第39話「ネーレレ、進軍」

「やっと突破できたよ……」


 ハクが証を手に入れてから、六日後の夜。宿屋の一室にて、机に身を預けながらフランがため息混じりに呟く。彼女も、ようやく試練を乗り越えることができていた。

 ただ、試練そのものに苦戦していたわけではない。ハクの試練突破後に挑戦者が激増したことで、彼女の順番がなかなか回ってこなかったのだ。


「なんなのあの遺跡…… 一生辿り着けないんじゃないかと思ったよ……」


 遺跡内部に存在するあの迷宮を最も速く攻略した者に、一日一回しか行われない試練の挑戦権が与えられるらしい。その仕様に阻まれ、フランとフィーマは足踏みさせられていたというわけだ。


「これで、残るはアタシだけね。別に、二人とも先にアイアへ戻ってくれて構わないけど」


「いや、待つよ。一人になったところを、せいりょうに狙われる可能性も考えられるからね」


 今まで、一行をまとめて葬り去ることが可能な場面はいくつもあったはずだが、それをしなかったのは四死生霊にも何か思惑があってのことだろう。

 ただ、冥王復活の障害となり得る存在を、相手がこのまま放置しておくとは思えない。下手に単独行動を取るのは危険だと、ハクは判断した。


「ま、それもそう、ね────」


 フィーマの言葉が、不自然に途切れる。

 突如として、謎の地響きが発生したためだ。その音と衝撃は時間が経つにつれ強まっていき、直立するのが困難な程にまで達した。


「な、なんだ……?」


 やがて、一際大きな爆発音が響き渡る。それによってか地響きはぴたりと収まったが、今度は大雨のような轟音が聞こえてきた。


「行こう、二人とも!」


 狼狽えてばかりはいられない。有事であると察したハクは、二人を連れて宿の外へと飛び出した。


「あれは、いったい……!?」


 周辺に異常を見受けられなかったことで、視線を上げる。そんなハクの瞳が捉えたのは、空高くを舞う、青い渦のようなものだった。

 数は八つ。それらは唸りを上げながら急降下し、大地へと激突する。

 そして、大きな揺れが辺り一帯を再び襲った。


(敵襲……? まさか!)


 転倒しないよう堪えながら、付近に着弾した渦の一つへ視線を向ける。

 このような騒動を企てる存在など、そうはいない。そんなことを考えるハクだったが、渦の中から現れたのは意外な存在だった。

 深い青色の鎧に身を包む、数十人規模の兵士。この集団の統率者であろう男は数歩前進すると、武器を掲げた後に口を開いた。


「海底王国ネーレレ、地上への進軍を開始する!」


 その言葉を受けてか、集団から雄叫びが上がる。直後、兵士たちは一斉に動き出して街や人への攻撃を開始した。

 海底王国に光あれ。そんな言葉を叫ぶように繰り返しながら。


「…… よくわからないけど、やるしかなさそうね」


 肩を鳴らしてから、フィーマが短剣を引き抜く。彼は力を溜めるかのように屈んだ後、足から炎を噴射して勢い良く飛び出した。


「かかってきなさいよお!」


 誰に言われることもなく、フィーマが街の防衛を始める。

 国同士の諍いなど、関与するべきではないかもしれない。だがそれは、目の前で襲われる人々を助けない理由にはならないだろう。

 自分も戦わなければ。そう考えながら、ハクは一歩踏み出した。


「フランは近隣住民と一緒に避難して。まだ、本調子じゃないだろう?」


 フランが試練を突破したのは、午前中。手当てをしてからそれなりに時間は経過しているが、それだけで傷が完治するはずもないだろう。

 魔力の残量も充分だとは思えない。今の彼女に、この数の兵士を相手取らせるのは酷だとハクは考えていた。


「ううん、大丈夫」


 だが、ハクの言葉に応じることなく、フランが彼の隣に立つ。


「やろう。みんなで」


「…… わかった」


 そう返されるだろうと、ハクは薄々勘づいていた。故に、粘ることなく首を縦に振る。


「フランも、攻撃に専念して。僕たちに当たる心配はしなくていい」


「了解!」


 ハクは指示を出したものの、フランに負担をかける気は更々なかった。彼女の返事を聞いた後、純白の光を身に纏って軍勢へと駆けていく。

 光沢を放つ相手の鎧は、さぞかし優れた強度を誇っているのだろう。だが、その重りを背負っていては、彼の動きに対応することなどできはしない。方々に散らばりかけていた兵士は、彼の手によって瞬く間に一箇所へと密集させられた。

