第34話「開花」

「これは……」


 ハクの視線の先。着弾した大地から、矢と同色の花が次々と咲き始める。正確には、花を模した魔法なのだろうが。

 花が一通り咲いた後、森林を覆い隠すように滞留していたはずの煙が、そこへと引き寄せられていった。


「フラン」


「大丈夫。任せて」


 意図して引き起こした現象らしい。フランの身が心配ではあったが、余計な手出しをして彼女の邪魔をしてはいけないと思い、ハクはただ見守ることにした。


(煙が、消えていく……)


 フランの魔法が、煙を吸収しているのだ。黄色い花はそれを養分とするかのように丈を伸ばしていく。開花直後はハクの膝程度だったはずが、気づけば彼の身長を優に超えていた。

 その後も成長は続いたが────聖樹にやや届かないあたりで、突然停止する。


「…… 終わったよ」


 それが合図だったのか、花は瓦解して光の粒子へと姿を変えた。黄色の輝きが、藍色の空に溶けていく。

 どうやら、煙を完全に処理し終えたらしい。消えゆく光の先に、森林の入り口をはっきりと確認することができた。


「ここからはワタクシの仕事ですね」


 セメが指を鳴らすと同時に、聖樹から緑色の輝きが広がる。殺気立っていたはずの動物たちは、それに包まれたことで徐々に落ち着きを取り戻していった。


「はい以上で完了でございます」


「…… フラン、さっきの魔法って」


 何事もなかったかのように森の中へと去っていく動物たちの後ろ姿を見ながら、ハクはフランに尋ねる。


「相手の魔力とか魔法を吸収して、反撃する…… っていうのが本当の用途。実戦で使うのは初めてだから、ちょっと不安だったけど…… 上手くいった、みた、い……」


「フラン!」


 倒れそうになった彼女を、ハクは咄嗟に支えた。


「大丈夫かい!?」


「へ、平気平気。少し、目眩がしただけだから……」


 フランは意識を保ってこそいるが、かなり疲弊しているようだ。それだけ、先程の魔法で負担がかかっていたということだろう。


「まだ若いというのに無茶をしますね。若いからこそとも言えますが」


 セメがフランの額に手を当てる。直後、緑色の輝きが彼女の身体を優しく包み込み、ゆっくりとその内側に浸透していった。


「今のは……?」


「回復と治癒の魔法を少々。これでひとまず安全を確保できたと言えるでしょう」


「あ、ありがとうございます」


「礼を言われるべきはお二人の方です。ワタクシは頭が上がりませんよ」


 フランにそう返すと、セメは紳士帽を外して一礼する。


「本当に、助かりました」


 唯一、その言葉からは、誠実な想いを感じ取ることができた。

 いや、元々、自分が察せていなかっただけかもしれない。察そうとしていなかったのかもしれないと、ハクは自省する。


「…… いえ、お気になさらず。それより、聖樹に関してはもう安全と考えて大丈夫でしょうか」


「ええはい。先の者の気配も感じられませんので聖樹が狙われることはもうないでしょう」


「良かった…… それなら、僕らは結界内に戻るとします。まだ、やるべきことがあるかもしれないので」


 結果内での騒動が、ハクは気がかりだった。もし収束がまだであれば、加勢する必要がある。

 フランの体調も心配だ。共に戻っても戦闘には参加させられないが、かと言ってここに置いていくわけにもいかない。聖樹の加護があるとは言え、ここが結界の外であることに変わりはないのだ。


「でしたらワタクシの方でお送り致しましょう。その程度でしたらお茶の子さいさいでございますですはい」


 その言葉の直後、ハクとフランを囲むようにして旋風が発生した。どこからともなく現れた木の葉の数々がそれに乗ることで、視界いっぱいに緑色が広がる。


「ご武運を」


 それ以降、セメの声は聞こえなくなった。

 木の葉がぶつかり合う音と、風の音だけを耳が拾う。数秒程経つと、旋風は外側へ弾け飛ぶようにして消滅した。

 直後、ハクの瞳に映し出されたのは、木造の建築物の数々。聖樹へ向かう前に魔物と交戦していた、あの場所だ。


「ハク、フラン!」


 背後から、仲間の声が聞こえる。振り向くと、地面に腰を下ろしているフィーマと目が合った。全身に負傷が見受けられるが、大して深くはないようだ。


「フィーマ! 無事で良かった……!」


「当然よ。そっちは…… 苦労したみたいね」


 明らかに元気のないフランを見て、そう判断したのだろう。

 ハクの肩を借りなければ歩くことすらままならない程、今の彼女は衰弱しきっていた。


「森林にいる動物たちが軒並み魔物にされていてね。フランのおかげで、なんとかなったんだけど……」


「ちょっと、無茶しちゃって。あはは…… はは……」


 空元気を続けることもできずに、フランがため息を吐く。セメの魔法がなければ、今頃気絶していたかもしれない。

 危険を承知での行動。ハクも思うところはあったが、彼女を責める気にはなれず、俯いた。


(僕が、もっとしっかりしていれば……)


 他の策を考えられていれば。

 様々な可能性を考慮し、どのような状況にも対応できるよう事前に準備していれば。

 自分に、もっと力があれば。

 責めるべきは、危険を冒したフランではない。彼女の選択を止めることができなかった、自分だ────


「てえいっ!」


「痛っ!?」


「ハク!?」


 自罰的な思考が芽生え始めていたハクだったが、額に手刀を浴びせられたことでそれを乱された。痛む箇所を片手で押さえながら、突然の攻撃を仕掛けてきたフィーマに視線を戻す。


