第41話「天からの使い」

 海底王国と魔物による襲撃から、夜が明けた。


「ふふっ、まさかこれ程の重傷になるとは、自分でも思わなかったわね」


 宿屋のベッドで上体を起こしながら、フィーマが呟く。微笑んでいるであろうその表情すら拝めない程に、彼の体には包帯が巻きつけられていた。


「笑い事じゃないよ、もう……」


 傍らに立って眉をひそめているのは、フランだ。フィーマ程ではないが、彼女も手当ての跡があちこちに残っていて痛々しい風貌になっている。


「二人とも、ごめん。僕が、しっかりしていれば……」


 そう返したハクは、フィーマを挟む形でフランの向かいに立っていた。軽傷で済んでいるが、この場にいる三人のなかで最も暗い表情を浮かべている。


「ハクが謝ることじゃないよ」


「いや…… 実力はもちろんだけど、作戦立案に、その修正。あの戦いでは、至らない点が多かった」


 一人軽傷だったからこそ、だ。

 世界を救うと意気込んでいても、実際は仲間二人助けることすら碌にできていない。自分の身を守る程度の力しか持っていないという事実が、ハクの心を蝕んでいた。


「使命を果たす日が、近いっていうのに……」


「ねえ、ハク」


 俯きながら拳を握りしめていたハクだが、フィーマに名を呼ばれたことで視線を上げる。


「もう少し、顔を近づけてくれないかしら。話したいことがあるの」


「え? うん……」


 今の距離でも充分聞こえるはずだが、耳打ちでもするつもりだろうか。従いながらも浮かんだそんな思考は、直後に頭の外へ弾き出されることとなる。


「鉄拳制裁!」


 その言葉とともにフィーマから拳が繰り出され、ハクの体は後方に吹き飛ばされた。

 まず、殴打による痛みが左側頭部を。続けて、壁に衝突したことによる痛みが右半身を襲う。瞬間的に発生した二度の衝撃により、彼の思考回路は乱された。


「な、何してるのフィーマ!」


 だからだろう。被害者であるハクよりも先に、フランがそんな声を上げた。その後、彼女は尻餅をついた彼に駆け寄って手を貸そうとする。

 だが、そこまでの負傷でもない。彼は善意をやんわりと断り、自らの力だけで立ち上がった。


「アタシ、二度も同じことを言わせる奴は、たとえ男前だとしても気に食わな、いだだだ!? あ、やばこれ骨やっちゃったかも」


 何か話そうとしていたようだが、治りかけていた傷が悪化したのか、フィーマはぎこちない動きで横になろうとする。ただ、今の体ではそれすら満足に行えないらしく、見かねたフランに補助されてようやく動作を完了した。


「…… 続きがあるのなら、聞かせてくれないかな」


 元いた位置に戻ってから、ハクは尋ねる。

 何も、突然の攻撃に苛立っているわけではない。フィーマから拳を振るわれた理由が、純粋に気になっていたのだ。もっとも、おおよその察しはついていたが。


「実力不足なのは、あんただけじゃないってことよ」


 話すのも一苦労なのか、フィーマはため息を挟んでから続ける。


「フラン。あなたも、ハクに言いたいことがあるんじゃないかしら」


「…… そうなのかい?」


「え、あ、えっと……」


 視線が集中したためか俯いてしまったフランだが、一呼吸置いて決心したらしく、ハクの方へと顔を向けた。


「ハクの気持ちは、わかるよ。私だって、大切な人に、無理してほしくはないから」


 でもね、と彼女は続ける。


「もっと私たちのことを頼ってほしいし、信じてほしい。仲間だって、認めてほしい。大切なあなたの、隣に立てるようになりたい」


「それは……」


 ハクは口を噤んだ。どんな言葉を並べても、ただの言い訳にしかならないとわかっていたためだ。


「確かに、私じゃまだまだ役に立てないかもしれない。でも、一人で抱え込む必要ないんだよ。力が足りないなら、みんなで一緒に強くなろう。悩んだときは、一緒に考えよう」


 フランが、震えた声で言葉を紡ぐ。彼女の瞳からは、今にも涙がこぼれ落ちそうになっていた。


「お願い」


 昨晩の騒動は、あくまできっかけに過ぎない。恐らく、以前から同様の悩みを抱えていたのだろう。そして、その状況を打破するべく、フランは自身が成長できるように努めていた。

 いや、事実、成長していた。ハクの予想を大きく上回る程に。だが、彼はそれでも彼女のことを庇護するべき存在として見てしまっていた。助け合い、共に戦うはずの仲間に対して、ふさわしくない扱いをしていたのだ。

