第38話「土の試練」

「貫け!」


 先に動いたのは、ハクだ。

 杖の先を土塊に向け、光の槍を放つ。だが、対象が地面の中へ吸い込まれるようにして消滅したため、その攻撃は遥か遠くの壁へと突き刺さった。


(…… こっちか!)


 直後、後方から気配を感じたことで、ハクは再び杖に魔力を込める。


「斬り裂け」


 方向転換するとともに杖を振り、その勢いに乗せて光の斬撃を放った。

 その先にあったのは、一つの土塊。戦闘開始前にはなかったものだ。現れてすぐには操作を切り替えられないのか、先程のように土へ沈むことなく魔法の餌食となる。

 だが。


(色合いが違う…… 別個体か!)


 逃げた土塊は茶色で、今撃破したのは灰色だ。後者は、分身の分身とでも呼ぶべきか。恐らく、前者を仕留めなければ試練突破にはならないのだろう。

 灰色の土が光の粒子となって消滅した瞬間、空間全域に無数の魔力反応を感じたことで、ハクはそう理解した。


「なん、だって……?」


 地面、天井、四方の壁。それぞれに十体以上の分身が出現している。

 いや、数は尚も増え続けていた。その光景に、ハクは思わず息を呑む。だが、驚いてばかりはいられないと思い直し、即座に純白の光をその身に纏った。


「『シャイニング=レイ』」


 茶色の土塊がいるのは、天井。可能な限り接近してから仕留めようと判断し、ハクは強く踏み込む。

 だが、普段どおりに飛ぶことはできなかった。

 代わりに、脳を強く揺さぶられる。それにより彼は思考を鈍らされたが、くるぶしに感じ始めた激痛のおかげで自身が置かれている状況を理解した。


(足が、掴まれてる……!)


 地面から生えた腕のようなものによって、ハクの両足が掴まれている。どうやら、飛行を開始する直前に拘束されてしまったらしい。


「弾、けろ……!」


 全身から魔力を放出することで土の腕を破壊し、拘束から逃れる。鈍った思考で高速移動の魔法を維持することは難しかったが、再びの妨害を受ける前になんとか離陸することができた。

 そのまま飛行を続け、目標の真下に到達する。脳が強く揺れたことで視界にまで異常をきたしていたが、魔力反応は正確に感知することができていた。

 故に、ハクは迷わず杖を掲げる。


「『ギャザリング=レイ』!」


 膨大な量の光が、天を目指すように噴き上がった。それなりに広いこの地下空間にも反響する程の轟音が発生するが、未だ朦朧としている意識をハクが繋ぎ止めるにはちょうどいい。

 とは言え、やはり余裕があるわけではない。浮遊状態を維持することはできても、その場から動けずにいた。


(…… 来る!)


 様々な方向から接近する魔力反応。恐らく、相手の攻撃だろう。そう考えたハクは光の壁を球状に展開する。

 攻撃の正体は、泥だった。全方位から飛来するそれがへばりつき、視界を茶色に染め上げていく。

 だが、大した威力を有してはいないらしく、彼の魔法が打ち破られる気配はない。


(このまま、なら…… いや、違う!)


 そう気づいた時には、遅かった。

 付着した泥が一斉に爆発し、光の壁を粉砕する。減衰されているはずだが、そうとは思えない程の衝撃がハクの身を襲った。


「がはっ……!?」


 取り戻しつつあった正常な思考回路を、痛みによって再び乱される。意識を手放すことはなかったものの、高度な魔法を持続させることは難しく、純白の輝きは消失してしまった。

 吸い寄せられるように落下するハク。飛行を再開できるよう全神経を集中させたが、僅かに遅かったらしく、地面に体を打ちつけた。

 否。地面の方から、彼を迎えに来たのだ。大地が瞬間的に隆起したことで、彼はまたしても宙を舞わされる。

 叫び声を上げることもできずに吐血するが、相手の猛攻は終わらない。灰色の土塊が、次々と彼に向けて飛来していた。

 その手には、同色の土で作られた斧のようなものが握られている。


(まずい……!)


