一気に焼き尽くされてしまった。

 そのまま、炎の刃が迫る。攻撃自体は杖で受け止められる程度の威力だ。揺らめく炎の先がハクの身に届くこともない。

 だが、熱は確かに伝わっていた。それが、既に残り少ない彼の体力を奪っていく。荒々しく燃え盛る剣に対応するべく、彼は魔力を水属性に変換し、その勢いを抑え込むことにした。


「貴方は、特別な魔力を偶然手にしただけの、ただの子供だ……!」


 属性変換の後出しが続くなか、ヌヴォが口を開く。戦況のせいか、その表情に余裕は一切残っていない。


「貴方が選べる、いくつもの未来の先には、夢が、希望がある! それなのに、どうしてわざわざ死地に赴く必要があるんすか!」


 あるいは、その想い故か。

 今の言葉こそ、ヌヴォの本心であり、この戦いを提案した理由なのだろう。そう理解したハクもまた、嘘偽りなく自らの心を曝け出すことにした。


「仮初の希望なんか、いらない」


 冥王の瘴気を祓えない未来に、夢や希望などあるはずがない。あるように感じられるそれらは、まやかしだ。そんなもの、享受しようとは思えない。


「進む先に、希望がないなら…… 僕自身が、その輝きになってみせる!」


「それを貴方が背負う必要ないって、どうしてわかんないんすか!」


 二人は何度も武器をぶつかり合わせながら、徐々に高度を上げていく。それとともに、一瞬の攻防で制御する魔力の量も増加していった。


「僕が…… 僕たちが、やらなきゃいけないんだ!」


 せいりょうは、クロの記憶の手掛かりを握っている。恐らくは、それだけでなく、自身についても────そうわかっているからこそ、ハクは止まれない。

 友のため。自分のため。そして、世界のため。他の誰にも、この使命を渡すわけにはいかない。その強い想いが、彼を更なる高みへと押し上げる。

 そして、ついに。


(崩した……!)


 激しい応酬を、ハクが制した。全力で杖を振るったことで、ヌヴォとの距離が開く。

 狙うなら、今。

 そう考えるよりも先に、彼の体は動いていた。杖を構え、その先端に魔力を集中させる。


「『ギャザリング=レイ』!」


 強く、気高く、美しい純白の光。他の何にも染まらないその輝きが杖の先から放出され、ヌヴォを瞬く間に包み込んだ。

 ただ、その直後、限界を超え続けた反動に襲われたことで、ハクの攻撃は大して持続することなく消滅してしまう。


(早く、次を……!)


 咳き込み、その勢いで吐血しながらも、相手から視線を逸らさない。どのような反撃を受けても対処できるよう、ハクは魔力を高めていた。

 だが、ヌヴォが新たな動きを見せる気配はない。それどころか、飛行を可能にしていたであろう魔法の輝きが消え、見る見るうちに高度を落としていく。

 意図しての行動には思えない。恐らくは、先の一撃によって気絶してしまったのだろう。


「ヌヴォさん!」


 衝撃を受け流そうとしても重傷は免れない程、高所からの落下。なんの対応も取れなければ、万に一つも助からないだろう。

 己の道を阻んだ相手とは言え、死が迫るのをただ眺めていることなどできない。ハクは迷うことなく駆け出した。

 幸い、自身の輝きを維持する程度の魔力は残っていたため、危なげなくヌヴォの身を抱き寄せ、減速しながら地上へと帰還する。


「…… はっ!?」


 直後、しばらくは閉じられたままだろうと思われていたヌヴォの瞼が、勢い良く開いた。彼の視線は四方八方へ動いた後、最終的にハクの顔へと落ち着く。


「立てますか?」


「ええ、多分」


 ゆっくりと下ろされて自らの足で大地を踏み締めたヌヴォは、ふらつきながらも数歩進んでハクの方へと振り返った。


「いやー、助けてくれて感謝するっすよ、ハクさん。にしても、力を試すとか言って負けた挙句、窮地を救われるとは…… このヌヴォ、一生の不覚っすね」


 ヌヴォが、笑いながら後頭部を掻く。つい先程まで気絶していた人間とは思えない振る舞いだ。


「約束どおり、奥義の伝授を…… する前に、まずは手当てをしましょうか」


 ヌヴォの合掌により、二人の頭上と足下に魔法陣が展開される。そこから広がった淡い輝きが体へと浸透し、二人の傷を塞いでいった。


「…… 今のは?」


「回復とか、治癒とか…… その他諸々を一つに詰め込んだ魔法っす。結構集中しないといけないんで、戦闘中には使えないのが欠点っすかね」


 多少の倦怠感こそ残っているが、痛みは完全に消え去っている。戦いの勝敗はともかく、使用可能な魔法の種類とその練度においては、まだ遠く及ばないのだとハクは実感させられた。