 フィーマに対しても、同様に。


「ごめん」


 自らの過ちに気がついたことで、ハクは頭を下げた。


「駄目だね、僕は。前にも同じような注意を受けていたのに、全く改善できていなかった」


 フィーマが苛立つのも当然だと、ハクは心の中で自嘲する。それから顔を上げ、二人へ交互に視線を動かした。


「傷ついてほしくないって気持ちや、危険な目に遭わせたくないって気持ちが、完全に消えることはないだろうけど……」


 すぐには変われないかもしれない。

 それでも、変わらなければならない。変わってみせるという意志を、示さなければならないのだ。


「今度こそ、ちゃんと信じてみせる。仲間として、友として…… 君たちを、もう二度と哀しませないと、誓うよ」


「ハク……」


「…… ま、上出来ね」


 フランは微笑み、フィーマは明るい声色でそう告げる。ハクの言葉が、その場凌ぎのものではないと伝わったのだろう。


「そろそろ話を戻しましょうか。他に、何か用事があったんでしょう?」 


「うん。昨日の件で、少し……」


 話題の切り替わりが強引にも思えたが、ハクもすぐに情報の共有がしたかったため、本題に入ることにした。


「実は、せいりょうと接触したんだけど…… フランは覚えているかな?」


「うん。ただ、どんなことを話してたかまでは……」


 そう返しながら、フランが首を傾げる。あのときハクのために振り絞ってくれた言葉も、覚えてはいないようだ。


「…… 相手から聞いたのは、二つ。一つは、今回の騒動は四死生霊によって企てられたものだったということ。そしてもう一つは、冥王復活の儀式について」


「儀式?」


 フィーマの復唱に頷いてから、ハクは再び口を開く。


「次の新月の夜に、冥府王国で行うつもりらしい」


「冥府王国……?」


「かつて、冥王が統治していた国ね。英雄との戦いで滅んだはずだけど、何故か新月の夜にだけ姿を現すみたいよ」


「何それ……」


 半信半疑、といった様子のフラン。

 地図にすら残っていないような場所だ。つい半年程前まで、冥王の瘴気に関する詳細な情報とは無縁だったであろう彼女が知らなくても、無理はない。


「次の新月って、いつ頃だったかしら」


「二十日から三十日後ってところかな」


「あまり猶予はないわね。なら────」


 フィーマから何らかの案が出されようとしていたその時、部屋の扉が叩かれた。三人の視線が、一斉にそちらへと向けられる。


「ハク様。客人がいらっしゃってますが、いかがなさいますか」


 それは、宿屋の従業員の声だった。


「事情聴取にでも来たのかな…… とりあえず、僕だけで話を聞いてくるよ」


 考えられる来客は、昨晩の騒動に関する事情聴取のために訪れる、王国軍の兵士ぐらいだ。傷の癒えていない二人に負担をかけることが憚られ、ハクは扉の方へ向かおうとしたが、直後、フィーマが口を開いたことでその足を止める。


「通してちょうだい」


「…… 大丈夫かい?」


「後で話を聞くのも二度手間だし。一緒に聞いた方がいいでしょ?」


 無理をさせたくない気持ちはあったが、フィーマの言い分ももっともだと思い、ハクはそれ以上何も言わずに客人とやらを待つことにした。


「失礼します」


 再び叩かれた後、扉が開く。

 現れたのは、白を基調とした色合いの鎧に身を包む、一人の青年。少なくとも、この国の軍に属する兵士ではなさそうだった。


「自分、天空王国からやって来た使いっす。名を、ヌヴォと言うっす」


 天空王国。訪れたことも、これから訪れる予定もない場所だ。そのためか、ハクも詳細な知識は有していない。せいぜい、名称を知っている程度だ。


「使い?」


「ええ。我らが王が、ハクさんに御用とのことで。国まで連れて来いとのお達しを受けてるっす」


「王様が、僕にどういったご用件で……?」


「申し訳ないっすが、自分にも詳細は明かされていません。顔を見たいとしか仰られず……」


 直後、ヌヴォが何か思い出したかのような声を上げる。彼は自身の懐をまさぐると、そこから一枚の紙を差し出した。


「あ、忘れてました。こちら、王直筆の書状っす」


 ハクはそれを受け取り、内容の確認を行う。やはりと言うべきか、その書状にも先程聞いた以上の情報は記されていなかった。


「ちょっと、見せてもらえるかしら」 


「ああ、うん……」


 腕を伸ばすことも困難であろうフィーマの目の前に、書状を広げる。


「…… 確かに、正式なものみたいね」


 確認を終えたらしいとわかり、ハクは腕を引き戻す。

 王族であるフィーマが言うのであれば、相手の身元は信用できるだろう。依然、疑問は残ったままだが。


「どうするの?」


 フランからそう尋ねられるが、答えは決まりきっていた。


「…… 行くしかないよ。王様からの呼び出しを断るわけにもいかないし」


「ご協力、感謝するっす。んじゃ、早速行きましょう」


「え」


 突然肩を掴まれたことで、ハクは間の抜けた声を上げる。まさかと思った彼が再び口を動かそうとした時には、既に視界が切り替わっていた。


「────はい、王城到着!」


 周囲には、フランもフィーマもいない。全く別の屋内空間に、転移させられたようだった。

 長く続く廊下。赤い絨毯や煌びやかな照明等の、高級そうな内装。火の国でも王城を訪れたことはあるが、それだけでは到底慣れることのできない雰囲気が辺りに満ち満ちていた。

 ただ、幸か不幸か、ハクの意識は別のことに向いている。


(今後の方針を話しておきたかったのに、別れの挨拶すらできなかった……)


「ハクさん? どうかしたっすか?」


「いえ、なんでも」


 不満を口に出して、反感を買っても面倒だ。長居しなければ支障もないだろうと判断し、ハクは微笑を浮かべる。


「なら良かったっす。申し訳ないんすけど、自分は別件で動かなきゃいけないんで、ここから王のもとまではご自身で向かってください。最初の分かれ道を右、そこから進んで左手に見える階段を上り続けていれば、王がおられる広間に辿り着きますんで」


「わかりました」


「では、自分はこれで!」


 そう言い残して、ヌヴォは転移魔法で姿を消してしまった。


「…… 行くか」


 初めて訪れた場所に、一人取り残されるハク。愚痴もため息も吐けぬまま、言われたとおりに城内を進んでいくのだった。

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