第32話「闇夜に舞う」

(…… そろそろ、眠ろうかな)


 聖樹周辺の散策を終えた後、宿に戻って夕食と入浴を済ませたハクは、ベッドの上で一人横になっていた。

 妙に部屋が広く感じられるのは、今まで当然のようにいた同室者の存在がないためだろう。

 フィーマは同性だが、その独特な精神性故か一人部屋を希望していたのだ。自由奔放に見えてその実思慮深い、彼らしい行動と言える。

 そんなこともあり、一人しかいないこの状況では暇を持て余すばかりで、少し早いとしても眠る以外にできることがなかった。

 そして、仕方なく瞼を閉じた、その瞬間。


「…… なんだ?」


 妙な胸騒ぎを覚えたことで、彼は咄嗟に身を起こして窓の外へと視線を下ろす。

 その先には、人の形をした『何か』がいた。

 否。魔物だ。感じられる闇属性の魔力が、そう告げている。十匹以上いるであろうそれらは、至る所で暴れ回っていた。


「どうしてまた結界内に……!」


 思わずそう声に出すが、考えている暇はない。ハクはすぐさま杖を用意し、窓の外へと飛び降りた。


「撃ち抜け!」


 光の球体を放出し、衝撃の緩和ついでに魔物を攻撃する。相手に回避されたことで空いた箇所へと着地する寸前、受け身を取って落下の衝撃を完全に受け流した。

 直後、被弾していたらしい一匹の魔物が視界に入ったことで、ハクはあることに気づく。


(この感じ…… 普段の魔物とは違う)


 被弾した箇所が霧散していたが、その内部に、素体らしきものは確認できない。あくまで、闇が人間を模しているだけのようだった。


「何々、何事!?」


 騒ぎに気がついたらしいフランとフィーマも、外へと飛び出してくる。ハクとは違い、扉から。


「…… 話してる余裕はなさそうね」


 一目見て状況を把握できたらしく、魔物の群れへと突撃するフィーマ。就寝準備を終えていたためか厚化粧が落ちていたが、大して印象は変わらない。


「でも、この魔物、人が元になってるんじゃ……」


 フランが遠方に離れつつ射撃を開始するが、その威力は普段よりも低かった。恐らくは、魔物が人の形をしているためだろう。


「いや、闇でそれらしき形を作っているだけだ! 中に人間はいない!」


「なら、遠慮はいらないわね!」


 そこでようやく、フィーマは自慢の得物を引き抜いた。どうやら、彼もまたフランと同様の懸念を抱いていたらしい。

 ハクの言葉を聞いた二人が本気を出せるようになったことで、魔物は次々に消滅していく。


『ハク君』


 ハクが意識を魔物に戻そうとした時、そんな声が聞こえてきた。この場にいる仲間のものではない。だが、確かに聞き覚えのある声だ。

 周囲を見回しても声の主らしき人物が見えないこと。脳に直接響くようだったこと。その二点から、念話を送られたのだろうと推測する。

 そして、この状況でそれを行う存在がいるとすれば。


(…… ルスタさん?)


『緊急事態』


 肯定も否定もされなかった。声が届いていないのだろうかと不安になりながらも、ハクは続く言葉を待つ。


『結界内に、魔物、放出された』


(ええ、ちょうど今、交戦中です)


『オラ、今、手が離せない。魔物以上に、厄介な相手、抑えてる』


 そう聞いて思い浮かべるのは、水色の髪を後方に撫でつけた、あの男。詳細を聞きたいところだが、そのような時間がないことはハクも理解している。


『申し訳ないけど、君たちに、魔物、倒してほしい』


(承知しました。任せてください)


『ありがとう。でも、無理しないで』


 どうやら、返事は伝わっていたようだ。


(ええ。ルスタさんも、どうかお気をつけて)


 こめかみあたりに生じていた違和感が解消される。

 番人からの要請に応えるべく、魔物との戦闘に意識を向けようとしたハクだったが、直後、またしてもそれを阻まれることとなった。


「ハク!」


 フランの声が聞こえたことで、視線を彼女の方に向ける。

 彼女はいつの間にかハクの近くまで寄っていた。負傷したわけではなさそうだが、切羽詰まったような表情を浮かべている。


「聖樹が危ない!」


「…… どういう意味だい?」


「聞こえたの! 聖樹が、助けを求めてる!」


 尚更、わけがわからない。だが、冗談を言っているようにも思えなかったため、ハクは魔物との戦いを続けながらも状況を整理することにした。


(聖樹の危険…… どうして、フランだけに……)


 罠の可能性は充分に考えられる。仮に、聖樹からの緊急信号が本当だとして、今、三人がこの場を離れるのは悪手だろう。

 離れた地点で発生している、二つの騒動。防衛戦力を削ごうという敵の思惑が、いやでも感じられる。

 だが、聖樹の様子を確認することなくこの場に留まるというのも、得策ではない。


「…… じきに、王国軍や自警団が動き出すはずだ。それまで持ち堪えた後、聖樹に向かおう」


 一度引き受けたことを投げ出すようで心苦しかったが、今自由に動ける戦力は他にいない。敵の真の狙いが聖樹であるという可能性を否定できない以上、これが最善の選択だった。


