第33話「煙」

「あ、あれ……? どうして……!?」


 光が収まった後、ハクの瞳にまず飛び込んできたのは、慌てふためくフランの姿だった。


「確かに、聖樹のすぐ近くに設定したはずなのに……!」


 二人を取り囲む、見覚えのある木々や草花。聖樹周辺の森に到着したようだが、フランの反応からして、想定していた場所とは異なる位置に転移してしまったらしい。

 ハクはその原因を即座に理解できたため、冷静さを欠くことなく彼女の肩にそっと手を置いた。


「…… この一帯に、闇属性の魔力が蔓延しているみたいだ。冥王の瘴気も含めて、ね。多分、そのせいで魔力の流れが乱されているんだろう」


 足下あたりで、薄紫色の煙らしきものが漂っている。不可視である瘴気とは、別種の存在。恐らくは、第三者の魔力から作られたものだろう。


「な、ならもう一回……」


「いや、大丈夫。それより、手拭いか何かで口元を覆えるかな」


「え? う、うん……」


 動揺を見せながらも、言われたとおりに従うフラン。ハクも自身の口元に同様の処置を施した後、純白の輝きを纏い、彼女の体を抱きかかえた。

 高速移動の魔法だ。

 転移魔法を再び使っても、辿り着けるとは限らない。それどころか、更に距離が遠くなってしまうことも考えられるだろう。

 魔力の消耗が激しいのは否めないが、より確実に、より早く目的の場所に辿り着くには、これが最善だった。


「しっかり捕まってて」


 飛ぶように、木々の間を駆けていく。

 聖樹に近づく程、煙は濃くなり、それらの漂う位置も高くなっていったため、視界不良が加速していった。この速度で不意に衝突でもすれば重傷を負いかねない。

 上空に飛び立とうにも、そのためには枝葉を突っ切る必要がある。緊急事態とは言え、植物を傷つけるその行為に、『呪い』とやらが働かないとも限らない。

 結局、煙から感じられる魔力の流れに注意深く意識を向け、障害物の位置を大まかに把握しながら走り続けるしかなかった。

 幸い、危なげなく進むことができているが、問題は他にもある。


(息が…… 続かない……!)


 誰がなんの目的で発生させたかわからない煙など、吸い込むべきではない。手拭いで口元を覆ってこそいるが、ハクは移動を開始してからずっと息を止めていた。

 彼は特別、肺活量が少ないわけではない。ただ、それなりに高度な魔法を行使しているためか、思いの外、息が続かなかった。


(一旦止まって、煙を…… いや、駄目だ)


 攻撃用の魔法を発動し、その風圧で煙を払えば呼吸する余裕が生まれるのではと考えたが、すぐに諦める。

 この煙が、簡単に晴れてくれるとは限らないからだ。もし攻撃をしても煙の流れに変化がなかった場合、時間と息を浪費することになる。それだけは、避けなければならなかった。


(あと、もう、少し……)


 目を細めながら、ただひたすらに前方へと足を動かす。

 早く呼吸をしなければ、意識を保つことさえままならない────その時が訪れようとした瞬間、唐突に、ハクの視界は開けた。


「…… っぷはあ!」


 手拭い越しに息を吸い、それから吐く。フランの身に吹きかけることがないように、顔を背けて。

 緩やかに速度を落として着地し、彼女を自立させると、ハクは乱雑に手拭いを取り外して再び肺いっぱいに空気を取り込んだ。


「…… フラン、大丈夫かい?」


「な、なんとか……」


 フランも限界が近かったようだが、なんとか、そこに達することなく煙の中を抜けられたらしい。

 そんな二人の目の前には、目的地に定めていた聖樹が存在した。


「想定より早かったな」


 第三者の声。その主と思われる人物が、聖樹の幹の裏から姿を現した。

 二人は視線を向けたものの、息が完全には整っていなかったため、声を出すのが少しばかり遅れる。


「誰だ!」


「そうか、光属性の魔法か。なるほど、既にそこまでの芸当が可能になっていたとは。資質故か、はたまた、受け継ぎし力によるものか」


 そう述べながら二人に近づくのは、左半分だけを編み込んだ赤髪が特徴的な、一人の少女。

 そのはずだ。体格といい、容貌といい、十代前半の少女と見受けられる。

 だが、その口から放たれる声は、それらに似つかわしくない程、低く、重厚な響きを有していた。まるで、男性のような。


(こいつ、まさか……)