 いや、それだけではない。逃げ遅れていた人々も、彼の働きで次々と救い出されている。


「フィーマ、離れるよ」


「はいはい」


 一人で立て続けに兵士を撃破していたフィーマ。余力は充分なようだが、ハクはそんな彼を連れてフランが待機している位置へと戻った。


「『ダウンポウリング=レイ』」


 ハクの詠唱により、兵士の頭上に魔法陣が複数展開される。直後、そこから光が降り注ぎ、相手の体を呑み込んでいった。


「もう一回行くよ」


「人使いが荒いわね、全く」


 二人は再び、それぞれの魔法で相手へと接近する。先の攻撃で大半を倒せていたが、咄嗟に回避や防御を行った者がいたらしい。

 とは言え、動揺している相手に遅れを取ることなどなく、二人は即座に残りを片付けて鎮圧することに成功した。


「これで終わり? 案外あっけなかったわね」


「いや……」


 兵士を全員倒せたにもかかわらず、気を緩められないハク。彼の視線の先には、未だ渦巻き続ける青い『何か』が存在していた。


「あれは、水、なのか……?」


 中から兵士が現れた点を考慮するに、自然由来のものではないのだろう。転移魔法の類か、あるいは彼らを直接この国まで運んできたのか────いや、そんなことはどうでもいい。

 今考えるべきは、何故、それが未だに消滅していないのか、だ。

 そう思考を巡らせ始めた矢先、渦巻く激流が上昇し、すぐに屈曲して再び地面を狙った。

 その先にいたのは、ハクとフィーマ。そして、二人によって倒された兵士たち。


「…… 下がるよ!」


 魔法を持続させていたハクは、フィーマを掴んでフランの方へと後退する。だが、兵士にまでは手が回らなかった。結果、膨大な量の水が、横たわる彼らに打ちつけられる。


(何が、起こっているんだ……?)


 高い位置から落下するあの水量は、最早一種の攻撃だ。海底王国のものであろう魔法が、何故そのような所業を自国の兵士に行うのかハクは理解に苦しんだが、後の光景を目にしたことで、いやでもわからされることとなる。


「水を…… 吸収してる?」


「…… いや。水が、人体に侵入しているんだ」


 フランの言葉を、ハクは否定した。

 落下の衝撃で飛び散った水滴が、気を失っている兵士の体へと浸透していたのだ。まるで、自我でも持っているかのように。

 それらが全て体内へと流入した後、倒れていたはずの兵士たちは再び立ち上がった。白目を剥き、半開きの口から涎を垂らし、おぼつかない足取りで近づいてくるその姿は、正気のそれとは程遠いだろう。


「この、魔力反応は……」


 ただ復活しただけには見受けられない。そう思い、魔力反応を注意深く探ってみたことで、ハクは相手の正体に気がついた。


「魔物だ」


「ど、どういうこと? この人たち、魔物だったの?」


「そんな風には見えなかったわよ?」


「さっきの渦そのものが、魔物だったんだよ。多分、内部に侵入したあれが、兵士たちを強制的に動かしているんだ」


 他の属性に紛れ込んでいたこと。魔力反応自体が微弱だったこと。この二つのせいで気づくのが遅れたが、そうだとすれば今の状況にも説明がつく。


「なんでまた、結界内に、魔物が……?」


「恐らくは、四死生霊が関わっているんだろうね」


「二人とも、お喋りはここまでみたいよ」


 フィーマによるその言葉を聞く前に、ハクは警戒を強めていた。相手の魔力反応が、急激に強まっていたためだ。

 散開し、先程以上に俊敏な動きで襲撃を再開した兵士たち。直後、一人一人から、魔力の塊が二つずつ放出される。やがて、青く揺らめく水のようなそれらが、宿主と同様の輪郭を形作っていった。


(分身か……!)


 兵士本体より力は劣るだろうが、数だけ見れば相手が三倍に増えていることになる。そのため、先程の要領で倒そうにも魔力の消耗が比較にならない。

 この国に侵入した渦は、全部で八つ。王国軍や自警団の到着が間に合わなかったり、それらの戦力が不足していたりといった可能性を考えれば、少しでも余力を残して勝利するべきだろう。

