第36話「木の証」
(このままじゃ、まずい)
魔法の数や種類を増やしたところで、状況が変わるとは思い難い。
じきに、相手の視力も回復するはずだ。攻撃に転じられるかはわからないが、少なくとも、今よりは回避されやすくなることだろう。
このまま攻撃を続けたところで、決定的な一撃を与えることのないまま、先に魔力が底をついて負けてしまう。
ならば。
(やるしか、ない!)
飛行以外の魔法を全て中断し、相手の眼前へと躍り出る。
既に視力が回復していたらしいルスタと、目が合った。距離を詰めることはできたが、まだ、相手に反応されてしまう間合いだ。
「守れ!」
自身の下方に、光の壁を展開する。それにより、突如として地面から伸びた樹木のような魔法を防いだ。
同じ攻撃を受けるわけにはいかない。そう思っての行動が、功を奏した。邪魔されることのないまま、その拳が今度こそ相手の顔面を捉える────かと思われたが。
「『
鞭を懐に収めたルスタ。その詠唱により樹木の一部のようなものが出現し、彼の全身を瞬く間に覆い隠した。
そして、その樹木がハクの一撃を難なく受け止める。
さながら、鎧のように。
「なっ……!?」
それだけでは終わらない。樹木の織り成す剛腕が、ハクの左方から迫ってきている。
彼は咄嗟に飛行し、ルスタの頭上を通過して背後に回り込むことで、それを回避しつつ反撃の機会を得た、はずだったが。
(この速度に、ついてきた……!?)
音を置き去りにする程の速度。どれ程鍛えていようと、人間の身体能力では追いつけないはずだ。だが、ルスタはハクの動きに食らいつき、続く攻撃を迎え撃とうとしていた。
(なら……)
驚きの連続だが、まだ手はある。それを行使するための準備も、ほとんど終えていた。
樹木の鎧────ルスタが木属性の魔法を使用していることは間違いない。身体能力が向上しているのも、その恩恵の一部なのだろう。
先の一撃を受け止められているため、このまま攻め続けても有効打を浴びせられる可能性は低い。唯一、勝機を見出せるとすれば。
「『シャイニング=レイ』」
指輪から滲み出す輝きが、ハクの纏う光を赤く染めていく。
「『モード:マーコ』」
光から、火へ。
属性が完全に切り替わった直後、二人の拳は激突した。純粋な腕力ではルスタに分があるらしく、ハクは押し負けそうになったが、なんとか堪えて拳へと魔力を込め続ける。
「くっ」
先に腕を引き戻したのは、ルスタだ。樹木で構成されたその拳の表面には、焦げ目がついていた。
証によって変換された、火属性の一撃。それが、樹木の鎧を焼き尽くそうとしていたのだ。
やはり、有利な属性で攻め込めば突破は不可能ではないらしい。そうわかったことで、ハクは更に攻撃の勢いを強めていく。
だが、それは決して安全策などではなかった。
「無茶、するね」
猛攻に対応しながらも、ルスタが呟く。どうやら、ハクの戦法の問題点に気づいたらしい。さすがは番人と言ったところか。
(熱、い……)
ハクは今、光属性の魔法を火属性の魔力で強引に行使している状態だ。故に、どうしても不具合が発生してしまう。
水の証を利用したときは速度がやや低下する程度で済んだが、どうやら今回は組み合わせが悪かったらしい。逃れようのない灼熱に、彼は襲われることとなっていた。
(まだ、やれる……!)
ルスタに言葉を返す程の余裕はないものの、懸命に攻撃を続ける。その甲斐あってか、樹木の鎧を少しずつ燃やすことができていた。
このまま続ければ、きっと。
ハクはそんな希望を抱いたが、やはり一筋縄ではいかないらしい。
「まだまだ」
呟きの後、樹木の鎧が部分的に再生した。
正確には、焼け焦げた箇所を消滅させ、新たに魔法を発動することで補ったのだ。さすがに、攻撃の合間に全てを復活させることはできなかったようだが、ハクにとっては厄介極まりないものだった。
(これでも駄目なのか……!)
ただでさえ、魔力を消耗しているのだ。相手の再生速度を上回った攻撃など、そう続けられない。
だが、鎧をどうにかしないことには、ルスタに一撃入れることなど叶わないだろう。今の自分にできることは何か、身を焼かれながらも必死に考え続けた。
(…… これしかない!)
ハクは拳を振り抜いた後、後方へと飛んで距離を取る。それから、自身を追ってきた相手に杖を向けた。
「『ブライトライト』!」
その先から、赤く輝く球体を四つ放出する。
樹木の鎧で頭部さえも覆っているルスタは、それを気にせずハク目掛けて一直線で突進してきたが、予想どおりだ。
「『ペネトレイティング=レイ』」
杖の先から、今度は赤い光の槍を放出した。
急速に接近してくる相手に向けた、ハクが使えるなかで最速の攻撃。それは完全に躱されることこそなかったものの、鎧の表面を撫でる程度に留まってしまう。
「終わり」
先の攻撃により、ハク自身の輝きは失われた。
最早、打つ手はない。
ルスタだけは、そう判断したのだろう。
(掛かった)
直後、樹木の鎧に四つの光が突き刺さる。
ただ、ハクは新たに魔法を発動したわけではない。ルスタに見向きもされなかった、目眩しの魔法────そう誤認させた光の球体を、変化させたのだ。
油断した相手に一矢報いるこの状況を作り出すために講じた策が、上手くはまった。
「弾けろ」
ハクの詠唱に従い、光の槍が爆発する。近距離に立っていたため、彼自身もその風圧に襲われて後方へと吹き飛ばされた。
満身創痍の体では受け身を取ることができず、何度も地に叩きつけられてからようやく静止する。全身に激痛が走っていたが、幸い、意識を保つことはできていた。
(どう、だ……?)