 少女の正体に勘づいたことで、ハクは杖を構える。

 相手から、闇属性の魔力が感じられていたのだ。それも、かつて交戦した相手と酷似した。


「俺の名はエン。焼死を司りしせいりょうが一人」


「…… 結界内外での騒動を引き起こしたのは、お前か?」


 ハクは目の前の相手に気圧されることなく、強い語気で尋ねる。


「そうだと言ったら?」


「捕らえる」


 そう答えた直後、ハクは杖の先から光を放出した。

 対象の拘束に特化した、紐状のものだ。それらは少女の体に直撃したが、事は彼が想定していたようには進まなかった。


「やめておいた方がいい。どうせ不可能だ」


 光の紐が触れた瞬間、少女の体が煙に変化したのだ。

 意識的にそうしたようには見えない。恐らくは、元々実体がないのだろう。闇雲に攻撃を仕掛けても無駄だと考え、ハクは一度杖を下ろす。


「何故、聖樹を狙う」


「冥王の復活をより確実なものにするため、とだけ言っておこう」


 納得のいく回答が得られるとは思っていない。相手の気を引いている間に、付近に本体らしきものがないか探っていた。


「さて。こちらの質問にも答えてもらうとしようか」


「…… なんだ」


「何故、闇を宿す少年と共にいない」


(…… クロのことか?)


 ハクの知り合いのなかで、それらしき人物は他にいない。とりあえず彼のことだと仮定して、話を聞いてみることにした。


「別行動は観測が面倒になるが故、控えてほしいのだがな…… お前も、自身の望みを叶えるために奴の存在が不可欠であることぐらい、理解しているだろう」


 どうやら、クロとハクの二人が一緒にいた方が、四死生霊にとっても都合がいいらしい。そのためだけに今回の騒動を引き起こしたとは考えづらいが、間違いなく、理由の一つではあるのだろう。

 ならばやはり、今、彼と共にいるわけにはいかない。


「使命を果たす道すがら、立ちはだかる障害は多いだろう。それこそ、お前のように」


 少女を睨みつけながら、ハクは続ける。


「僕には…… 僕らには、仲間が必要だ。でもそれ以前に、一人一人がもっと成長しなければならない」


 四死生霊の思惑から外れたい、という考えは確かにある。だが、今、口に出している言葉に、嘘偽りはなかった。


「そのために、今は、それぞれの道を往くと決めたんだ」


「己の願いを蔑ろにしてでも、使命を果たす…… それがお前の選択か。だが、奴はどうかな」


 意味深なことを呟きながら、不敵に笑う少女。まるで、ハクの事情を見透かしているかのようだ。


「…… お前はいったい、僕の何を知っていると言うんだ」


「少なくとも、お前よりは知っている」


 まさか。

 情報を聞き出すために思考を巡らせようとしたハクだが、またしても相手の体が煙に変化していったことで、それを中断させられる。


「喋りすぎたな。そろそろお暇するとしよう」


「待て!」


 駆けながら手を伸ばすが、それが届いた時には少女の姿は完全に煙へと変貌していた。そして、その煙すら瞬く間に霧散してしまう。


「くそっ……」


「ハク、大変!」


 最後の最後で、ハクは調子を乱された。

 だからだろう。フランにそう言われるまで、自分たちが置かれている状況に気づけなかったのは。


「あれは、魔物……?」


 聖樹を取り囲むようにして形成された森林。それを包み隠す煙の中から、荒ぶった様子の動物────魔物たちが、次々と押し寄せてきていた。大まかな数を見積もることすら馬鹿らしく思えてくる程の群勢だ。