 飛行の再開は間に合わない。先程のように爆発を起こされてしまう恐れがある以上、光の壁を展開するわけにもいかないだろう。

 と来れば、一つ一つ破壊するしかない。魔力に余裕がないため、光を纏わせた杖での近接戦闘を試みる。

 幸い、灰色の土塊はそこまで強度が高くないらしく、全力を込めれば斧諸共破壊することができた。

 だが。


「ぐあっ……!?」


 飛行できない状態での空中戦。満足に使えない魔法。数的不利────これらの状況下で相手の攻撃を捌ききることはできず、十体も倒せずに斧で切りつけられた。

 直後、ハクは地面に体を打ちつける。

 相手が、先程のような攻撃を仕掛けたわけではない。攻防の最中で自然と高度が下がっていたため、魔法を発動する余裕はハクにはないと見抜いていたのだろう。


「が、あっ……!」


 早く立たなければ、次が来る。

 そう思い力を込めたが、思うように全身へと伝わらず、体を動かすことができない。


『所詮はその程度か』


 ハクの前方。その遠くに見える茶色の土塊から、言葉が紡がれた。


『かの大魔導師様の弟子と聞き、多少は心躍らせていたのだが…… 見込み違いだったようだな。証を四つ手にしておきながら、このような醜態を晒すとは』


 焦燥感に駆られるハクとは対象的な、クーレの悠然とした声色。既に決着は付いたとでも言いたいのか、彼による攻撃の手が止まっている。


『…… よし。決めたぞ』


 まさか、もう合否を出されてしまうのか。

 そうはさせまいと立ち上がろうとしたハクだが、直後、予想だにしない言葉を耳にしたことで体を硬直させる。


『私を倒すことができなければ、証は全て剥奪させてもらう』


 証の剥奪。今まで、考えたこともなかった結末だ。


『試練を受け直すことも認めん。汝がどれ程崇高な使命を背負っているのかは知らないが…… 現段階でこの試練を越えられないようでは、逆立ちしても届くまい』


 耳が痛い言葉に、ハクは歯を食いしばる。

 これまでの旅で、実力は飛躍的に向上したはずだ。それでも、未だ番人の足下にも及んでいない。

 まだ伸び代はあるのだろうが、それを踏まえても、己が使命を果たせるだけの域に達することはできないのではないか。今更ながら、彼は現実を思い知らされた。


『空虚になりて、孤独に彷徨い、闇に怯えて生きるが良い』


 ハクの周囲に集まる、灰色の土塊。

 終焉という名の足音が、刻一刻と彼に迫っていた。


(このまま、終わったら……)


 ここで敗れ、証を全て失い、二度と試練を受けることができなくなったなら。冥王の瘴気を祓うという使命を、果たせなくなったなら────

 たとえそうなったとしても、レマイオが咎めることはないのだろう。心優しき彼のもとで、安穏無事な生活を送ることができるはずだ。大切な仲間を、友を、巻き込むこともなくなる。

 記憶を取り戻すことは難しくなるが、それでも、慎ましやかな幸福を得られるはずだ。

 思い描かれる、悪くない未来。


(…… でも、悪くないだけだ)


 そんな未来は、笑えない。

 笑うわけには、いかない。

 痛みによるものか、はたまた激情の表れか。ハクは体を震わせながらも、力強く立ち上がった。


『その気概は認めるが…… 諦めて楽になるがいい』


 その声に従うかのように、土塊が一気に距離を詰めてくる。だが、ハクは動じることなく自身の正面で杖を構えた。

 指輪に、緑色の輝きを灯しながら。


(見様見真似…… ですらないけど、やるしかない)