ゆっくりと立ち上がりながら、爆発によって生じた土煙の方へと視線を向ける。
あれだけで倒すことはできないだろうと、ハクもわかっていた。故に、煙の中から影が近づいていることに気づいても、動揺はしない。
傷一つでも負わせられれば、今回の試練は合格だ。その程度の実力は有していたいと願いながら、ルスタを待つ。
「…… びっくり、した」
そんなことを呟きながら、ルスタは現れた。直後に樹木の鎧が崩壊したことで再び顔も露わになったが、彼の表情に大した変化は見られない。
対するハクは、目を見開いていたというのに。
(無傷、だって……?)
先程の攻撃は、完全に不意を突いていたはずだ。だが、鎧の下に隠されていたルスタの皮膚には、全く傷をつけられていなかった。
(…… 僕の負け、か)
肩を落とすハク。
魔力は既に空だ。そもそも、動き回る体力すら残ってはいない。
潔く降参しよう────彼がそう思った矢先、ルスタは口を開いた。
「うん、合格」
「え……?」
その言葉を受け、ハクは素っ頓狂な声を漏らす。疲労や激痛で意識が朦朧とし、幻聴を耳にしたのかと思ったためだ。
「鎧、突破できると、思わなかった。甘く見てた。ごめん」
「い、いえ、それは別に…… それより、合格って」
「あれ、突破できるなら、実力、充分。四つ目の証、ふさわしい」
夢ではなさそうだ。かと言って、ルスタが冗談を言っているようにも思えない。
当初課された条件を突破できていないため、この判定に納得することはできなかったが、かつて水の国で聞いた言葉を思い出したことで不満を飲み込む。
「…… ありがとう、ございます」
「うん。他の二人も、終わったみたい。戻ろう」
ルスタが手を叩いた直後、彼の足下に魔法陣が展開され、そこから緑色の光が広がった。
ハクは瞼を閉じ、その輝きに身を委ねる。
「────みんな、お疲れ様」
次に目を開けたときには、再び植物園の中へと戻っていた。切り株を囲むようにして、四人が顔を合わせる。
「全員、合格。今から、証、譲渡する」
余韻に浸る間もなく、譲渡が開始された。ルスタの手から緑色の輝きが広がり、三人の指輪へと流れ込む。四回目だからか、フランももうその景色に感動を覚えてはいないようだった。
「…… フィーマって、なんで指輪はめてないの?」
今更ながらの、フランの質問。確かに深く聞いたことはなかったと思いながら、ハクも当人の方へ視線を向ける。
フィーマは指輪に紐を取り付け、首飾りとして使っていた。普段は服の中に隠しているようで、直接目にする機会は少ない。
「なんか、窮屈に感じて嫌なのよ」
「大きさを調整できるのに?」
「それでも、しっくりこないのよねえ」
フランにそう返しながら、フィーマが服の中へと指輪を戻す。誤魔化している様子はない。本当に、理由はそれだけなのだろう。
「これで、試練、終わり。植物園、見てってもいいけど、休んだ方が、いいと思う」
致命傷と言う程ではないが、三人とも、決して浅くはない傷を負っている。一度、落ち着ける場所に移動して治療の手配をした方が良さそうだった。
「見ていくかい?」
念のため、ハクは確認を取る。同じように首を横に振った二人を見た後、苦笑いしながらルスタへと視線を戻した。
「…… だそうなので、僕らはこれで」
「うん。元気で」
各々、ルスタに別れの挨拶を告げてその場を後にする。疲労が溜まっているはずだが、形成される雰囲気は不思議と和やかなものになっていた。
「全員突破できて、良かったわね」
「うん。まさか、自分と戦うことになるとは思わなかったけど……」
二人の会話を聞いて、ハクは思い出す。
本来、今回の試練で番人と戦うことはなかったはずだ。何故、そうなってしまったかと言えば。
(内なる自分が、いない……)
初めての出来事だと、ルスタは言っていた。それが異常であると判断できる程度には、同じ魔法を何度も使っていたはずだ。故に、なんらかの不手際があったとは考えづらい。
理由は自分自身にあるのだろうと、ハクは推測していた。そして、思い当たる節があるとすれば。
(…… 記憶喪失?)
自己を形成するための記憶がないことで、内なる自分もまた形を得られないのではないか、というのが考えられる理由の一つ。
ただ、他にも怪しい点がある。
(英雄とやらの魔力が関係している可能性もあるし…… お師匠様から授かった知識が変に作用していることも考えられる……)
クロも一緒に受けていれば仮説を一つ潰すことができたが、ないものねだりをしていても仕方がない。
「ハク、どうかした?」
「…… いや、なんでもないよ」
フランに声をかけられたことで、ハクは思考を中断した。
内なる自分が存在しないことは気になるが、一人で考えていても埒が明かない。ルスタも原因がわかっていないようだったため、頼れるとすればレマイオしかいないだろう。
今晩、手紙を出して尋ねてみるとして、自分は本来やるべきことに意識を向けなければと気を引き締め直した。
残る試練は、あと一つ。それを乗り越えてようやく、冥王の瘴気を祓うために動き出せるのだ。
(…… まずは、目の前のことから片付けていかないとね)
使命を果たせるようになるまで、あと少し。試練を突破できたことよりもその事実に嬉しさを覚えながら、ハクは二人と肩を並べて歩くのだった。
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