「な、何するのさ……」


「あんたが辛気臭い顔してたから、活を入れたのよ」


「辛気臭い顔って……」


「大方、フランの無茶は自分のせい、とかって考えてるんでしょ?」


「う……」


 図星を突かれたことで否定できず、ハクは目を逸らした。図らずも、それが肯定の意となってしまう。


「あんた、過保護気味よ。人間、ちょっとやそっとの無茶で死にゃしないってのに」


「いや、でも……」


「本当に越えちゃいけない一線ぐらい、自分でわかるはずよ。もっと、仲間のことを信じてみたら?」


 この先の道中で、無理をしなければ乗り越えられない局面は幾度となく訪れるだろう。

 そうわかっていても、簡単に許容することはできなかった。火の国での一件がある分、余計に。


「自分のことは、自分にしかわからない。自らの意思で行動したのなら、その結果がどうなろうと自己責任。それでいいじゃない。なんでもかんでも一人で抱え込もうとしてたら、いつか破裂しちゃうわよ」


「うん……」


 かつて、クロにも似たようなことを言われていたと思い出す。

 今の自分と異なる在り方を全面的に受け入れられる程、ハクは柔軟な思考を持ち合わせてはいない。だが、頭ごなしに否定することもまた、できなかった。


「善処するよ」


 仲間のことを、信じきれていない。その事実が、ハクの心に突き刺さっていたためだ。


「…… ところで、魔物はどうなったの?」


 気まずそうに、フランが尋ねる。

 まだ、フィーマの口から直接聞けてはいなかったためだろう。周囲に魔物の姿はなく、戦闘は終了しているように見受けられるが、遠方に逃亡された可能性も考えられる。

 そうだったところで、魔力の残量が少ないハクと疲労の激しいフランでは戦力になり得ないだろうが、顛末は把握しておくべきだ。


「倒したに決まってるじゃない」


「そ、そうなんだ……」


 やけにあっさりと告げるフィーマ。その表情と負傷具合からして、苦戦はしなかったのだろう。

 彼の実力に驚愕したためか、それとも単に疲労が溜まっているためか、フランの返事はやや震えていた。


(とりあえず、解決したか……)


 事態の収束を確認し、気を緩めるハク。直後、狙い澄ましたかのように頭痛が彼を襲った。


『ハク君』


(…… ルスタさん?)


 特有の痛み。聞き覚えのある声。それらから、番人ルスタによる念話だと判断することができた。


『良かった。繋がって』


 念話を拒んだ覚えは、ハクにはない。聖樹に行っていたことが原因かと考えたが、話の腰を折らないよう、まずは相手の言葉を待つ。


『騒動、落ち着いたって聞いた。被害も少ない。こっちも、なんとかなった。ハク君たちのおかげ。感謝』


(…… いえ。僕の手柄ではありませんよ。途中で、聖樹の方へ向かってしまったので)


『聖樹?』


(ええ。管理人から救援要請があり、魔物をある程度片付けてから僕とフランの二人で向かいました。ですので、結界内で最後まで戦ってくれたのは、フィーマです)


「ハク? どうかした?」


「…… 大丈夫。少し待っていて」


 傍から見て、しばし無言の状況が続いていたためか、フランが声をかけてきた。ハクも説明したいとは思ったが、念話と同時に行うことが難しかったため、後回しにする。


(すみません。話しかけられてしまって)


『大丈夫。話、戻すけど、ハク君の対応遅れてたら、被害、もっと大きかったはず。だから、感謝』


 もっと上手く動けていれば、被害をより抑えることができたのではないか。そんな思考が邪魔をして、ハクは相手からの礼を素直に受け取れない。


『あと、試練の件。今回の後始末、長引きそうだから、しばらく、待ってほしい』


(承知しました)


『もしかしたら、ハク君たちも、事情聴取されるかも、しれないけど……』


(大丈夫です。先日も、似たようなことがあったので)


 火の国での騒動後も、事情聴取は行われた。あのときは闇属性の魔力を宿すクロがいたために長引いただけで、今回はそこまで長時間拘束されることはないだろう。

 聖樹関連の話に納得してもらえれば、だが。


『なら、良かった…… じゃあ、オラは、これで』


 こめかみに、痛みが走る。念話特有の現象だ。どうにかならないものかと思いながら、ハクは二人の方へ交互に視線を向ける。


「ごめん、待たせて」


「何かあったの?」


「番人と念話していたんだけ、ど……」


 言い終わる前に、ハクは振り向く。複数の足音が近づいていることに気づいたためだ。

 視線の先には、高級そうな鎧を身に纏った兵士が数人立っている。王国軍に属する者たちだろう。

 どうやら、三人に用事があるらしい。先頭に立つ男は敬礼した後、その口を開いた。


「魔物の駆除に尽力してくださった方々ですね」


「ええ」


「お疲れのところ申し訳ないのですが、事情聴取に協力していただけないでしょうか」


 年下であることが一目でわかる三人に対しても、丁寧な言葉遣いは崩れない。だが、その要請が半ば強制であることは、後ろに立っている兵士たちの面倒そうな表情から容易に察せられた。


「…… ええ。もちろんです」


 特別、断る理由はない。変に逆らって反感を買う必要もないだろうと判断し、ハクはそう返した。


「ご協力感謝します。では、こちらへ」


 一人の兵士が先導し、他の兵士は三人を囲むようにして歩き始める。彼らの足音も含め、夜に似つかわしくない喧騒の数々が、しばらくの間、街に残留していた。

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