 そう考えたハクは高速移動の魔法を解除し、別の作戦へと移行することにした。


「二人は分身の方を抑えて。倒せなくてもいい。その間に、僕が魔物をなんとかする!」


「了解!」


 二人の声が重なる。その後、フィーマは相手の方へ向かっていき、ハクとフランは逆に距離を取った。それぞれの得意な間合いで戦いを進めるためだ。


「『シューティング=レイ』」


 杖の先から、ハクは光の球体を散らして放つ。炎を噴出させながら縦横無尽に飛び回るフィーマへと当たらぬよう、緻密に制御して。

 それを撃ち落とそうとする相手の挙動を確認してから、彼は更に動いた。


「縛れ!」


 詠唱に応じ、光が球体から紐状に変化する。それは、相手から放たれた闇属性と思われる魔法を不規則な動きで躱すと、兵士本体だけを素早く絡め取った。


「濯げ!」


 ハクは詠唱するとともに杖を翳し、その先から更に魔力を流し込む。それにより、相手を拘束する光は輝きを強めていった。


(…… よし。このままいけば)


 相手の口から発される苦しむような悲鳴を聞き、ハクは手応えを感じる。兵士たち自身のものか、内部に潜む魔物のものかは不明だが、魔法は有効に働いているようだ。

 どれだけ分身を倒したところで、本体を叩かなければ勝利することはできない。加えて、戦闘不能に陥っている兵士を魔物が操れるため、彼らの肉体を負傷させるだけでは意味がなさそうだった。

 ならばと繰り出したのが、この一手。魔物が苦手とする光属性の魔力を流し込み続ければ、肉体を無闇に傷つけることなく、魔物だけを葬ることができると考えたのだ。

 ただ、そう上手くはいかないらしい。

 分身の動きも鈍くなり、あと少しで決着を付けられると思った瞬間、兵士の体から水のような何かが勢い良く噴き上げた。

 魔物だ。液状のそれは空高くまで上昇すると、分身を構成していた魔力までも引き連れ、渦巻きながら国の中央部へと飛んでいく。


(…… あれで全部か)


 支配から解放されたらしく、兵士たちが再びその場に倒れ込んだ。未だ意識を取り戻す気配はないが、自由にさせておくわけにもいかないため、ハクは拘束を解くことなく魔物が逃げていった方へ視線を戻す。

 そして、目を見開いた。


「渦が、集まってる……?」


 先程確認できた、八つの渦。地上から舞い戻ったらしいそれらが衝突し、轟音を発生させながら混ざり合っていった。

 やがて、それらは一体の巨大な魔物へと変貌する。

 八本の足。知識がなければ頭部に見えるであろう、膨らんだ胴体。

 蛸だ。もっとも、渦と同じ、青い水のようなもので再現されているに過ぎないため、その色合いは本来のそれとは全く異なるが。


「合体した!?」


「…… あるいは、あれが本来の姿か」


「驚いてる場合じゃないわよ」


 フィーマの言葉に、ハクは頷く。新たな作戦を用意する必要があることは、一目瞭然だった。


「フラン。かなり離れた位置に魔物がいるけど、矢は届きそう?」


 魔物は空高くを浮遊している。それこそ、結界に触れそうな程に。

 いくら巨大とは言え、これではどれだけ接近しても地上からの狙撃は困難だろう。届いたとして、威力は当てにできない。

 飛行方法を確立している自分とフィーマはともかく、フランが相手と戦うことはできないのではないかとハクは考えていた。


「さすがに、地上からは…… でも、大丈夫。私も戦えるよ」


 少し離れてて、と告げてから、フランが真上に向けて弓を引く。


「『大樹よ。荒ぶる魂を形取って顕現し、自然の脅威を討ち滅ぼせ』」


 かつてない程に高まっていく、フランの魔力。ここまで成長していたのかと、ハクは思わず息を呑んだ。


「『じゅじゃらん』」


 緑色の輝きが、夜空を駆け上がる。色合いがくすむとともに径を増していったかと思えば、それは屈曲して地上へと戻り、フランの後方から飛来した。

 その先端は、蛇のように開かれている。

 彼女はそれに飛び乗ると、運ばれる形で高度を上げていった。


「そういうわけだから、私のことは心配しないで!」


 フランの声が遠のいていく。

 呆気に取られるハクだったが、彼女の成長に対する嬉しさと、今まで気づくことができなかった自分への不甲斐なさが同時に訪れたことで、微笑した。


「アタシたちも行くわよ」


「そうだね」


 蛇に次いで、炎と光が闇夜を裂いていく。数分も経たないうちに、三人は魔物を囲む位置にまで達していた。

 視線を下げると、海底王国の兵士や他の魔物が襲撃を続けているのがわかる。王国軍や自警団は既に活動を開始しているが、それらにかかりきりで蛸の魔物にまで手が回らないようだった。

 やはり、三人で戦う必要があるらしい。


「…… 行くよ!」


 ハクの合図により、全員が一斉に動いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る