 たった一度しか見たことがない景色を、脳裏に浮かべる。そして、彼女の声を思い出しながら、ハクは口を開いた。


「『オトギリソウ』」


 詠唱の後、緑色の光が波紋のように広がる。威力など皆無に等しく、無数の土塊には傷一つつけることすらできていないが、それは確かにこの空間全域へと浸透していった。


『何をしようと……』


「芽吹け」


 クーレの言葉を遮り、ハクは詠唱を続ける。直後、至る所から植物が伸び、瞬く間に成長してその先端に黄色い花を咲かせた。

 かつてフランが行使した、木属性の魔法。その花が欲する養分は、魔力だ。


『まさか……』


「貴方の魔力、貰い受けます」


 大地を介して、相手の魔力を吸い上げる。

 魔法そのものであるためか、灰色の土塊はハクに攻撃を届かせる前に次々と消滅していった。

 本来なら、吸収した魔力はそのまま反撃に転用するらしい。だが、それだけではこの戦いを制することはできないと判断した彼は、更に一工夫凝らすことにした。


「来たれ!」


 花々から、同色の光が放出される。それらはハクが掲げる杖の先端へと集まり、そこから彼の肉体へと流入していった。


「『シャイニング=レイ』」


 純白の輝きを纏い直した直後、ハクは相手の背後に回り込んで杖を振るう。


「斬り裂け!」


 充分に蓄えられた魔力を惜しみなく使った一撃。不意を突けたかと思ったが、新たに出現した斧によって相殺されてしまう。

 ハクはその結果に驚くことなく、すぐさま相手の頭上へと飛んで杖を向けた。


「貫け!」


 そこから放った光の槍もまた、斧によって防がれる。再び相手の後方に着地し、猛攻を続けようとしたハクだったが、突然その動きを止めてしまった。

 直後に咳き込み、口元を押さえる。その左手に視線を向けると、赤い鮮血が付着しているのがわかった。


『私の魔力は気に召さないか?』


 軽口を叩きながら接近するクーレ。回避や防御こそすれど、逃げの一手に徹することがないのは、魔法の花々が未だに成長を続けているためだろう。

 その茶色の土塊さえ、魔法によって操作しているもののはずだ。その魔力を吸収されることは、敗北と同義。

 優先するべきは花々の対処のはずだが、ハクがそれをさせないとわかっているが故に、こうして彼を狙い続けている、ということだ。


「庶民派なんですよ、僕は」


 相手の行動を制限できたが、ハクが優位に立てたわけではない。

 先の吐血。あれは、他者の魔力を自身の体内に取り込み、変換して使用するという一連の流れを、高速で行っているために現れた症状だ。

 それだけ、彼の肉体に負担がかかっているということ。魔力が潤沢になっても、体力が尽きては戦えない。

 両者共に足枷がついたことで互角な戦いを繰り広げられている、というのが今の状況だった。


「撃ち抜け!」


 迫るクーレに、光の球体を散らして放つ。だが、相手が同様に発射した数々の泥によって、ことごとく撃ち落とされてしまった。

 そして、速度を落とすことなく接近した相手から斧が振り下ろされる。回避できる攻撃だったものの、ハクはあえてその場に留まった。


「『ディフェンディング=レイ』!」


 光の壁を半球状に展開し、斧を受け止める。


「広がれ!」


 直後、瞬間的に光の壁を広げることで斧を弾いた。

 仰け反り、がら空きになった相手の懐を見逃すはずもない。ハクは杖を構え、その先端に魔力を集中させた。


「集まれ!」


 膨大な量の光が、茶色の土塊を斧諸共呑み込む。それは、異常なまでに繁殖していた花々を巻き込みながら遠方の壁へと到達した。

 やがて光が収束するが、相手の姿はどこにも見えない。ただ、破壊できたわけではないのだろうと、ハクにはすぐにわかった。

 自身の真下。地中から、魔力反応の接近が感じられたためだ。


「ぐっ、があ……!?」


 不幸にもその瞬間、他者の魔力を利用した反動が訪れたことでハクの動きが鈍る。結果、地面から再び姿を現した相手の拳が彼の顎に直撃することとなった。

 その衝撃で、手から杖を放してしまう。

 だが、それだけで魔法が使えなくなるわけではない。彼は激痛に体を支配されながらも、掌に魔力を集中させた。


「撃ち、抜け……!」


 辛うじて放った、光の球体。それは土塊を捉えることなく、その背後を舞っていた杖へと直撃した。


『終わりだ』


(…… 貴方の、ね)