「ハク、どうする?」


 無策で挑んで打ち破れる状況ではないと、フランも理解したのだろう。弓を構え、いつでも動ける準備をしながらも、彼女はハクから意見が出されるのを待っていた。


(さすがに、二人でどうにかできる数じゃないな……)


 期待に応えるべく策を練ろうとしたが、これ程の圧倒的戦力差を覆せるような術を持ち合わせていない以上、どうしようもない。

 生存確率の高さで考えれば、フランの転移魔法で結界内への帰還を試みるのが妥当だろう。だが、それではここまで足を運んだ意味がない。

 そもそも、相手の目的は未だに判明していないのだ。そんな状態で侵攻を放置するわけにはいかなかった。


(…… やるしか、ないのか)


 考えている最中にも時間は過ぎ、魔物との距離が近くなっていく。無謀な挑戦への覚悟を決めようと、ハクが杖を握りしめた、その瞬間。


「いやはやこれは参りましたねえ」


 聞き覚えのある声が、空から降ってきた。

 同時に、魔物たちの足が止まる。まるで、金縛りにでもあったかのように。

 その光景に驚きを隠せない二人。彼らの目の前に、声の主と思われる男が音もなく着地した。

 紳士帽を被り、丈の長い背広に身を包んだ、あの男だ。


「セメさん!?」


「どうもどうもさっきぶりです」


 聖樹周辺の案内人、セメ。フランに名を呼ばれた彼は、記憶に新しい微笑を浮かべながら帽子の鍔を持ち上げる。


「姿が見えないので、まさかと思いましたが…… 無事だったのですね」


「なんとか。管理人であるワタクシの身に何かあれば本格的に聖樹が堕とされてしまいますので潜伏しておりました」


「…… フランへの救援要請も、貴方が?」


「ええはい。大々的に動けば先の者に勘づかれると思いフラン様にのみ要請させていただきました」


 聖樹の襲撃を実行したのは、エンと名乗った四死生霊の少女だ。彼女の口ぶりからして、セメと結託していた可能性は低い。

 救援要請は、自分たちを誘き出すための罠ではなかったようだと、ハクはようやく結論づけることができた。


「応じていただけて何よりですが…… 事態は芳しくありませんねえ」


「聖樹には、冥王の瘴気への抵抗があるとお聞きしたのですが……」


「そのとおりです。聖樹の力をもってすれば魔物化した動物たちを正常化できるでしょう」


 ですが、とセメは続ける。


「辺りに漂う煙が瘴気の効能を強めているようでございます。これでは一旦正常化させたところですぐさま魔物に戻ってしまうはずです」


「煙自体をどうにかすることは?」


「難しいですね。瘴気とは別物であるために聖樹では対応ができません。今できるのは聖樹の呪い…… ワタクシたちの場合は制約ですが…… まあそれを利用してせいぜいあのように動きを止めることぐらいです。それも長くは持ちませんが」


 危機的状況にあるはずだが、セメの表情は一切変化していない。

 信頼しても大丈夫だと思えるようにはなったものの、ハクが彼に対して抱いている胡散臭い印象を拭うことはできなかった。


「…… 煙を、なんとかすればいいんだね」


 二人のやり取りを他所に、フランが一歩前へと踏み出す。


「魔力から作られたものなら、どうにかできると思う」


「フラン、いったい何を……」


 説明を求めようとハクが声をかけるが、彼女は振り向くことなく魔力を高めていった。


「本当は、こういう使い方じゃないんだけど……」


 いつものように作り出した、魔力の矢。それをつがえると、フランは自身の真上に照準を合わせた。


「『オトギリソウ』」


 詠唱の後、黄色い輝きが天空へと伸びていく。すぐ近くでそびえ立つ聖樹よりも高い位置で静止したそれは、何方向にも分散し、円弧の軌道を描き出すようにして降り注いだ。

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