「妥当な判断ね。けど、それで間に合うのかしら?」


「フランの転移魔法を使う」


 想定より早いが、今こそ使いどきだろう。そう考えながら、ハクはフランの顔を見つめる。


「頼めるかい?」


「…… 任せて!」


 微笑んだ後、彼女は再び射撃を開始した。

 方針を決められたことで、ハクもようやく戦闘に意識を集中させる。球体、斬撃、槍、柱────杖を振るい、お馴染みの魔法を次々に発動して魔物を消滅させていった。


(…… それにしても、数が多いな)


 街や人への被害が出ないよう、抑え込むことには成功している。三人の攻撃は、確実に魔物を屠ることができているはずだ。だが、それを感じられない速度で、新たな魔物が現れ続けていた。


(けど、自警団員も駆けつけてきてる…… あともう少し持ち堪えられれば、こっちの戦力も整うはずだ……!)


 そこから一気に攻め込めば、勝負の流れを味方側へと引き寄せられる。三人が戦線を離脱し、聖樹へと向かう余裕を作ることができる────はずだった。だが、ハクの期待を他所に、事態は思わぬ方向へ進むこととなる。


「魔物が…… 集まってる……?」


 突然、攻撃を中断した魔物たち。それらを構成していたはずの闇が崩れ去り、空中の、ある一点へと集中していった。


「『ギャザリング=レイ』!」


 形成された、巨大な球体。それを放置するわけにはいかないと、直感で判断したハクが光を放出する。

 その攻撃は確かに直撃したが、表面の闇を多少削り取れた程度で、大元を破壊することはできなかった。


「…… 間に合わなかったか」


 時間経過によってか、空中の闇は弾け、その中から新たに現れた一匹の魔物が、その禍々しくも雄大な漆黒の翼を広げる。


「カラスかしら」


「色だけじゃない?」


「輪郭があやふやでわかりづらいな…… って、そんなことより」


 武器を握り直す三人。これまでの相手とは違うと、即座に感じ取っていた。


「来るよ!」


 魔物の周辺で、魔力が高まっていく。繰り出されるであろう攻撃に備え、ハクも魔法の準備を進めていた。

 だが、その直後、彼の視界に映る光景は全く別のものへと変化する。


(なんだ…… 何が起きた……!?)


 全身に受ける風と、圧迫感。

 聞こえる悲鳴。

 上下左右、様々な方向に見える、いくつもの人の姿。

 それらによって、ハクはようやく今の状況を理解することができた。

 あの場にいた全員、魔物の翼が巻き起こした突風によって吹き飛ばされたのだと。


「『シャイニング=レイ』!」


 刹那、純白の輝きを身に纏って飛行を開始する。

 まず、最も近くに漂っていたフランを抱き寄せた。二人以上を安全に運ぶことは難しいと判断し、一旦地上へと戻る。

 続けてフィーマの救助に向かおうとしたが、夜空に炎が煌めいたことで、直後に方向を変えた。一人一人丁寧に、かつ迅速に空中から帰還させていく。


(これで…… 最後!)


 魔力切れになることなく、全員を運び終えることができた。ハク一人では対処しきれなかっただろうが、炎を噴出させたフィーマが同様の働きを見せたために死者を出さずに済んでいる。


(さて、問題はここからだ……)


 魔物の攻撃をなんとか凌いだだけで、事態が好転したわけではない。一刻も早く決着を付けるべく、ハクは思考を巡らせる。

 味方の数が増えたところで、どうにかなるとは思えない。有効打となり得る手段を用意できる者たちで、連携する必要があるだろう。

 だが、先程吹き飛ばされた際、自力で対処できた者は二人以外にいなかった。つまり、その者たちでは、カラスの魔物と対峙することはできないということ。

 ならば、どうすれば────


「…… ったく、面倒ねえ」


 ハクの数歩前に立ち、そう呟く者が一人。


「アタシが残るから、二人は聖樹に向かいなさい」


 フィーマだ。肩を回したり、首を回したりしながら、彼は振り向くことなくそう告げる。


「何を言って……」


「これ以上遅くなったら、間に合わなくなるわよ。それによく考えたら、聖樹周辺は植物が多すぎて、アタシの魔法じゃ思い切り戦えないしね」


「それは、そうだけど……」


「大丈夫よ。これ以上、魔物に好き勝手はさせないわ」


 それを成せるだけの実力を有していると、目の前の逞しい背中が物語っていたことで、ハクは彼の意見に従わざるを得なかった。


「さあ、早く行きなさい!」


 フィーマが炎を噴出させ、魔物との距離を一気に詰める。直後、二つの短剣で相手の腹部を斬り裂いた。


「…… 任せたよ。フィーマ!」


 ハクは振り返り、フランのもとへと駆け寄る。


「行こう、フラン」


「…… わかった」


 フランも、後ろ髪を引かれる思いのはずだ。だが、この場を彼に託さなければ、聖樹を救うことはできないと理解したのだろう。一呼吸置いた後、彼女は二人の間にある地面へ向けて白い輝きの矢を発射した。


「『ミヤコワスレ』」


 詠唱の後、突き刺さった矢から光が広がる。魔物の叫び声を聞きながら、二人はその輝きに身を委ねた。

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