 ハクの魔法により、杖の角度に変化が生じる。ちょうど、持ち手に近い方の先端が相手に向かう形になった。

 直後、杖が伸び、土塊の頸部を貫く。

 魔力を込めることで大きさを自在に変化できるその機能は、本来、要所要所で魔法を使い分けるためのものだが、このように転用できるのかと彼は自分のことながら感心した。


「貫け」


 着地したハクが、五指からそれぞれ光の槍を放つ。それらは回避も防御もされることなく土塊を貫いた。


『…… 見事』


 どこかからそんな声が聞こえたかと思うと、土塊は同色の光へとその姿を変えてハクの方向に流れた。

 彼は一瞬身構えたが、敵意がないとわかったため、訝しみながらもその行方を見守ることにする。


『汝の覚悟、しかと見届けた』


 光の粒子はハクの指輪へと流れ込み、その中石に茶色の輝きを灯した。

 証の譲渡だ。戦いに夢中で忘れかけていたが、やはりクーレは番人で間違いないらしい。


『先の非礼、ここに詫びよう』


 先程まで、土塊から放たれていた声。それが消滅した今は、空間全体に響き渡るようにして聞こえている。


『久方ぶりに有意義な時間を過ごさせてもらった。汝の仲間とやらにも、期待しているぞ』


「…… もしかして、先程の言葉は」


『そろそろお開きにするとしよう。仲間の試練は、また日を改めてくれ。試練は一日一回のみと決めているのでな』


 一方的に言葉を続けられた後、ハクの足下に魔法陣が展開された。反応する間もなく、彼の体は下方から広がった光によって包み込まれる。

 目を開けるよりも先に、澄んだ空気が肺に取り込まれたことで、外へ転移させられたのだと彼は理解した。


「ハク!」


 目の前に現れたのは、二人の仲間の姿。

 外で待機していたフランだけでなく、フィーマにも大事がないあたり、クーレは本当に信用できる人物なのだろう。自身の考えが杞憂であったとわかり、ハクは一安心する。


「うわっ、ひどい怪我…… 何があったの?」


「番人に会って、試練を受けたんだ。正直、かなり痛むけど…… まあ、いずれ治ると思うよ」


「だと、いいんだけど……」


 笑って答えたハクだが、フランの心配を払拭することはできなかったようだと、彼女の表情から察した。


「それよりフィーマ。何があるかわからないのに進むなんて危険だよ。最近は結界内でも魔物が現れるんだから、気をつけないと」


「…… ええ、そうね。ごめんなさい。反省するわ」


 素直に頭を下げるフィーマ。彼なりに何か考えがあって先行したのだろうとハクも理解してはいるが、注意しないわけにはいかなかった。

 冥王の瘴気を祓うという使命を果たすまで、あと少し。だからこそ、最後まで気を緩めるわけにはいかない。積み重ねてきた努力や苦労が、何かの拍子に水の泡となる可能性も否定できないのだ。


「わかってくれたならいいんだ」


「…… それで、結果はどうだったのかしら?」


「無事、このとおり」


「あら、やるじゃない」


 茶色に輝く指輪を見たことで、フィーマが微笑を浮かべる。それからすぐに、再び口を開いた。


「これで、ハクだけは証を集め終わったわけだけど…… この後はどうするつもりなの?」


「お師匠様のもとに戻って準備をしてから、瘴気の発生源に向かうことになっているよ」


 証を集めて終わりではない。むしろ、ここからが本題なのだ。


「ただ、二人も共に来てくれるのなら、同様に証を全て集めてもらう必要があるからね。フランはここの試練で最後だけど…… とりあえず、フィーマが証を集め終わるまでアイアには戻らないかな」


 傷の治療も受けなければならない。なんにせよ、ハク一人すぐにこの国を発つことはできなかった。


「よしっ。方針も決まったことだし、私も試練に────」


「あ、試練は一日一回しかやらないみたいだよ」


「ええ!? なんで!?」


「番人もお疲れってことでしょ。また明日来ることにしましょ」


「まあ、仕方ないか……」


 出鼻を挫かれたと感じたためか口を尖らせるフランだったが、フィーマの言葉を聞いたことで渋々ながらも納得したような反応を見せる。


「…… じゃあ、そろそろ行こうか」


 試練を受けられない以上、長居しても仕方がない。未だ残る激痛によって気を失いそうになりながらも、ハクはそんな様子をおくびにも出すことなく、二人と共にこの場を後にするのだった。

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