「さて、では改めて」


 咳払いをしてから、ヌヴォは再び口を開く。


「ハクさんの実力、この身で確かに確認しました。我らが奥義、貴方に託すとしましょう」


「いえ。先程申し上げたとおり、やはり自分の力で身につけることに……」


「何言ってるっすか。そう簡単に真似できるもんじゃないっすよ」


 言葉を遮りながら、ヌヴォがハクの頭の上に手を置いた。

 直後、脳内に詳細な情報が流し込まれる。一回見ただけでは理解できていなかったことが、脳を介して全身に刻まれていった。


「貴方一人に背負わせません。掟を破るくらいの業は、自分にも分けてもらうっす」


「…… ありがとうございます、ヌヴォさん」


 でも、とハクは続ける。


「僕は、一人じゃありませんよ」


「…… そうでしたね」


 ヌヴォは微笑んでから、ハクの肩に手を置いた。


「今から、ハクさんを土の国に転移させます。ただ、魔力の残量的に自分は同行できないんで…… 申し訳ないんすけど、仲間の方々にも、よろしく伝えておいてもらえますか?」


「承知しました」


「感謝します…… では」


 ゆっくりとした瞬き。それだけで、ヌヴォの表情が引き締まったように感じられた。


「健闘を、祈ります」


 仰々しい光に包まれることもなく、ハクの視界は切り替わる。

 見覚えのある屋内空間。そこに、見慣れた仲間の顔が二つ。


「うわああああっ!?」


 突然の叫び声。

 フランによるものだ。至近距離から発されたそれにより、ハクは思わず耳を押さえた。仕方のない反応とわかってはいるものの、喧しいと感じずにはいられない。


「驚きすぎよ、フラン」


「だ、だって……」


 対照的に落ち着き払ったフィーマが、フランを窘める。もっとも、どちらかと言えば彼の反応の方が異様なのだろうが。


「えっと…… ただいま」


「お、おかえり?」


「随分早かったわね。結局、なんの用だったわけ?」


「…… ちょっとした挨拶だけだったよ」


 一子相伝らしい奥義を伝授された、などと言えるはずがない。力試しのことだけは告げても良かったが、そこから余計なことを口走る可能性を考慮し、当たり障りのない返事で誤魔化した。


「ふーん…… ま、いいわ。それより、話の続きをしましょ」


 話の続き。確か、四死生霊から聞いた情報を二人に明かしたところで中断していたはずだと、ハクは思い出した。


「フランと話し合って決めたんだけど…… ハクは、先にアイアに戻っちゃいなさい」


「え? いや、でも……」


「アタシの傷が完治するまで、まだしばらくかかるはず。ここでそれを待つより、お師匠様とやらの下で修行に励んでた方が有意義でしょ?」


「それは、まあ、そうだけど……」


 フランも同じ考えなのかと、ハクは彼女の方に視線を向ける。


「私は残るよ。怪我人一人置いていくわけにもいかないし」


 フランは苦笑いしながら人差し指で頬を掻いていた。完全に納得できたわけではなさそうだが、他にいい選択肢が思い浮かばなかったのだろうと考えられる。


「儀式とやらの日になるまで、四死生霊の足取りが掴めるとも思えないけど…… 万が一、一人でいるところを狙われたとしても、あなたなら大丈夫でしょ」


 一対一で交戦して勝利できる自信は未だにないが、逃げ切ることは充分可能なはずだ。フィーマの発言も、それがわかってのことだろう。


「…… わかった。けど、出発は明日にするよ。少し、疲れが溜まっていてね」


 ハクは振り返って歩き出し、扉に手をかけた。


「今日は、もう休ませてもらうよ。何かあれば、いつでも呼んで」


 返事を待たずに、部屋を後にする。ハクは俯きながら廊下を歩き、自分の部屋を目指すのだった。

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